狛狗のあしあと
閲覧注意です。
我が家の三尊のうちの1つ、弁天さまに関する記事です。
「乳飲み子をやめなさい。乳飲み子を演じるのをやめなさい」 「乳飲み子」というのは、言葉も話せず、思う通りに体をうごかしたりができません。 泣いて喚いて自分の要求を満たさなければ生きていけないからです。赤ちゃんは泣くのが仕事。それは成長するためです。 ですが、大人になっても乳飲み子を演じている者もいます。 「お願いします」「困っているから助けてほしい」と素直に伝え、礼を返せるならよい。 そうではなく、感情や欲求を周囲の人間を利用して願望を満たそうとする。 しかし、与えられ
先日の偽物ですが取引のキャンセルができました。✌
私の父は幼い頃に亡くなった。それからは、夢でしか父に会えず、父が帰ってきた、父が戻ってきた、そんな夢を時たま見ては目覚めて寂しい気持ちになっていた。 父といった見覚えのある景色 父が暮らしていた痕跡のある部屋 父に会えたとおもったら、 一瞬だけ姿を見せて見失う 私は父が大好きだったから、起きるたびに切なさが残っていた。そして、現実では父は亡くなったと受け入れている。ぽっかりした気持ちは、大人になっても乗り越えられなかった。 その寂しさが残る夢をみなくなったのは夫と知り合
地に足をつける 現実を捉えて生きる 生きることをシンプルにしたら 「すごい自分」でも「えらい自分」でも「優れた自分」でもなく、ただの人間になることだろうとおもう。 それは弱いこと? いちばん弱くて無防備かもしれないけれど、 それで足を踏ん張るのだから、一番強い姿だ
人によって態度を変える人から好かれる事に、価値があると誤認している人がいる。一歩広い世界に出たら、人によって態度を変えるような人はただの「不誠実」な人。 そんな人からどうとも思われたくないし、小さなコミュニティで威張っててもまったく偉いと思わない。けどまあ、ムカつくヤツよな☺️
今回の選挙、自民党の獲得議席が減ったのは石破総理のせいではなく、岸田元総理のあのラストスパートのような悪政の結果のように思いますが、岸田時代はとんでもないことばかりでしたね。利権漁り、補助金ビジネス、詐欺まがいが横行、治安も悪くなって………嘆いても仕方ないので選挙いきましたけど!
職場の環境は、優しさや思いやりでつくるのではなく、労働安全衛生法を基準にルールを作れば自然と優しさと思いやりのある職場の雰囲気になっていく。 最近知った事実でした。
大黒天のご利益話。 大黒天は、商売繁盛、財運、そして家内安全の神様として、古くから日本で信仰されてきました。 多くの人々が、大黒天にお金や仕事、災難からの守護を願い、日々祈りを捧げます。 長い間、大黒天に対して「この苦しい状況をなんとかしてください」「お金が欲しい」「仕事が欲しい」「災難に遭いませんように」と祈り続けてきました。 しかし、ある瞬間にふと、それが違っていたのではないかと気づいたのです。 大黒天のお姿を真剣に見つめる 大黒天の像をじっくりと見つめていると、大黒
心理的問題とラベリングの影響 近年、SNSやメッセージアプリを通じて、多くの人が自分のメンタルヘルスについて語る場面が増えてきました。 とくに、うつ病や不安障害といった精神的な病気についての情報が広がる中で、共感を得ることや情報を共有することが、同じ悩みを持つ人々にとって支えになっています。 しかし、その過程で新たな問題も見えてきます。ある自助サークルで見られた、病名に意識が強く向かう現象について考えてみたいと思います。 仕事が辛いから「うつ病が辛い」へ ある自助サ
数日前から私の気持ちがいっぱいになってしまい、夫もピンチに。ついに袋が弾け飛ぶのかというこのタイミング。 たくさん愚痴をこぼし、弱音を吐き出し、相手も自分も追い詰めてしまい… そんなときに。え?いま? このタイミングで顔が歪み始めた。 わーなんかきたー。 こうゆうときは大抵なんかきてるときだ。だいたい御眷属さんだったり、なんかよく分からないけど、神道系の神仏はこうなるきがする。 結局、特に大した神託はなく、ただ一言。 「喜べ」「歓べ」「慶べ」 よ ろ こ べ そ
「体は少しずつ回復するからいまは辛いけど一つ一つやろう」といってるのに、「〇〇ができない」「辛い、できない」とばかりぼやく。「時間がかかっても体は回復する」ことを言ってるのだけど、相手は今できないことでこの先全てが絶望で、全然噛み合わない。 逆さまにして振り回してやりたい。
「この状況は長くは続かない」ことを知ってるのでそんなときは「待つ」「耐える」「小さく行動」の手段を取る。 この辛い状況が長く続かない、と信じられるのは行動によって変わることを知っているから。 行動(待つこともそう)することで時間が進む。時間が進めば未来が見える。それが「光明」だ。
「わたしはあとどれくらい頑張らないといけないの?」という悲鳴をあげそうになってるのも事実。
「穢れ」「不浄」にまとわりつかれる。 気枯れ、汚れともいうかもしれない。 気枯れした者は他人も枯れさせる。 そんなときに、六根清浄の言葉を思い出す。 目に諸々の不浄を見て 心に諸々の不浄を見ず 耳に諸々の不浄を聞きて 心に諸々の不浄を聞かず 鼻に諸々の不浄を嗅ぎて 心に諸々の不浄を嗅がず 口に諸々の不浄を言いて 心に諸々の不浄を言わず 身に諸々の不浄を触れて 心に諸々の不浄を触れず 意に諸々の不浄を思いて 心に諸々の不浄を思わず 自分の中にぴしっと線を張り、守ることがで
誰もわかってくれない、と思う人と話すことがキツイ。解決策を求めてるのではないことはわかる。延々ネガティブを受け止めるのは難しい。私ならこうするという“解決策”をだすけど、それは「うけとめきれない」という自分のサインなのだ。受け止めるってなんだ?コツある?
イベントでよさこいダンス呼んで誤魔化すのもやめてほしい。よさこいを名乗らせないで、素直にダンスって言えって。