圓学法師
浄土真宗の僧侶・歌人。煩悩具足の凡夫。
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最近の記事
清貧の美学、中世の隠者に学ぶ心の豊かさ:The Aesthetics of “Seihin”.Learning from Medieval Hermits
はじめに 「清貧(せいひん)」という言葉は、物質的な豊かさよりも精神的な充足を重視する生き方を指します。お金や物に依存せず、シンプルで心の豊かさを大切にする清貧の精神は、現代社会でも重要な価値を持っています。この考え方は、特に中世の隠者たちや仏教徒の間で広く受け入れられ、和歌を通じて深く表現されてきました。この記事では、清貧の精神と中世の文化的背景を探り、その結論として「和歌を詠む」ことの意義に焦点を当てます。 中世の隠者と清貧の精神 中世の日本では、多くの隠者が物質的
無常感を和歌で表現する:Expressing the Sense of Impermanence through Waka
日々の生活の中で、私たちはさまざまな変化に直面しています。季節の移り変わりや、人々との出会いと別れ、さらには自分自身の心の変化など、常に変わりゆく世界に生きています。この変化を受け入れる心のあり方、すなわち「無常感」は、和歌においても深く表現されてきました。 和歌は短い形式の中で、儚さや一瞬の美しさを捉えることができる詩です。そして、この儚さこそが無常感を表現する重要な要素です。無常とは、すべてのものが変わりゆくことを指し、仏教の教えでも重要視されている概念です。 秋に感
和歌と仏道の共通点について:On the Commonality Between Waka and the Buddhist Path
和歌と仏道、一見すると異なる道のように思えますが、実際には深い共通点を持っています。どちらも日本の文化や精神性を支えてきたものであり、人々の心を育み、人生の意味を問い続ける道です。今回は、和歌と仏道の共通点について考えてみたいと思います。 1. 無常観の共有 仏教の教えの中核には、「無常観」があります。すべてのものは常に変化し、やがて消えていくというこの考え方は、仏道の基本です。同様に、和歌においても無常の感覚は非常に重要です。和歌は、季節の移ろいや人生の儚さを詠むことで