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「手書き」と創造性
先日テレビを見ていると、小説家・保坂和志さんが以下のように仰っておられました。
2001年ぐらいから完全に清書まで手書きにしちゃったのね
そうしたらね 本当に楽しいんだよね
パソコンだと キーボードだと作業になってるんだよ
手書き 本当にねフィールドスポーツ
サッカーみたいな感じ
本来 人間が使ってきた全身使った思考のあり方と
猫の思考の在り方と 鳥の思考の在り方と
カマキリの思考の在り方
それを思考と思ってなかったわけ
小説が思考の形態なんだって
「キーボード入力は作業」というのは納得しかないです。そして「手書き」の方が確かに脳が活性化している気がします。脳と手を含めた全身を使って書いた小説こそが「思考」だと。
これをみて、作曲家・筒美京平さんが書く「楽譜」のエピソードを思い出しました。
野口五郎さんと太田裕美さんが、京平先生の楽譜について語っておられたのですが、作曲時にはメロディーが瞬時に溢れでてきてしまうので、それにギリギリ追いつくスピードでの手書きで書くので「天才文字」になってしまい、専門の「写譜屋」に書き起こしてもらって、ようやく皆が読める楽譜になる、と。(「武田鉄矢の昭和は輝いていた」2015年11月25日放送・2020年10月16日再放送(筒美京平さんの追悼番組として))
均質な生産性を求められるものについては、機械や、そして近年ではAIなどにどんどん頼っていけばいいのでしょうが、創造性が求められるものについては、まだまだ「人力」が勝っているとも思えます。仮に、京平先生のような作品をAIが量産したとしても、それは京平先生を超えるものになっているのだろうか、と。年月を重ねると、そうしたことも解決されてしまうのでしょうか。
余談ですが、悪筆である筆者の手書きするものは、創造性に富んでなくても、見れたものではありません。せめてキーボードは使わせてもらいます。しかし、手書きするシーンは増やすべきだなぁ、と思います。思うだけなら、ね。