仏教とゲーム理論
はじめに
自己紹介
本日もご覧いただきありがとうございます。
私はお金持ちを目指す北海道住み22歳大学生です。
文章を書く練習と頭の整理を目的に不定期にブログを更新しています。
最近は毎日ブログ更新しています。
読む価値のある文章を意識してブログを書いていますので、
もしお時間ありましたら是非読んでほしいです。
100均にMagSafeのマグネット売ってた。
現在、AndroidのZTE nubia Ivyという物を使用しています。
以前はIphone15を使用していたのですが、身の丈に合わないので自戒の意味も込めてIijmioでセールだったので変更しました。
Iijmioではセールをよくやっていて乗り換えると本当に安くスマートフォンを利用できるのでおすすめです。
確かに1日のうちの多くの時間をスマホを利用しているので、そこにはお金をかけたほうが良いというのも納得できますが、私自身はパソコンのほうが利用する点とスマホを利用している時間というのは比較的時間を浪費に費やしているだけだと最近思ったので心機一転Androidにしました。
Androidの良くない点というのはカバーなどのアクセサリーの少なさです。
どうせ選択肢もないので一番安くシンプルなカバーを選びました。
ZTE nubia Ivyというのはおサイフケータイがついていて個人的にはかなり満足なのですが、そのおサイフケータイの反応速度がちょっと遅いんです。
Iphoneと比較しているのでかなり可哀想ですが、ちょっとラグい。
ということでタッチ決済できるカードをカバーに入れたかったのですが、アクセサリーの少なく中々良いのが見つかりませんでした。
ということでMagSafeのマグネットシールをカバーにつけてカードケースをつけようと思いました。
Amazonで上記のようなマグネットシールを買おうか迷っていたのですが、今日家のスポンジがなくなるので買い足しに言ったところこのマグネットシールが売っているではないですか。
110円ということで買おうと思いましたが妥協点はありました。
まず、包装からはマグネットの色が見えない。
そして、磁力がどれぐらいなのかわからない。
しかし、買いました。
色は金属らしいシルバーでした。残念ですがかなり目立ちます。
しかし、カードケースをつければ気にならないんじゃないかなと思います。
そして、磁力というのも恐らくはカードケース側に由来すると思います。
なんて言ってもただの鉄のプレートですから。
ということでMagSafeを試してみたい方100均のもおすすめです。
カードケースは以下の物を購入する予定です。
そのときに磁力などもお伝えできればなと思います。
仏道というのはゲーム理論の解の一つ
ゲーム理論について
ゲーム理論というのは経済学の中の学問のテーマの一つです。
「囚人のジレンマ」などが有名ですが、要すると個人が利益を追求することと社会の総利益の増加というのがコンフリクトするということです。
地球温暖化というのも一つの良い例です。
各個人が自身の快適性や金儲けというのに走る結果、地球の環境汚染やCO2の発生を引き起こし、地球全体で考えた際に最も全員が損をする結果に行き着いてしまうというものです。
これらに対して、ある種のルールや条件付けをすることでその結果を変えようというのがゲーム理論の大雑把な説明になります。
私自身は専攻でもなんでもないので詳しくはゲーム理論に関する本など沢山出版されていますから是非読んでください。
仏道とゲーム理論の関係
今話題のゲーム理論と仏道に関係があるのかと言われれば概ねNoと答えると思います。
しかし、仏道を含めた宗教というのは社会を守るためのある種上手な条件付けと言えると思います。
例えば、なにか欲しいものがあったとき最も簡単に手に入れるには人から奪う、盗むというのが挙げられると思います。
もしかしたら、心のきれいな方には思いもつかないでしょうが。
しかし、社会のルールとしてそれを禁止とするのは強盗や万引きが多発する社会では公共の利益(社会全体の総利益)が確実に下がるというのが共通認識としてあるからだと思います。
その個人に対する条件付けというのは法律やルール、マナーなどありますが仏道などの宗教観というのが根幹にあるはずです。
法律やルールというのはほとんどすべての人がそのルールに同意して初めて効力を持ちます。たった一人がその法律やルールの正当性を唱えても社会全体には浸透しませんから。
そういった意味で公共の利益が最大化されることを個人の利益の追求よりも重要なものとして社会全体に共有化できる仏道を含めた宗教というのは中々素晴らしい発明だなと思います。
仏道と他の宗教の違い
日本というのはかなり特殊な国で世界全体で起こる災害の約20%はここ日本で起こると言われています。
この事が神への信仰への一つのハードルとなっているのだと思います。
仏道では、信仰対象は神ではなく、仏すなわち人間です。
仏道を極めると自分自身が仏になれるのです。
言うなれば、イスラームやキリストが絶対的な神である中で仏道というのは可変性を持ち、自分自身に責任を生じさせます。
絶対的な神では災害の多い国では度々起こる経典にはない例外的な事柄に対しての判断は類推するほかなりません。
イスラム教ではお酒は概ね禁止ですが、タバコは大丈夫となっています。
これはイスラーム経典が書かれた際にまだタバコが存在しなかったことに由来するのです。
要するに定義されていないものに対しては公共の利益の最大化という側面で無力化してしまいます。
一方で災害大国日本ではその例外に対する対応力という方が他の宗教の分かりやすさよりも受け入れられる理由になったのだと思います。
不安定化した社会でこそ宗教を
不安定化した社会では、自分の価値観を定める材料というのが非常に重要になってきます。
例えば、今までは子どもを持ってマイホームを持って家族団らんで暮らしていく。
こんな感じのいわゆる固定化され、共通化された幸福論というのが安定化した社会では存在しますが、不安定化した社会ではあぶれる人が多く、幸福になれない人々というのが多く生じてしまいます。
そんな社会では自分自身の中に価値観を見出し、幸福を見つけ出す必要があります。
大変かと言われればそうでもないような気がします。
個人的には固定化された共有化された幸福論がはびこる社会の方が生きにくい気がするのでいいんじゃないかなと思います。
だからこそ、自分が大切にしたいと思えることを見つけ出してほしいなと思います。
もし見つからなかったら、仏教に関する本でも読むと良いと思います。
生きるうえで大切にすべきことを教えてくれる事が多くあります。
最後に
今回は宗教に触れた内容を書きました。私自身は宗教について興味関心は人よりあり、少々本などを読みますが専門家でもなんでもないので私のブログの内容を鵜呑みにしないように注意してほしいなと思います。
それでも、仏教の考えというのは生きる武器として嗜んだ方がいいと思っています。
特に死生観というのはあまり人話すことではないですが、やはりはやめに触れて考えたほうがいいものだと思っているのでぜひそういう本読んでみてほしいなと思います。