「空」と「無」
◆この人生を楽しく生きるには(「当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり」白隠禅師坐禅和讃)
この人生は、まさしく極楽浄土の人生である、特に平和な日本に生まれてきたことは。
道を歩けば、花が咲き、鳥が鳴き、スマホで好きな音楽も聴け、図書館へ行けばいくらでも仏教書はあり、このように仏様の教えを皆で学ぶ機会もある。これが経典にも書いてある極楽浄土の世界そのままである。ただし、自分の意図しない不愉快なことが起こるのは、この現世ならではのことであろう。そういう時はいくつか解決するための方法がある。
◆無に入ること
禅宗では「無」「無」とやかましく言われるが、これは要するに「今」に集中することである。「今」に集中することが出来れば、不愉快なことはもう過去である。そして過去は消える。「今」を精一杯生きることが心の健康を保つ秘訣である。
◆因果応報と処理すること
障害があるから業が深い、などという考えが過ちであることは以前お話した。ただ、この世が極楽だと思っていても、ささくれのような、ちょっとした嫌なことは日々起こるものである。それらは全て、自分がどこかで作った因果だと思うとあきらめがついて精神的にも良い。
繰り返すが、自分ではどうにもならない大きな運命の流れは、その人の責任ではない。
◆空であると見ること
この世に起こることは全て実体がない、空(くう)である。
それはあたかも映画のスクリーンに次々と映像が映されているようなものであって、一度映写機の電源を切ってしまえば、そこにあるのはスクリーン(仏心)ただ一つである。この世は夢、幻のようなものであると考えて、夢、幻の先には仏心という大海やおおぞらが開けていると思って、心の安定を保つと良い。