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ブッダの教え1-31 仏道とは?

仏道は人生の極上フルコース:その一歩一歩を楽しむ道

仏道とは、まさに人生の究極のフルコースです。前菜からデザートまで、すべての瞬間が味わい深く、心に安らぎと喜びを与えてくれます。しかも、フルコースと言っても、豪華な食事の途中で「ここがメインディッシュだから、これを食べたら満足するだろう」という話ではありません。いや、むしろ仏道の本質は、「最初の前菜を食べる瞬間も、その後のメインディッシュを味わう瞬間も、さらにはデザートまで、すべてが特別であり、それ自体が楽しみなのだ!」というところにあります。ですから、仏道を歩む人は、どの瞬間もただ道の途中であっても、その時間を深く楽しむことができるのです。

この道の途中で立ち寄るいくつかの景色や出来事もまた、ただの寄り道や余談ではなく、むしろそのすべてが仏道の一部であり、楽しむためのものであると言えます。もちろん、目的地に到着した時には、そこでの達成感や喜びが待っていますが、その瞬間がすべての意味を持つわけではありません。目的地に到着してからも、その余韻が長く続き、まるで花火が夜空に打ち上がって消えた後の光の尾を見つめるような、静かな満足感が心に広がるのです。さらには、目的地から帰る時も、その時間が単なる「帰るだけの時間」ではなく、まるで映画のエンドロールを眺めるかのように、全体の物語を思い返して感慨にふけることができるのです。

仏道は、このように「ゴールに到達することが目的」ではなく、「その過程のすべてが楽しみ」であることを教えてくれます。仏道を歩む者にとっては、一歩一歩が宝物のようなものであり、その瞬間に深い充足感を感じることができるのです。しかも、道の途中に現れる試練や困難さえも、ただの障害物ではなく、むしろ人生をさらに豊かにするためのスパイスのようなものです。試練を乗り越えることによって、その先に待っている喜びは、さらに大きなものとなります。それはまるで、旅の途中で偶然見つけた美しい景色や、ふとした瞬間に出会った人々との出会いが、旅を一層豊かにしてくれるようなものです。仏道を歩むことは、人生を深く味わい尽くす旅なのです。

また、仏道の教えには、自分だけが喜びを得るのではなく、他者ともその喜びを分かち合うことが非常に重要なポイントとして含まれています。たとえば、美味しい料理をひとり占めにするのではなく、仲間と分け合うことで、その美味しさが倍増するように、仏道の喜びもまた他者とシェアすることで、その価値が一層高まります。仏道では、他者の苦しみや不快を軽減し、共に平安や喜びを感じることが大切です。たとえわずかな不快感であっても、他者に与えることは避け、自分の行動がどれだけ他者に影響を与えるかを常に考えながら行動します。仏道を歩む人は、自分だけでなく周囲の人々にも平穏や幸福をもたらすために努力します。

仏道のもう一つの特徴は、すべての行動が心の平和や喜びにつながる理想的な行いであることです。たとえば、日常のちょっとした出来事や、何気ない行動にも心の安らぎや喜びを見出すことができるのです。道の途中で困難に直面することがあったとしても、それを悲観的に捉えるのではなく、それもまた人生の一部であり、成長の機会であると受け入れるのが仏道の考え方です。まるで、雨の日に傘を持っていなくても、それを楽しむかのように、仏道を歩む人はどんな状況でも、ポジティブな面を見つけ出し、その瞬間を味わい尽くします。

また、仏道を歩む者は常に自分だけでなく、周囲の人々にも目を向け、他者にも幸福を分け与えることを忘れません。自分だけが幸せになるのではなく、隣人や家族、友人、さらには全ての生命に対しても、同じように幸福を感じてほしいと願います。仏道の教えは、単に自分だけが悟りを開くのではなく、全ての人々が共に悟りを得ることを目指しています。それは、まるで大きな宴会でみんなが同じテーブルを囲んで、美味しい料理を楽しむかのようです。誰一人として取り残されることなく、全ての人が同じ喜びを感じられるように努めることが、仏道の教えの核心です。

このように、仏道は単なる修行の道ではなく、その道のりそのものが楽しみであり、意味深いものであるのです。そして、その過程で他者と喜びを分かち合い、共に平安を得ることこそが、仏道を歩む者にとっての真の喜びなのです。

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現代版 ブッダの教え1日1話
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