最近、私はようやく気かついた。 怒りとは、悲しみと甘え。ではないのかと。 期待するなら、自分だけにしなくてはいけない。 年齢的なものなのだろうか、毎日本気で仏道に学ぶ。
朝活をはじめた。 目が良いうちにたくさん読経、二十八品を読みすすめている。 朝6時半に始めて、気づいたら7時半なので、明日はもう少し切り上げて始めようかな。 登場する菩薩や如来の姿がより具体的に理解できるようになる(気がする) 解るまで読み唱える
自分から縁を掴まない人、自分で縁を壊す人。 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話は聞いたことがあると思いますが、世界各国に似たような話がバリエーション豊富に存在する。 仏が見えない 仏の慈悲がわからない 仏縁がうすいなぁと思う所以です。 (人の縁もうすいなぁと)
実は学問も同様で、「学」とつくものを学ぶ時は必ず師から概論をまず学ぶ。 定義や認識が共通でなければこれもなにかおかしなものに変じていくし、そもそも師がいなければ学ぶスタートラインに立てる機会もない。
苦しければ苦しいほど 仏道がはかどる(苦笑)