たこ天今物語 #8 (寒海 幻蔵)
今年のたこ天村の村民登録が終わった。
自分の人生にもっと豊かな価値を見出そう、と老若男女が村入りする。
かつての村よりも、平均年齢は高い。面白いことだ。
寒海がケンゾウと名乗って、つっぱり世界を生きていた時代と違うのかもしれない。・・・と、決めつけるのも間違いだろう。
時代は関係ない。
年齢に関係なく、突っ張り、人生に疲れ、驕り、甘え、人の人生に乗っかかり、引っ掻き回し、また、自分の世界の中の一人相撲で幸せになったり、暴れまくったりする者は、いつの時代も溢れている。
パリ・オリンピックがひどいではないか。
武術に凝る幻蔵は、もっぱら柔道試合に釘付けになったが、その試合とそれをめぐってのSNSの騒動が、グラディエーター(剣闘士)の死闘に沸く古代ローマの民衆と専制為政者に重なった。
クーベルタンの理想は、遥か遠い。
選手の生き死にを引っ掻き回し、国の恥だなどと煽る輩がSNS上で踊る姿は、見苦しい。
他人の生き死にを遠くから眺めて悪乗りする集団悪癖は、個人の生き死にの生々しさを薄めて、快−不快ばかりを煽る劇画化を招く。そして、それがSNS空間において現実と非現実の壁を薄め、「どんな惨めな、過酷な状況に置かれようとも、決して人間の尊厳は失われることはないものだ」という、人類700万年の進化の賜物を壊してしまう。
今日ヒロシマが、あの、誰も二度と想像さえできないピカドン炸裂から79年目の「その日」を迎えた。
8時15分、子供の頃からどこにいても欠かすことなく、その瞬間の黙祷を捧げてきた。
勝手に涙ぐむ自分にいつも驚く。
寒海幻蔵は、その日がなかったなら、生まれてこなかった。その日があったから、死の脅威を突きつけられて、生きる生を得た。
8月6日に関わることは、黙祷以外は、長い間目を背けていた。
涙は勝手に出ていた。
13歳で被爆した被爆者が、今年92歳になって、初めて被爆体験を語り始めたそうだ。
なぜ被爆者はその体験を語れないのか。
精神分析家もこれを多様に研究してきた。被爆者のトラウマ治療は、不可能に近いものがあった。その一つの理由は、未だほとんど理解されていないのかもしれない。
被害を訴えることが攻撃にもなるということが、多くの一般の人々だけでなく、治療者や教育者の理解の域をも超えているようだ。
強く被害を訴えることが、加害の側に強い脅威を与えることは無視される。
この理解を、人の尊厳に関わる最も根源的な教えにおいているのが、仏道の法灯明だ。
幻蔵にもいろいろあったが、幼い頃から被害を訴えることはなかった。代わりに中学生の頃には、怒りも顕さなければ怖れも喜びも顕さない「シゾイド」になっていた。
ヨーロッパで心理学を学んでいた宣教師からそれを告げられるまで、彼の意識に、そのような自分の姿に違和感はなかった。
自分が被爆者の両親から生まれたということ、原爆直後に生まれてすぐに他界した兄がいたということも、日常の意識の外に置いていた。
何事が起きても被害者の位置に自分が置かれることは、嫌悪していた。
被害者面を見せることでさらなる攻撃を招くことが、物心つく頃から身に染み付いていた。
もちろんそのことも意識に上ることはなく、シゾイドの無感情男になっていた。
被害者が被害者であるという事実だけで強い攻撃になるということを、アメリカに渡って鮮烈に経験したことを前節で語った。ヒロシマからやって来た男というだけで、何も語らない幻蔵は、同期生の精神科医や看護師から怖れられていたという話だ。
自由の女神の国フランスが、最後の晩餐のパロディを許した。
これにヴァチカン教皇庁は、単に一宗教の侮蔑ということではなく、宗教心に対する敬意を、と訴えた。
釈尊、空海先生が説き続けた自灯明法灯明の徹底した修業は、今こそ人類存続の鍵を握る。
人の中に生きる人間が、自然の摂理に紛うことのない己の存在灯明を人中に照らし、法灯明をいっそう明るいものにする。己の暗闇を怖れの中にも照らす自灯明を曇らすことなく、武蔵の「戦気、寒流帯月澄如鏡」の境地を追う、不肖寒海幻蔵流精神分析も法灯明の探求であり、空海先生の後塵を排するに他ならない。
たこ天村への入村も、人によっては怖れを刺激する。村の過疎化はグローバル化の煽りでもある。
人は、広い世界に幻想的に繋がり、人と人とが密に関わり合う中で、自らの闇に触れることは避けたがる。家族の縛りを嫌い、家族の絆を薄いものにする世情も、これに等しい力学による。
人は、帰るべき家を失いつつある。
幻蔵には、帰る家がなかった。
帰ることができる家があり、故郷があり、恥ずかしがることなく自灯明を今まで以上に明るく灯し、法灯明の素となる命のつながりを感じる場所が、人には要る。
たこ天村には、精神分析、武道、仏道の確かな法灯明がある。
そのため入村に緊張も生むようだが、法灯明のもと、空海さんの青年時代のように、思うがままに自我を遊ばせ、学ばせ、鍛え、悔しがり、そして楽しみ、自灯明の希望を取り戻す空間がある。
さまざまな人生が、狭い村で交錯する。
山賊の故郷があり、教授の研究室があり、社長室があり、青年の大志を謳う語り場があり、老いも若きも共に悩み、哀しみ、イーヴンに戦い、そして慈しみ合う空間がある。
怖れを感じながら、あるいは、かつての怖れの中に自分の真の姿があったことを思い出し、懐かしさと再チャレンジの緊張感で入村する人もいる。
たこ天村こそが自分の故郷であり、そこに帰る家がある、と文字通りに一年に一度の里帰りのように帰村する人もいる。
総勢50人。赤穂浪士の数よりも多い。
ほどよい人数で、村は息づく。
若さの中にも、いかに歳を重ねていても、未開発部分が山ほどある、かけがえのない自分を目一杯楽しもう。