しじゅうくにち旅物語
第六話 弥勒菩薩(六七日むなぬか)
クンクン
くんくん
お線香の香りがいっそう強く匂います。
良い匂いだなぁ....
香りを嗅いでいるととても良い気持ちになり心地良い気分になります。
はて?私はこんなにお線香の匂いが好きだっただろうか?と、不思議な気分になりました。
ぼんやりとした光がはっきり見えるようになって来ました。
その光の中に人影のようなものが現れました。
少し慌てましたが、どなたかいらっしゃるとは閻魔大王さまもおっしゃっていたのでじっとその人影を見つめていると、
その人影が話しかけてきました。
私は弥勒菩薩(みろくぼさつ)といいます。
未だ修行に出ているので姿を現すことは出来ませんが、この世に戻れるのは56億7,000万年後、ただ、貴方が仏道を歩み始めたと聞き私の声が届くようにしてもらったのです。
そうだったんですか!
56億7,000万年?気が遠くなりそうな数字です。そんな偉い方が私の為に....
申し訳ありません、と深々とお辞儀をしました。
貴方は閻魔大王の裁きを受け、地蔵菩薩さまに助けられてここにいます、間違いありませんか?
はい、おっしゃる通りでございます。
貴方がこの世に来てちょうど42日になります。49日までもうあと残り7日となりましたね。
そうなんですね、日にちの感覚が無くて...と答えると
匂いに気付いているとは思いますが、強く匂ってると思いませんか?
はい、お線香の良い匂いが強く香ります。
この匂いはお線香ですが、貴方の現生での家族と呼ばれる方々が貴方がこの旅の間中、絶やさずに焚いてくれているのです。貴方が迷わぬように、お腹が空かないように、と毎晩お経をお唱えしてくれているのですよ。
おぉー...涙が溢れてきました。
なんと有り難いことだろう....,手を合わせ拝むように何度も何度もお辞儀をしました。
おん まいたれいや そわか
おん まいたれいや そわか....
あ、何か聞こえます。
聞こえましたか?これは私への「真言」といいます。67日(むなぬか)のお経なのです。
貴方の生前に一緒にいた人達が貴方がちゃんと迷わずに仏道を歩めるように祈っているのですよ。
なんと、なんと....私のために....
貴方はご縁があった「ご家族」の慈悲に支えられてここまで辿り着いたのです。
それを忘れてはいけません。
誰もが魂だけになって何も縛りもなく本当に自由になった時、どうして良いのか分からずに迷うもの
けれど5人の御尊格に出会い、仏道へと導かれ悟りを開き「空(くう)」の心境で修行の歩みを始めます。
確かに最初は何がなんだか分からずに歩いていました。けれど歩いて行くうちにだんだん身体が軽くなり、気持ちも軽くなって着ているものまで変わりました。
もう自分が生前なにをしていたのかすら記憶が曖昧なんです.....
あんなに私の為に祈ってくれている家族が居たと言うのに...と悲しくなりました。
それは貴方が仏としてそこに存在しているからなのです、決して貴方は薄情な方ではありません。
きっと貴方がこれから歩んで行く段階で現世でのご家族の事もちゃんと思い出せます、ただ、貴方は貴方のご縁のあったご家族の為だけに仏になったのではありません。人道に生きる全ての人達を救う為に仏になられたのです。
全ての人達の為に....
そうです、貴方は仏様なのです。そこに何の隔たりもありません。
私は貴方に授記(じゅき)を、仏様となった貴方に最後の授けを届けに影になって貴方の前に現れたのです。
最後の授け.....
私は仏様になれたのでしょうか。
もうここに居ることで仏様として認められたという事です。
もっと自覚を持ち何も考えず経を唱え続けなさい、もっと悟りを開き、教えを守りなさい。
経はもう覚えているでしょう?
え?あ、そう言えば....歩いている間ずっとお経をお唱えしていました。でもなぜ?いつ覚えたんだろう....
文殊菩薩さまにお会いになった時に経典を翳されませんでしたか?
はい、ぱらぱらと....
そうです、貴方はこの旅の間に知らずに仏道を目指し歩いて来られたのですよ。
そうだったのか.....
もう迷いはありませんね?
しっかりと仏道を歩み導く立場になられたことを自覚することを約束出来ますね?
はい、お約束致します。
本当にありがとうございました。
守りたい人達の為にも良い仏様になられてください。
はい、弥勒菩薩さま本当にありがとうございました。とまた深々とお辞儀をしました。
それでは良い旅を。
もうすぐですよ、光が貴方を待っています。
はい、ありがとうございました。
顔を上げるともう人影はなくぼやーっと光があるだけでした。
仏様は立ち上がり、今までとは違う足取りで経を唱えながら進んで行きました。