念水庵

略称:水です。 水のように生きたいと思ってます。 会社員ですが休日は坊主です。 念願の…

念水庵

略称:水です。 水のように生きたいと思ってます。 会社員ですが休日は坊主です。 念願の参禅堂が建ちました。 これからが本番です。 https://nensuian.com/

マガジン

  • 禅の道

    禅の道は、坐禅を中心とした生活です。

  • 縄文時代

    縄文時代に思いを馳せてつづる日記です。

  • TAO、老子「道徳経」の解説

    老子の道徳経を各章解説しつつ、日々の糧とする81日間の歩み。 独自の解釈ですが、わたしの日記のようなものです。

  • 私の道シルベ

    自分の道標として書いたものをマガジンにしています。 こうありたい、あるべき理想というより、アコガレに近いです。 しかし矜持として掲げておきたい。 そんな人生マガジンであります。

  • キングポーズ

    このキングポーズは、腕をあげて拳を耳の横にそろえ、ぐっと肩甲骨を引き寄せ、拳を前に突き出して肩甲骨を広げるというシンプルなエクササイズです。 月に一度以上の更新を予定しています。 中高年の運動は、極力シンプルで飽きのこない、楽しく続けられることが重要です。キングポーズで明るく元気になりましょう。

最近の記事

  • 固定された記事

お池に花を咲かせましょう。

昨年末親友に頼んで、ミニバックホー(ユンボ)で庭に池を掘ってもらいました。琵琶湖をイメージして琵琶湖の地図をみながら掘り進めていただきました。毎週その池を見に行くのが楽しみです。雪深い土地なので、明日の土曜日は雪景色かもしれません。今年は暖冬のせいか雪が少ないのです。 水は豊富で山から自然に沢水が流れ込んできます。地面を掘っただけで一時間もたたずに水がたまり、なかなか抜けません。雨の日は工事中のため地表の泥が流れ込んで濁っていますが、晴れた日には澄んできます。さっそくアカハ

    • 昨日の夜は本寺の師匠と会食。 ずばり「越前カニ」のせいこをいただきました。 美味しかったのは申すまでもありません。 申し分ありません。 今日の「禅の道」はお休みします。 申し訳ありません。

      • 禅の道(19)とにかく、いっしょけんめい

        — 禅道が教えるシンプルな生き方 — 禅の道は、何事にも「一所懸命」であることを大切にしています。これは、ただ一つのことに集中し、その瞬間に全力を注ぎ込む生き方です。このシンプルさが、むしろ深い力を持っており、各自が自分の目的や目標に向かって進むとき、文字通り命がけで向き合うことで道が自然と開かれていくのです。 1. 一所懸命という言葉の意味 一所懸命とは、「一つの場所に命を懸ける」という意味です。現代では「一生懸命」という表現もありますが、元来は特定の「所」、つまり役

        • 禅の道(18)禅寺に猫が似合うわけ

          「禅寺には猫がよく似合う」——そんなイメージを抱く人は少なくないでしょう。静寂に包まれた禅寺の庭を、のんびりと歩き回る猫。そこで目にする猫の姿には、不思議な落ち着きと風格が漂っています。今回は、なぜ猫が禅寺に似合うのか、その理由を探ってみましょう。 1. 猫の「自然体」 猫は自分を飾ることなく、ありのままの姿で生きています。この姿勢は「無為自然」を尊ぶ老子や禅の教えと通じるところがあり、猫が禅寺にしっくりくるのも納得です。人間の気を引こうとせず、静かに佇む姿には、禅の「無

        • 固定された記事

        お池に花を咲かせましょう。

        • 昨日の夜は本寺の師匠と会食。 ずばり「越前カニ」のせいこをいただきました。 美味しかったのは申すまでもありません。 申し分ありません。 今日の「禅の道」はお休みします。 申し訳ありません。

        • 禅の道(19)とにかく、いっしょけんめい

        • 禅の道(18)禅寺に猫が似合うわけ

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          81本
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          4本
        • キングポーズ
          4本
        • シンプル仏教
          7本

        記事

          禅の道(17)全てと共に生きる道

          道元禅師の正法眼蔵「現成公案」の以下の文章は、とくに有名ですが、これを私なりに解説してみます。 現代語訳: 「仏道を学ぶとは、自分自身を学ぶことです。」 解説: 仏道を学ぶということは、ただ知識や教えを外から得るだけでなく、自分の心と向き合い、自分の内側を深く見つめることです。仏の教えを学ぶというのは、自分が本当にどんな存在で、何を感じ、どう生きているのかを理解することから始まります。 現代語訳: 「自分自身を学ぶというのは、自分を忘れることです。」 解説: 自分を学

          禅の道(17)全てと共に生きる道

          禅の道(16)参禅とは

          参禅堂のはじまり 念水庵の新しい小さな坐禅堂「参禅堂」は、仲間たちと共に協力して作り上げた、禅の道を深めるための静寂な空間です。このお堂は大きさにこそ限りがあるものの(単の数が六)、その中には無限の深さと心の広がりを感じられる場所となっています。質素でありながら、細部まで心を込めて作り上げられた参禅堂は、訪れる人々が日常を離れ、内面と向き合うための特別な場を提供しています。 参禅堂の魅力 参禅堂の魅力は、その「シンプルさ」にあります。装飾を控え、自然の素材を活かした建築

          禅の道(16)参禅とは

          禅の道(15)不戯論

          要旨 「不戯論」とは、無益な議論や、真実を求めない空虚な言葉に囚われないことを意味しています。これは、無駄な議論をせず、言葉を慎み、軽々しい口論を避けるという意味です。無意味な論争は、自己満足や自分の考えを押し通そうとする心から生まれやすく、それが煩悩の原因にもなります。道元禅師は、この「不戯論」を通して、真に大切なことに心を向け、実践に基づいた学びを大切にするよう説かれています。 解説 「八大人覚(はちだいにんがく)」は、仏道を実践する上での重要な覚悟であり、煩悩を滅

          禅の道(15)不戯論

          禅の道(14)霧か煙か霞か雲か

          霞や雲は、遠くに見える桜のたとえとのことですが、参禅堂から池越しに見える山の麓にたなびく霞?は、晴天の日の光景で私のもっともお気に入りの時間と空間であります。あの山の向こう側は「奥琵琶湖」。この山のおかげで湖からの直接の風がさえぎられ、やわらかい風となって吹いてきます。 冬は西北や北側からの冷たい季節風を赤坂山や三国山などが盾となって防いでくれ、さらに裏山の杉林が防風林となってくれています。山紫水明。文字通り山と水に囲まれた静かな田舎の風景です。ここで余生を過ごすことに決め

          禅の道(14)霧か煙か霞か雲か

          禅の道(13)山水そのものが経

          道元禅師の「正法眼蔵 山水経」には、山や水がただ存在するだけで悟りの境地を映し出しているという深い示唆が含まれています。この記事では、この山と水の繋がりが私たちの日常生活や自然環境にどのように影響しているかを考えてみました。 まず、山は私たちが日々頼りにする水の源です。山々に降り注いだ雨や雪は、地表をゆっくりと流れながら地下にしみ込み、やがて清らかな沢水となって流れ出します。その水は琵琶湖のような湖に集まり、やがて川を通じて海へと流れ出していきます。この壮大な水の流れは、自

          禅の道(13)山水そのものが経

          禅の道(12)ひとすじに生きる

          「ひとすじに生きる」というテーマは、現代社会において多くの人々が求める生き方の指針となるものです。この記事では、シンプルな生活を通じて自分自身の中心軸を見つけ、他者との関わりを深める方法について、私自身の経験を交えてお伝えします。 会社員としての生活と週末の田舎暮らし平日は会社員として都市や地方で働き、週末には田舎に戻り坐禅を中心としたシンプルな生活を送っています。この二重生活は、一見対照的に思えますが、互いに補完し合い、心のバランスを保つ助けとなっています。 自然との積

          禅の道(12)ひとすじに生きる

          禅の道(11)坐禅のすすめ

          こんにちは!今回は「坐禅のすすめ」というテーマでお話しします。坐禅ってお寺でしかできないと思っていませんか?実は自宅でも気軽に始められるんです。 まず、道元禅師の「普勧坐禅儀」をざっくりまとめてみましょう。この書物では、坐禅の大切さとその方法が説かれています。要するに、坐禅は特別な才能や知識がなくても、誰でも行える修行であり、心を静めて真理を悟るための道具なんです。 じゃあ、なんで坐禅を自宅でやるのがおすすめなのか?それは日常の中で自分と向き合う時間を作れるから。忙しい毎

          禅の道(11)坐禅のすすめ

          禅の道(十)袈裟をかける喜び

          道元禅師は「正法眼蔵」の袈裟功徳の中で以下のように述べられています。 この「袈裟功徳の巻」において、道元禅師が語っているのは、禅師がが中国に行ったときの深い感動体験です。以下に現代語訳と解説を示します。 現代語訳 私(道元禅師)が、宋(中国)に渡り修行していたころのことです。あるとき、横に長い坐禅の単で坐禅修行をしていたときに、隣にいる僧侶が、開静という坐禅終了の合図があったとき、袈裟(けさ)を頭の上に掲げて、合掌して恭しく礼拝し、一つの偈(仏教の詩句)を心の中で唱えて

          禅の道(十)袈裟をかける喜び

          禅の道(九)諸仏の父母「観音」

          道元禅師が著された正法眼蔵の「観音」の巻に以下の部分があります。 この箇所で道元禅師は、観音菩薩の本質や意味を深く捉えるよう勧めています。ここでの「観音」は、単に苦しみを聞いて救済する存在というよりも、悟りや仏道の本質そのものに触れるための学びの対象とされています。 現代語訳 「観音菩薩は、苦しみの声を前後左右、すべての方向から聞き取って救いを与えると言われている。しかし、そうした慈悲の観音について理解を深めたいならば、雲巌禅師や道吾禅師のような過去の高僧たちの悟りの境

          禅の道(九)諸仏の父母「観音」

          禅の道(八)名利を離れた「良寛さま」

          良寛(りょうかん)禅師は、江戸時代後期の日本において、禅の道に生きた僧侶であり、「名利」つまり名誉や利益から離れる姿勢を貫きました。彼の人生は「貧」を究め、またその「貧」を楽しむ境地に至った稀有な例として語り継がれています。良寛さまの生涯を辿りながら、その思想と実践を見ていきましょう。 1. 若き日と修行の始まり 良寛さまは1758年、新潟県出雲崎町に生まれました。実家は裕福でしたが、若くして禅僧の道に進み、地元の曹洞宗のお寺を皮切りに倉敷市にある円通寺の国仙和尚のもとで

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          禅の道(七)貪瞋痴を手放す心トレ

          「心トレ」は、心を鍛える筋トレのようなもので、柔軟で朗らかな心を育てるためのトレーニングです。これは、日常のちょっとした場面で貪(むさぼり)、瞋(いかり)、痴(おろかさ)といった心の迷いを少しずつ手放していく過程を意味します。例えば、誰かに親切にされて感謝を感じたり、嫌なことがあっても「まあ、仕方ない」と軽く受け流したり。そんな小さな行動が「心トレ」です。 この「心トレ」の醍醐味は、ストイックに構えず、肩の力を抜いて行うこと。心を鍛えることは一見難しそうに思えるかもしれませ

          禅の道(七)貪瞋痴を手放す心トレ

          禅の道(六)東司(とうす)の心得

          道元禅師の『正法眼蔵』「洗浄」巻では、修行における清潔さと日々の行動における心の在り方について詳述されています。禅師は、清浄や清潔は単に外面的なものでなく、心の純粋さ、誠実さ、そして一切の行動に内面の清らかさが反映されることを指しています。この巻での意図は、修行者が日常生活の中で身体と心を清めることを実践し、その行動が仏道の実践そのものであると悟ることにあります。 時代背景と「洗浄」の意図 道元禅師がこの教えを説いた鎌倉時代、日本は武士の台頭により社会が激動し、道徳や倫理

          禅の道(六)東司(とうす)の心得