長澤沙也加🦩
日記まとめ
お知らせがあります。
文章を書きます。
小説作品をまとめました。
作った詩をまとめました。
2025年5月の文学フリマ東京40で出される「汀心 vol.2 生命について」に、参加させていただきます。 お誘いいただき、本当にうれしく、感謝しています。 わたしを含め、参加が決まっている寄稿者のみなさまのプロフィールとコメントを、あくたんさんがnoteに載せてくれましたので、読んでいただけるとうれしいです。 よろしくお願いします。
少し、note休みます。 勉強と読書と創作を頑張ります。 Xも、休みますが、DMやお知らせは必ず見ますので、よろしくお願いします。 また、日記や作品ができたら、投稿します。 いつも読んでいただきありがとうございます。
怪談を話す怪談師の人たちは、SNSで怪談を募集している。 怪談を話す人には、霊感がある人もない人もいて、ない人でも不思議な体験をしたことがある人もいるけれど、自分の体験だけでは限りがあるので、常に新しい怪談が必要になるのだろう。 怖い話、不思議な話をいろいろ聞いていると、ごく一部でしか行われていない儀式とか信仰が、意外とあることを知った。 昔の人は、地域のそういう習わしを、歩いて自分で話を聞きに行くしかなかったけれど、今はSNSで募集することができるし、わたしは怪談師
呪物の話を動画で観ていて、思い出したことがある。 わたしが、小学校低学年のときだったと思うんだけど、おばあちゃんのうちに、ガラスケースに入った日本人形があって、わたしは、その人形が、すごく好きだった。 その好きは、普通の、人形に対する好きではなくて、もっと強い好きだったというのが、子どもの自分の心を思うとき、不思議な、少し異様なぐらいな、好き、として、思い出される。 おばあちゃんの家に行くたびに、わたしは、その人形がある部屋に入って、ずっと眺めていた。 ある日、弟が
娘が、部屋の中で、すてん、と転んだ。 転んだ、と言っても、本当にすてん、という感じで、軽く、けがは絶対にないと、見ていたわたしは娘を見ていた。 フローリングの床で、仰向けに転んだ娘は、なんの声も上げず、すぐに立ち上がろうとせず、ぼうっと、天井を見ている。 天井に、なにかいるのだろうかと思うほど、一点を見つめ、仰向けに転んだ、そのままの体勢で、じいっとしている。 猫人間、という、そんな感じがする、数秒の、娘が転んで仰向けに倒れてじっとしている時間、数秒だったはずなのだ
はにわについて、たくさん見ているわけではないけれど、はにわがテレビや雑誌に出てきたり、飾られているのを見ると、はにわだ、と思う。 はにわや、昔の人が作った土器とか、壁画とかを見て、わたしが子どものころは、こんなに精密なものが作れてすごいなあ、という気持ちがあったのだと思う。忘れてしまったけれど。 昔の人が作った、はにわとか、土器とか、壁画とかを、今見て思うのは、昔も今もいちどきに今あるのであって、今現在が進化している今、というわけでもなく、過去から進化、とすると、なんだ
子どものころ、タイプライターみたいなおもちゃを買ってもらったことがある。 自分が考えた文章が、ハンコみたいにして小さい文字で紙に打たれ、そのころはわからなかったけどそれは「活字になる」ということで、「活字になる」は子どものわたしにとってもよろこびと気持ち良さがあって、たくさん文章を打った。 昔の小説家や詩人のみなさんは、はじめ手書きで、そのあと活字になるから、今よりすごく「活字になる」の感動があったのだろうな。 現代に暮らしているわたしは、家庭で気軽にプリントアウトし
YouTubeで、病気で死にかけた人が話していた。 その人は、肺に水が溜まって、息が苦しくてもう本当に死にそうだった。 病室にいて、それで、そこで悟ったのだと言って、 悟るとどうなるかわかる? と、聞き手の人に尋ねる。 わからない、と聞き手は答え、わたしも、わからない、と思う。 死にかけてわかってんけど、欲がなくなってくねん。 食欲がなくなる、YouTube10万人いくとかどうでもよくなくなる、性欲もなくなる、で、どうなるか、わかる? わからん。(わ
近所のスーパーに、セルフレジができた。 車を混んでいる道で運転するのが怖くて、スーパーにも混む前にと、開店してすぐに行くようにしている。 スーパーは、ショッピングモールの中にあり、それで、わたしは開店数分前に着いて、自動ドアーが開いたと同時に入ると、各店舗の店員さんたちが店先に立っていて、いらっしゃいませー、とお辞儀をしてくれるんだけど、その姿を見るといつも、ただ早く来店しただけでなにもしていないのに、お辞儀をしてもらって申し訳ない気持ちになる。 スーパーも、開店直後
中学生のときテニス部に所属していて、仲のいい4人組で、学校の裏にあった市の運動場でよく練習をしていた。 コートのベンチに座り、休憩しているときは、4人でいつもたあいない話をしていた。 4人の中で、誰が一番に結婚するのか、ある日そんな話で盛り上がった。 〇〇ちゃんは遅そう、〇〇ちゃんは意外と早そう、なんの根拠もなかったけれど、みんなで予想をし合って、わたしは、みんなから、結婚が早そう、と言われた。 将来生まれてくる子どもの名前を考えよう、ということになった。 絵が得
詩を書きはじめて1年になった。 小説を書きはじめたときにも、自分が小説を書くようになるとは思っていなかったけれど、詩も、自分が詩を書くとは思っていなかったので、1年続いて、よかった。 詩を書くのがとても楽しい、とても難しくもあるけれど、これからも続けられたらいいな。 今、エッセイも公募に出している。エッセイと詩は、真逆という感じで、その真ん中に、小説があると、個人的には感じている。 エッセイーーー小説ーーー詩 という感じで、音量調節みたいなつまみがあって、そ
昨日、テレビですごく厨房が狭い食べ物屋さんのことをやっていて、それを観ながら、わたしも昔すごく厨房が狭いお店で働いていたことを思い出した。 そこはパン屋さんだったんだけど、カレーパンに入れるカレーとか、サンドイッチに挟む具とかを、全部手作りしていたから、厨房にはコンロもフライヤーもあって、他にパン窯とかミキサーもあって、狭い厨房に常に10人ぐらいが忙しく働いていた。 ある日、わたしは、大きな鍋の横でしゃがんで作業をしていて、その鍋は火は切ってあるけど今しがたまでぐつぐつ
現代詩手帖の11月号の新人作品で「スポットライト」という詩を、杉本徹さんに佳作に選んでいただきました。 川口晴美さんとの対談合評の中でも名前をあげていただき、とてもうれしく、励みになります。ありがとうございます。 現代詩手帖の11月号は新鋭詩集が特集されていて、読み始めたのだけど、とても面白いですね。言葉って、なんでこんなに面白いのだろう。台湾同志詩も特集されていて、読むのが楽しみ。 言葉、面白い。 呪物、楽しい。 いつもよりちょっと値段が高めのスティックコーヒ
過去に行われた呪物展の動画を観ていた。 グッズとして、呪いの置物をプリントした抱き枕やぬいぐるみが販売されている。 呪物コレクターが呪物を持っている写真が飾られている。 呪物展に際し、さまざまな呪物の画像を編集していたところ、画面が変な具合にフリーズして、これは呪いかもしれない、とその画像をスクショして、Tシャツにしたものも販売されている。 呪物側も、スクショされてTシャツにされるとは、思いもよらなかったのではないか。 わたしはゲゲゲの鬼太郎の歌を思い出した。
ブラッドピットが、スプーンでピーナッツバターをすくって舐めている映画があったはずだ、確か、ジョージクルーニーによろしく、みたいなタイトルだった。 と、いうのを、昨日コーヒーをいれながら思い出して、調べたら、映画のタイトルは「ジョー・ブラックをよろしく」だった。おしい。 ピーナッツバターは、甘くなくて粒を砕いたのが入っているのが好きなんだけど、おそらく、ここ5、6年ぐらい、わたしはピーナッツバターを食べていない。 ピーナッツバターを、スプーンですくってそのまま食べるのは
呪物を集めている人の動画を観ている。 わたしは、呪物をほしいとは思わないけど、呪物を集めている人を見るのは面白い。 見ると死ぬ絵とか、持っていると悪いことが起こる置物とか、そういうものを好んで集めるというのは、気持ちがわからなくもない。 普通に生きていると、大概の人は、不思議な体験をしたり、幽霊を見たりとか、そういうことはほとんどないと思うけど、呪物というのは、それ自体が不思議な物なので、持っているだけで非日常という感じがする。 本当に怖いことが起こるのは嫌だけど、