ダモン
Neutral について綴ったものを番号順に並べます。論文形式は取りません。従って結論に辿り着く保証はありません。螺旋状に思考を展開し深められたらと思っています。思考の冒険は重複も多くなりがちでしょうが悪しからず。 使用している画像のレンダリング DazStudio 4.22 RY Aera for Genesis 8.1 Female Artist:Raiya $16.09(定価$22.95)です。
今回から新しいシリーズなので、ほぼ初めましてダモンと申します。これから書き綴って行くコンテンツは「ニュートラル」を中心にして回って行くユニークな思考というものになるでしょう。ポストモダンと共に過ぎ去って行った哲学に対する熱気を別の観点からわたくしの独自の思索・熱量で新たに盛り上げられたらと思っております。主に日本人とは、その核心とは、「ニュートラル」とは日本人にとってどういう意味を担っているのか、について書き連ねて行く予定です。 KYという言葉が一時期流行りました。空気読
リクルートと云えば「リクルート事件」(1988年政界官界を揺るがした贈収賄事件)は色褪せない記憶を未だに人々に与え続けている。駅のホームを逃げるように歩くカツラ姿の創業者、江副正文氏の変装映像も何故か鮮明に脳裏に残っている。その後のリクルートは変貌を遂げ、今やハーバード大学で取り上げられる程注目されている(『ハーバードはなぜ日本の「基本」を大事にするのか』佐藤智恵 日経プレミアムシリーズ 詳しくは以下の三章。リクルートは「夢の実現装置」だ リクルートの本質はドリームマシン
このneutralという一連の記事(マガジン)は、大谷翔平選手の二刀流の解明から出発したことでも分かるように、初めはメジャーリーグファンを読者の標的にしていました。充分な英語力がありましたら初手から日本語と同時に英語でも書いていたことでしょう。 日本への海外からの観光ブームもあり、次にはその観光客たちの好奇心、電車内で平気で眠れる日本人とはどういう人なのだろうという疑問にも応えられるようにと書き続けて来ました。 英語圏へ、ようやくその時期が来たと感じ、一旦筆を置き、英語の基礎
平均年齢は八十三歳。住み始めて十ヶ月になる。サービス付き高齢者向け集合住宅という、食堂あり三食付きが魅力の…。それまでシングルの私は一軒家で自炊をしていた。真夏の暑さと料理作り、日々の家事が体力を奪い、持病の悪化で入院。退院と同時にここに住み始めた。一室25㎡、38室のワンルームマンションにサービスがついている、私の場合夜のみ自炊している。提供される食事にはタンパク質が明記され、1日平均45gでは男性の体の維持はできない。自炊は不足を補うためのものである。 半年は様子見で
ベーブルースが何故短期間であったとしても二刀流が実現できたのか、彼はアメリカ生まれ、アメリカ育ちのアメリカ人ではなかったのか。 答えは孤児院の中にあるだろう。親が居たにも関わらず孤児院に入れられてしまった、という契機。これは見過ごせないのだ。 オタクという語を生み出した中森明夫に『寂しさの力』(新潮新書、2015)という著作がある。その中で酒井法子をしてアイドルに最適化された出自・育ちだったというのだ。幼くして親戚をたらい回しにされて育った経歴が、周りの人々に気に入れら
あらすじ(短編) たわいのない高校生活の中で見つけた楽しみ、そこから転生へストーリーは転回して行く。果たして転生は起こったのか否や。 石積みの長い塀の手前でぼくはいつも待っている。 ここは緩やかな坂道。登ってゆくと勾配はやや厳しくなる。そこが狙い目でばくは全力でペダルを漕ぎ、彼女をあっという間に抜いて行く。校門までおよそ10メートル地点で振り返り、悔しがる表情を眺めては満足し校門を疾走する。この快感が堪らない。10メートル手前で抜き去る、その加減は最早精密な技術だろうと
海外からの旅行者の花見のYoutubeの映像が花盛りのように出て来る。音声はマイクで拾うのみ、ナレーションはない。モザイク処理もカットもないようなので通行人や桜狩りの顔がそのまま映し出されている。例えば大阪城公園は昼。円山公園は夜桜。それにしても八割は外国人に占められているように見え、日本人は圧縮されたかのように圧倒されている。リピーターが次は桜のシーズン、と計画表に入れ来訪。手慣れていて混乱はないようだ。 宴会や花見は日本特有の無礼講(ニュートラル)が発揮される時空間。
『バカロレアの哲学』(坂本尚志 日本実業出版社 電子書籍 kindle) 副題:「思考の型」で自ら考え、書くーー フランスの高校卒業論文(試験)であり、大学入試にもなっているバカロレア(哲学だけではない数日にわたる大掛かりな試験)は日本のように答えが分かっている内容ではなく、哲学バカロレアは正解のない、出ていない問題について自らの思考力を4時間使って書かねばならない。 「労働はわれわれをより人間的にするのか?」 「技術はわれわれの自由を増大させるのか?」 「権力の行
初めに補足を。巨大な「自己同一性」を天皇陛下と限定して書いていたが、現実には他のものに求めても良いと云うところが日本的なのである。モラトリアム(ニュートラル)の精神が生きている。抽象的に「日本」が一番多いだろう。困っている外国人旅行者を助けるときに「日本」「日本人」を代表して行っているという意識は潜在的にでもあろうと思っている。「空気」に従って生きる、というと批判の対象になって来たのであるが、日本の職人は木に従って(大工)や、食材を最大限に活かす包丁人など、自分以外を優先さ
人狼ゲームという偽りの自分を作ることで割り当てられた役を遂行し、勝負を勝ちに導く遊びがトレンドで少し前に流行っていた。ドイツ発祥らしく西洋そのものの哲学、人間観、市民社会の深くまで踏み込んで表現していると云っても過言ではない注目すべきゲームだった。 バリエーションも多く、人数によっても役職の種類が変動するゲームで、大元が押さえられていれば良いかと。 先ずは市民(村人)と人狼(人間の姿の狼)との対抗戦であること。参加する人々はカードを一枚づつ引いて、自分の身分や役職を確認
昭和20年の玉音放送の放心状態、ニュートラルから日本人は立ち直ったかに見える。が、今もそのニュートラルを基盤にまともな社会が築けること自体に疑問を持たれたとしても不思議ではない。少なくとも「同一性」若しくは同等なものが何処かに存在しなければ日本という国は成立しないのではないか? 日本人はニュートラルという海で溺れてしまうのではないのか? L'autre face de la lune. Écrits sur le Japon (Paris, Seuil, 2011)
Youtube を AndroidTV で見ていることが多い。出典が記述できないこと申し訳ないと思いつつ、見ての通りの小規模な読者の記事では拡散などの伝達効果も然程もないだろうから勘弁して欲しいと思っている。 さて二つの動画から記憶を辿り記述してみよう。 まずはトム・ハンクスがスランプに陥り、彼は上手く演技ができなくてよく落ち込むそうである。で、そのままの状態で日本の居酒屋で呑んでいた。隣り合わせの普通のサラリーマンのおじさん達と合流。時間の共有と共に打ち解け合
日本人と欧米人だけでは数的に世界の人間を代表していないのかもしれないが、世界に与える影響では大きな二つの異種の陣営だ。私が書けるのはこの範囲だろうということで登場して貰っている。決して他のラテンや中東、アフリカ、アジア太平洋を無視しているわけではない。日本は欧米の文化を想像を絶する程浴び、恩恵も数知れず、日本以外の国々も功罪を含めてそうであっただろう。日本ー欧米の関係は世界の様々な国々の関係性にも当てはまってしまうと思っている。そのような二つの陣営の関係を軸とし、比較しつつ
前回の身代わりの話が琴線に触れた人は日本人の利他行のニュートラルが身についているのだろう。 けれど、利他がバカバカしいと感じた人は欧米人の個人主義寄りに多く足を突っ込んでしまっているのだろう。 二者択一で決めようとしている訳ではないから剥きになっても仕方がない。 ただ両天秤で生きてゆくのは倍のエネルギーが必要かもしれないが(ニュートラルで英気を養い)、日本人は難なくすり抜けてゆく、頑張って欲しい。 Youtube でインタビューを受けている欧米人で注目すべきは
個人主義とは誰でもが主人公であると云っているに等しいのだろう(実際には政治的な概念で社会の基盤である個人を尊重する立場)。反対に日本人は誰でもが主役ではない脇役であると思って来た。では誰が主役なのか、或いは主役は居ないと云っているのだろうか……。 貴族が支配していた平安時代は天皇にせよ、天皇をも操れる有力貴族にせよ、血脈が被支配者を納得させていただろう。皇室は今でも選挙権はない。日本人の範疇に入れて良いのかは分からない。超越者として含まれない故にメタレベルな主役と成れる条
ルーティーンについて考えてみたい。スポーツ選手が行なっているお馴染みの一連の動作のことだ。大谷翔平も勿論だが特徴は少ないので物真似されている独自の洗練されたイチロー選手を取り上げてみよう。ネクストバッターサークルでのストレッチから始まって、バッターボックスでは膝の屈伸をして2回右腕でバットを大きく回し、左手で右肩を摘み本格的に構える。野球の求道者とてリラックスは必要。ニュートラルの状態で身体をほぐしてからギアを入れ球を待つ。 洗顔、歯磨き、掃除、洗濯、通勤・通学などは同じ