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八正道
お釈迦様は悟りへと至る道として、以下の八つの道をお示しになられた。
正見
自己中心的な見方や、偏見をせず中道の見方をすること。
正思
自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
正語
恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
正行
本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」である。
正命
衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。
正精進
自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしない事で、とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合がある。
正念
仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。
正定
心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。
(引用:http://shusse-kannon.life.coocan.jp/budda/budda4.htm)
これは、覚えるだけでも大変であるし、本職のお坊さんでも忘れている人がいる。まあ、これだけ出来れば悟りは開けますなあ、という話で、一般に守れる人はいないのではないだろうか。
その中で、禅宗であれば禅というものを通じてこれら八つの道に通じようということである。
しかし、これは自力の行であるので、浄土宗、浄土真宗といった他力の教えでは必要ないものである。他力というのはただ阿弥陀様を信じるということなので、こういう縛りがなく一見楽そうだが、では何をすればいいかと言えば、念仏を称えるくらいしかない。とにかく自分の努力で何かをしたい、指示、道しるべがなければ無理、という人には八正道も意味はあるだろう。
人生は、生きているだけでそのまま仏道である。何をやっていても、仏様から逃げることは出来ない。だからこの道を生きるのに遅いと考えてしまう必要はないのである。