文化人物録82(山下澄人)
山下澄人(作家)
→1966年神戸市生まれ。#倉本聰 の #富良野塾 二期生。96年 #劇団FICTION を旗揚げ。97年より現在まで劇団FICTIONを主宰。作・演出を担当し出演も兼ねる。15年4月飴屋法水作・演出『コルバトントリ、』原作・出演、17年9月飴屋法水演出・出演「を待ちながら」脚本・出演。2011年より小説を発表し、12年初の単行本「緑のさる」(平凡社刊)を刊行。『ギッちょん』で第147回芥川賞候補。『緑のさる』で第34回野間文藝新人賞。2013年『砂漠ダンス』で第149回芥川賞候補、『コルバトントリ』で第150回芥川賞候補。16年『鳥の会議』で第29回三島賞候補。17年『#しんせかい』で第156回芥川賞を受賞。著書に『ギッちょん』『砂漠ダンス』『君たちはしかし再び来い』『おれに聞くの? 異端文学者による人生相談』など。
山下澄人さんには149回芥川賞候補の時にお会いしたが、初めて山下作品を読んだときからこの人はすごいと感じた。小説としても時制や物語の展開、人物像まで自由に空間を動き回る、というか空間をかき回す感じで、読んでいる僕の頭の中も攪乱される感覚だった。僕は #保坂和志 さんが好きなので山下作品はその保坂さん的な小説に系統は近く、僕としては大きな共感を覚えた。そして、山下さんご本人の人間的な魅力もすごい。これは演劇出身ということと大いに関係があるだろう。とにかく常識なんてものは知らん、俺は俺のやり方でやる、という感じがいいのである。
(149回芥川賞候補「コルバトントリ」について、2013年)
(候補となった感想は)候補となって率直に嬉しい気持ちとともに、この作品が候補対象になるのかという倍逆の思いもある。
(小説に出てくる月の見張りのおじいさんは実在した?)昔いたんですよ、神戸に。おじいさんではなかったかもしれませんが。
(子どもの頃はどこに住んでいた?)超下町のアパートでした。電話のない家が住人の半分、みたいな場所でしたね。
(阪神大震災で焼けた?)家がつぶれましたが、その後刷新されました。
(消えてしまった家への思いは?)特にないです。スッとした感じ。ノスタルジーもないですね。
(小説を書くときは子どもの頃にいた場所がよぎる?)とてもよく知っている風景はそうですね。でも何かよく知っていても、絶対的なものがないとフワフワするんです。ウソっぽくなる。
(作中で書かれたのは震災で変わる前の神戸?)そうです。あえてそこ(神戸)に行くこともないです。
(神戸には最近に行った?)今年、この作品を書く前に行きました。神戸にはほとんど帰らないですが。両親もいないですし。ちなみに行ったのは高校の初同窓会です。
(書くきっかけは?)チェーホフの「曠野」という作品が好きで、面白いと思っていました。少年がある場所からある場所へ乗合馬車で行く話なのですが、乗り合わせた大人や外の風景だけがただ書かれている。これがすごく好き。
(電車の中での少年の思いのところにチェーホフの影響がある?)そうですね。チェーホフが曠野を書いた当時は普通でなかったと思います、物語がないということは。目に入ってくるものだけで書く。10年くらい前に再読していいなと。
(たばこやそろばん塾のシーンは?)適当です。
(神戸の印象は?)した町人情のようなものはあまりないです。結構ゲスい街です。
(じゃりン子チエみたいな印象がある)僕はもっと寒々しい感じがしました。住食足りて礼節を知る、を実感した少年時代でした。その分面白いと。書いているときはしんどかったですね。
(死のエピソードはどういう意味?)どう見えてますか?
(子どもに戻って書いている?)戻っている意識はないが、一番フィルターがかかっている目で見て書いているかどうかです。
(死についての表現、怖いという思いで書いている?)死ぬとか、そのくらいしか考えることはないと思っている。死が怖いのかわからないが、気になって仕方ない。
(以前砂漠に行ったときは死の恐怖を忘れたと話していた)そうです。ただ形は変わるけど消えはしない。情愛とか恋愛はどうでもいい。
(生者と死者は対価の関係にある?それとも願望?)そうあったら面白い。願望よりも切実かもしれません。
(亡くなった人を書くことが多い?)別に霊的なものを書きたいわけではない。なんて説明したらいいかわからないので小説にしている。
(先ほど神戸は寒々しいと言っていたが、そういうところだからこそ笑いがある?)寒々しいところには笑いしかないです。おかしいけど大変。何かが切断されている。当たり前と思われているものが断ち切れる瞬間がおかしい。
(小説はiPhoneで書いているとか)そうです。
(タイトルの意味は?)フィンランドでサンタが住む山ですね。別に意味はないです。脈絡がない。
(山下さんにとって小説とは?)そんな文学的なものはない。考えたことがない。画用紙に小説を落書きしているようなものです。遊びの延長。ただ遊びの延長だからと言って軽くはない。ジミヘンの演奏だって遊びだけど軽くない。遊ぶようにしか小説を書けないんです。内面とか自我とか、よくわからない。
(遊びとは山下さんにとってどんなもの?)全財産一発勝負、バクチみたいなもの。遊びとは命をかける、そういうものです。
(第2次世界大戦の影響は?)父がよく戦争の話をしていたのをよく覚えている。父は疎開していましたが、そこでいろいろ見たらしい。父は戦争が楽しかったと言ってました。みんな必死だったんでしょう。
(戦争についての思いは?)どっちでもいいけど、あんなの(なぜやるのか)よくわからない。
(拘束について)拘束があるからこそ、中で自由が底光りする。それを確認したい思いはあります。
(今は札幌に住んでいる?)舞台の関係でほぼ札幌です。東京と札幌の行き来が多いですね。
(この小説の感触は?)面白いと思う。1回朗読したら受けたし、皆笑っていた。
(趣味は?)パチンコと競馬