禅の道(56)目的は何ですか?
禅の道とは何を目指す道か
江戸時代から続く「檀家制度」は、多くの寺院とその住職にとって重要な基盤であり、地域の人々との結びつきを強め、葬祭や法事を中心に仏教を継承してきました。しかしその一方で、寺院は檀家の供養を行う“職業的僧侶”としての側面が強まり、本来の仏教、特に禅の目指す「道」とは異なる方向へ歩むことも少なくありません。
では、禅の道とは何を目指しているのでしょうか。それは、表面的な行事や役割に縛られることなく、「質素に、静かに、慎ましく」生きることです。言葉を換えれば、それは“仏道”そのものへの帰り道と言えるでしょう。
檀家制度と職業的僧侶の役割
檀家制度のもとでは、僧侶は檀家との関わりを大切にし、現世利益や供養を通じて地域社会に貢献してきました。江戸時代には寺請制度が導入され、すべての人がどこかの寺院の檀家になることが義務付けられました。結果として、僧侶は信仰の指導者というより、家族や先祖の供養を行う職業的な存在として位置づけられたのです。
もちろん、檀家制度は時代の中で大きな役割を果たしました。しかしその中で、僧侶の生活は安定し、信教そのものや修行の意味合いが薄れてしまったことも否めません。これにより、「仏道を歩む」本来の姿が霞んでしまったように強く感じています。
禅の道が目指すもの
禅の本質は、供養や形式にとらわれず、「今、この瞬間を生きること」にあります。禅の道とは、静かな暮らしの中で己を見つめ、無駄を削ぎ落とし、自然に還っていく道です。そこには派手さや装飾は必要ありません。
禅は「質素」です。無駄なものを持たず、欲望を抑え、自分の心に正直に生きる姿勢を養います。禅の修行では、余計な思考やこだわりを捨て、ただ坐る「只管打坐(しかんたざ)」が基本です。坐禅を通じて、自分自身の内側に深く入り込み、自然と共にある真の自分に気づいていきます。
禅は「静か」です。都会の喧騒や忙しい日常から離れ、静けさの中で本当の豊かさを見つけるのです。何もないこと、静かであることこそが、心の安定と満ち足りた人生を与えてくれます。
禅は「慎ましい」です。無理に何かを手に入れようとせず、あるがままの自分を受け入れ、日常の一瞬一瞬に感謝しながら生きることを大切にします。
禅の道は「仏道」に還る
禅の道は、「仏道」に他なりません。それは、ただ仏教の教えを形式的に守ることではなく、日常の中で仏の心を持ち続ける生き方です。派手な布教や供養を行うことではなく、一所懸命に今を生きる姿こそが、仏道を歩むことになるのです。
この禅の道は、檀家制度に依存しない自由な生き方とも言えるでしょう。現代社会においても、私たちは「質素に、静かに、慎ましく」生きることで、心の豊かさを取り戻すことができるのです。
問いかけ
あなたは、何を大切に生きていますか。
物質的な豊かさや外見に惑わされることなく、ただ静かに、慎ましく生きることができるでしょうか。禅の道は、私たちに静かな問いを投げかけています。
私が「出家」を志したときに師匠は「職業僧侶」を目指すのですか?。「在家のままでも仏道を歩むことはできますよ」と申されました。ようやくその深い意味がわかったような気がします。「身の出家」と「心の出家」を分ける必要とてありません。自分の代わりはどこにもいませんから。
自分の道は自分が決めていく。それがたとえ誤った道だとしても、自分が今思っている気持ちに正直でありたい。それはとてもシンプルです。「お金」じゃないのです。「志」ひとつ。これを「道心」と呼んでいます。
「今、この瞬間を大切に生きること。」
これこそが、禅が目指す道であり、私たちが日常の中で歩むことのできる“仏道”ではないでしょうか。
道心ありやなしや。
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念水庵 正道(しょうどう)
にゃんすいあん日記26日目
にゃんたちと遊ぶときに、童心にかえる。
このひとときが私の癒しタイムだ。
ふたりとも私の懐で寝るようになった。
遊んで、ご飯をたべたあとに。
遊んだあとの食事状況