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未明から五月五日の空である_2024.10.26

未明から五月五日の空である

吉本壮迅「てんらい」

 最初にこの句を知ったのは保坂和志の「アウトブリード」という本のなかで紹介されているものを読んだときで、俳句の俳句らしさ(文学の文学らしさ)を保証するような言葉に寄りかかることなく書かれたこの句のことを紹介していたのだが、その頃から私の中には「らしさ」を保証するものへと寄りかかること、そのことにどれほど自覚的なのかということが、俳句やそれ以外のものについて考えるときのひとつの軸になった。ちなみにこの句集は絶版になっていて、他の句も読んでみたいと思い古本の市場を調べたり、版元に問い合わせしてみたりしたが手に入ることはなく、近くのどの図書館にもなかったので、この句しか知らないし国立国会図書館に行かなければ他の句が読めない。

 「ただそれだけ」という呆気なさに耐えることが必要で、この句の背後に何があるのかと考えてもしょうがないだろう。五月五日の未明の空を見つめている、その瞬間があるのであって、その瞬間が広がっていく。

 この句の真っ直ぐさ(ただそれだけだと思える部分)が好きなのだが、ある日この句が頭をよぎり、日記の中でこの句を書いたとき、その日が五月五日だったことに後から気がつき、無意識に五月五日にこの句を思い出して頭のなかで読み上げていたことを考えていた。

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