五蘊(Ryohei Saito)
『正法眼蔵』について書いた記事です。
《「山」にも宝に蔵れる「山」があり、小さな川に蔵れる「山」があり、空に蔵れる「山」があり、「山」に蔵れる「山」がある。「蔵」に「山」が蔵れる参学がある。》 蔵れる「山」 ここでいう「蔵れる」というのは、本質として収められている、包み込まれているといった意味である。つまり宝に蔵れる「山」というのは、三宝(仏法僧)のなかに「山」(法身)の本質があるということだろう。 沢(小さな川)に蔵れる「山」とは、『荘子』(大宗師篇)からの引用らしいが、ここでは、つねに移り変わる小さな川
《世界に水があるというだけではなく、「水界」に世界がある。「水中」がこのようであるだけではなく、「雲中」にも衆生の世界はあり、「風中」にも衆生の世界はあり、「地中」にも衆生の世界はある。宇宙全体のなかにも衆生の世界はあり、一茎の草のなかにも衆生の世界はあり、一本の拄杖のなかにも衆生の世界がある。衆生の世界があるということは、そのところに必ず仏祖の世界がある。このような道理をよくよく参学すべきである。》 縁起の世界 真如のはたらきである「水」(仏性)の世界、それは仏界である
《あるいは昔からの賢人や聖人のなかには、あるがままに「水」に住む者もいる。「水」に住むとき、魚を釣ることがあり、人を釣ることがあり、「道」を釣ることがある。これはみな古来「水中」の風流である。さらに進んで自己を釣ることがあるはずだし、「釣り」そのものを釣ることがあるはずだし、「釣り」に釣られることがあるはずだし、「道」に釣られることがあるはずである。》 「水中」の風流 仏祖の住む「家」は「山中」であった。ここでは「水中」である。もちろんこの「水」は仏性、つまり真如である〈
《通常「山」は国の境界に属していると言われるとしても、「山」を愛する人に属しているのである。「山」は必ずその主を愛するが、そのとき聖人や賢人などの高徳の人は山に入るのである。聖人や賢人が山に住むとき、山はこの人に属するゆえに、樹や石は鬱蒼と繁茂し、鳥や獣も霊妙で優れているのである。これは聖人や賢人の徳の恩恵を受けているからである。わかるはずである、「山」は賢なるものを愛するという事実があり、聖なるものを愛するという事実があるということが。》 「山」と山(やま) ここでは法
《「山」は古今を超えた久遠より偉大な聖人の居るところである。賢人や聖人はみな「山」を奥深い住まいとし、「山」を身心としている。賢人や聖人によって「山」は現成するのである。およそ「山」は、どれくらい多くの偉大な聖人や賢人が入り集まっているのだろうと思われるけれども、「山」に入ってしまってからは、そこには一人も出会う者などいない。ただ「山」のはたらきが現成するだけであり、入ってきた痕跡がなお残っているなどということは決してない。この世界において山を眺める時節と、「山中」において「
《今、人間界では、海のこころ、江河のこころを、深く水と知見しているといっても、龍魚などがいかなるものをもって水と知見し、水として使用しているのかといまだ知らず、愚かにも自分が水と知見しているのを、どの生き物も水として用いているのであろうと認識することがあってはならない。今、仏道を学ぶ者たちは、「水」をならおうとするとき、一様に人間界の水のみに滞るべきではない。さらに進んで仏道の「水」を参学するべきである。仏祖の用いるところの「水」は、自分はこれを何として見ているものなのかと参
《そうであるから、龍魚が水を宮殿と見るとき、それは人が宮殿を見るようであるはずであり、決して流れ行くものと知見するはずはない。もし外側から観ているものがいて、龍魚に向かって「あなたが宮殿と見ているものは流れる水なのだ」と説こうものなら、われわれが今「山が流れる」ということばを聞くときのように、龍魚はたちまち驚き疑うはずである。そのうえに宮殿・楼閣の欄干や階や柱は、このように説かれることがあると受け持っていくこともあるかもしれない。このような理解のあり方を、じっくりと考え抜いて
《そうであればすなわち、「水」は上にのぼらないというのは、仏教および仏教外の典籍にも見られない。「水の道」は上下縦横に通じ達するのである。そうであるが、仏の経典のなかに、「火風は上にのぼり、地水は下にくだる」とある。この上下については、参学するところがある。いわゆる仏道における上下を参学するのである。いわゆる地・水の行くところを「下」とするのである。(空間的な意味での)下方を地・水の行くところとするのではない。火・風の行くところは「上」である。世界は必ずしも上下や東西南北とい
《「水は地に下り江河をなす」。知るべきである。水が「地に下る」というはたらきをするとき、「江河」をなすのである。江河の精妙なるはたらきが賢人となる。昨今の凡庸で愚かな者たちの思うには、水は必ず江河や海や川にあるものだと思っている。そうではなく、「水」のなかに江河や海をなしているのだ。そうであれば、江河や海ではないところにも「水」はあり、「水」が地に下るとき、江河や海の功徳をなすだけなのだ。》 仏性の「海」と「江河」 「水」は仏性、つまり〈いのち〉のはたらきである。「水」が
《『文子』にいわく、「水の道は、天に上っては雨露をなす。地に下っては江河をなす」。 今、出家でない者が言うところも、なおこのようである。仏祖の児孫を名乗ろうとする者が、出家でない者よりも道理が分かっていないのは最も恥ずべきである。いわく、「水の道」は水が対象として認識するものではないけれども、水はみごとに自らのはたらきを実現する。水は「道」を知らないのではないのだけれども、水はみごとに自らのはたらきを実現するのである。》 「水の道」 以下、『文子』の一節から「水の道」に
《仏が言うに、「一切のもろもろの存在たちは、究極のところ、解脱しているのであり、固定したものとして住まるところがない。」と。 知るべきである。(現象としては)解脱していて、何かに繋ぎ縛られることはないといっても、もろもろの存在は法(ダルマ)という在り方で住している(法住法位)。そうであるが、人間が水を見るのに、(川のように)流れてとどまることがないと見るひとつの見方がある。その「流れる」ということにもいろいろな場合があり、これは人の見方による一端にすぎない。水は地を流れ通り
以下、唯識の「一水四見」のたとえを用いながら、「水」についてのさらなる参究が続く。(これ以降、一節一節が長いので、一挙に訳していく感じで書いていこうと思う。そうでないと終わらない…汗) 《一般に「山水」を見ることには、衆生の種類にしたがって違いがある。いわゆる水を見るときに瓔珞(きらびやかな飾り)と見るもの(=天人)がいる。そうではあるけれども、天人は瓔珞を水と見るのではない。われわれ人間が何と見ている形象を彼ら(天人)は水とするのか。彼ら(天人)にとっての瓔珞は、わたし(
「水は強弱にあらず、湿乾にあらず、動静にあらず、冷煖にあらず、有無にあらず、迷悟にあらざるなり。」 《「水」は強いものでも弱いものではなく、湿ったものでも乾いたものでもなく、動くものでも静かなものでもなく、冷たいものでも温かいものでもなく、有るのでも無いのでもなく、迷いでも悟りでもない。》 「水」(仏性、法性、虚空…)は現象世界において人間(自我)が経験しているような二元性(強弱、動静、迷悟…)によっては捉えられない。というのも、それは経験以前の、経験を経験たらしめている
「しるべし、この『東山水上行』は仏祖の骨髄なり、諸水は東山の脚下に現成せり。」 《知るべきである。この「東山水上行」は仏祖の骨髄なのである。もろもろの「水」は「東山」の脚下に現成するのだ。》 仏祖の骨髄は、「東山水上行」という修証そのものである。もろもろの「水」、つまり仏性は、仏祖の骨髄を体現するもの(=東山)の具体的な修証のなか(=脚下)に現成するということだろう。仏性は誰もが本来もっているのだから、何もしなくてもそれに気づくだけで自然と現れるなどということはありえない
ここからはしばらく、当時の中国(宋の時代)における禅に対する厳しい批判が続く。それはいわゆる「不立文字」的な禅の考えに対する根本的な異議申し立てである。長いので、一文ずつ当たるのではなく一挙に訳してみる。 《今現在、宋の国に、いいかげんなことを言っているやからの一類があり、今は群れをなしている。その間違いは小実(=多言を弄するより、小さな事実を示すことにより迷いを晴らすこと)では撃破することはできないものである。かれらが言うに「今の『東山水上行』の話、および南泉の『鎌子』の
「雲門匡真大師いはく、『東山水上行』」。 「雲門匡真大師」とは雲門宗の祖である雲門文偃(864~949年)のこと。「日日是好日」など有名な禅語を残しているが、「東山水上行」もそのひとつである。 「この道現成の宗旨は、諸山は『東山』なり、一切の東山は『水上行』なり。」 《このことばの本当の意味は、もろもろの山は「東山」であり、一切の東山は「水の上を流れ行く」のである。》 「諸山」というのは諸仏(仏祖たち)のことであるが、それは「山」という本来の自己に完全に目覚めた者のこ