お題

#おじいちゃんおばあちゃんへ

思い出のエピソード、感謝していることや伝えたい気持ちなど。おじいちゃんおばあちゃんへ、手紙を書くようにnoteを書いてみませんか?

人気の記事一覧

祖母の靴下

京都だか鎌倉だかどこだったか。とにかく歴史のある観光都市のお土産物屋さんで、祖母へのお土産に靴下を二足買った。控えめな和柄で、足の裏に滑り止めがついたもの。「転けるのが怖い」と常日頃から言っている祖母にぴったりだと思った。 何をあげたって喜んでくれる祖母なので、もちろん靴下もそれはそれは喜んでくれて、よく履いてくれていた。もしかしたら私と会う日に敢えて履いてくれていただけかもしれないけれど。 数年前に祖母が亡くなり、葬儀や何やらも終わって少し落ち着いた頃、母が突然に靴下を

今日から93歳:じいちゃんのこぼれ話

こんばんは。 おかげさまでうちのじいちゃんも、本日93歳の誕生日を元気に迎えることが出来ました。 noteでご紹介させて頂いたじいちゃんの3行じゃ収まらない日記や筑波山神社詣での話など、皆さまに読んでいただき、またファンだとおっしゃって下さるかたまでいらして、それを聞いたじいちゃんは近ごろ満更でもない様子でご機嫌です。笑 本当にありがとうございました。 ご厚意に甘えて誕生日の記事を書かせて頂きました。 それに合わせて、オーダーメイドの帯屋さこうさんがじいちゃん用の誕生祝帯を

2週間前に受験しておりました 第65回安全保障輸出管理実務能力検定試験(STC Associate)に無事合格することができました🈴 試験当日まで非常に勉強時間が確保しにくい中での挑戦でしたが、無事合格することができてとても嬉しいです☺️ 引き続きチャレンジし続けます🔥

年恰好が、亡くなった実父に似ていたから。

雨が降ってきて、午前中で仕事を切り上げた先日のこと。 今日は、夕食、お惣菜にしようか。 夫とふたり、意見が一致したので、お昼からスーパーへ出かけることになった。 車で家を出て5分ほどの、初めの交差点での信号でのこと。 赤信号で止まった私たちに話しかける、後続の軽トラから降りてきたおじいさん。 国道にでるには、どっち行ったらええんやろ。 おっちゃん、こっちやで。こっち! 言いながら、分かりやすく仕草を大げさにして、左を指さす夫。 だいじょうぶかなぁ。あのおじいさ

声の記憶|echoing-エコイング-

「あなたは素敵です」/映画:「耳をすませば」 「~ちゃん」/大学生の頃、落ち込んでいる私に友達がさりげなく私の名前を呼んだ声 「~さん」/昨年天国へ駆けあがっていった大好きな祖父が 私の名前を呼ぶその 声 膝を抱えて一人部屋 消えてしまいたくなる時に 背中合わせに寄り添ってくれるのは 私にとって声の記憶 過去から今を飛び越えてエコーする あなたの声の温かさ それは昨年の9月 突如として母親から舞い込んできたLINE。 何の気なしに見たメッセージには 祖父の容態が良くないた

よく生き、よく食べ、よく祈る

祖母が危篤かもしれないと母からLINEがあったのは23時半近く、ちょうど終電が走り去った時間だった。 衝撃で痺れた頭のまま、お茶とスマホの充電器、マリービスケットと泊まることになったときに備えて着替えをカバンに詰める。 布団に横たわって目だけ閉じて、目覚ましの音でスマホをつけると午前4時。乾いた目を揉みながら、始発で祖母の入院する病院に向かった。 入居していた老人ホームと隣接した病院は、駅から徒歩15分ほど。 いつもは自転車で遊びに行っていたところだから、タクシーに道順を説

STC対策💛 ✅輸出令別表第3の2に該当する国💣 国連武器禁輸国・地域のこと アフガニスタン、中央アフリカ、コンゴ民主共和国、イラク、レバノン、リビア、北朝鮮、ソマリア、南スーダン、スーダン ✅輸出令別表第4 懸念国のこと🚀 イラン、イラク、北朝鮮 ※2025年1月現在🌏

ビエネッタと、おばあちゃん

私が小学生の頃の話だ。 車で20分ほどの距離のおばあちゃんの家の隣には、お惣菜も売ってるしお菓子とか日用品も売ってる、萬屋とでもいうのだろうか、そういう店があった。 私はその店でおばあちゃんにアイスを買ってもらうのが楽しみだった。 といっても、買ってもらえるのはせいぜい100円、まあ、高くても200円くらいまで。元教師の祖母は、子どもに贅沢をさせてはいけないという意識が強かった。ダメ元で高そうなやつを「これ買って!」なんて言うのも、私の引っ込み思案な性格では難しかった。

映画「サンセットサンライズ」を観て思い出す風景

僕のnoteでは、過去の芸人時代の体験をもとに感じたことを物語として綴っています。本日のテーマは、「ふるさと」です。 震災で失われた故郷・志津川。毎年夏休み、新幹線に飛び乗り向かったあの楽園は、今や記憶の中にしかない。 映画 「サンセットサンライズ」 を観て、心の奥に眠っていた夏がよみがえった。懐かしさと切なさが交差する思い出の記録。あなたにも“忘れられない夏”はありますか? 南三陸が舞台の映画映画 「サンセットサンライズ」 を観てきた。 観ようと思ったきっかけは、南

父にルーツを聞く日

父の祖父は養子だったとは聞いていた。 帰省時に父に昔話を根掘り葉掘り聞いた。どこから養子をもらうことになったのか。 大きな商家の次男坊が女中さんとの間に成してしまった子どもが曽祖父。その出の商家の名前を初めて聞く。 思わずネット検索する。商家の古民家は寄贈されてホテルとレストランになっているみたい。え、見に行きたい。古民家サイコーよね。 古い街並みの思い出も聞く。寺からその古民家までの道、近くにあった旧郵便局によく遊びに行ったこと。曽祖父(父から見たら祖父)が養子に貰

返す言葉がない

 腕時計のベルト交換を店で頼むと高いので、大抵いつもネットで買って自分で付け替える。  去年の秋に革ベルトが擦り切れて、金属ベルトに換えてみたら、どうもしっくり来ない。  その時計は幼い頃に祖父からもらった物で、これまでずっと革ベルトで使って来た。馴染まないのは見慣れないせいだろうと思っていたけれど、三ヶ月経っても一向馴染まない。それでとうとう革ベルトに戻した。  ベルトは元々持っていたのを付けた。前に使っていたバックルを三ヶ月の間にどこかへやってしまったから、普通の尾錠で留

のんびりお正月と手作りカレンダー

七日ごとの法要も、お正月周辺はお坊さんも忙しかろう1回飛ばそうかとなって、のんびりお正月。 義実家は徒歩5分以内。いつも1月2日に集まって初詣に行くと決まっていた。(コロナ直前、夫の希望を盾に無視して海外に行ったことはある) 年末は結構ギリギリまで仕事があったり塾があったり、年明けも4日から仕事だったりしていたので実家への帰省が中途半端になりがちで実家には行かない年もあったな。 とうとう義両親を見送って。このお正月はがっつり実家に帰省。ちょっと後ろめたい私は、お仏壇の横に

明けましたんで、おめでとうございます。

閲覧ありがとうございます。 皆さま、各々が、穏やか、または、楽しい気持ちでの新年の幕開けだったでしょうか。 うちは、誰も発熱など、病気をすることなく、 ヌシとその他(わたしたちのこと)全員が、無事に 年越しできました。 noteも、普通に訪問でき、コメントやり取りも、 昨年同様、できたことに感謝したいです。 わたしは、大晦日から、一人、祖母の家に行ってました。祖母に、うちに来るように、連絡したら 「えー!めんどくさい。家にいたい」 という返事だったので、 「おばあちゃん

【料理エッセイ】十余年ぶりに父と会ってきた ピースとビールとマグロの香り

 以前、父と何年も会っていないことを書いた。  端的にまとめると借金やら不倫やら美人局やら解雇やら、いろいろあって父はどこかへ行ってしまって、連絡が取れなくなっていた。ただ、弟は大学生の頃に再会し、LINEを交換していたということが先日わかった。  家庭内のいろいろを整理するためにも、何年も会っていない父方の祖父母の様子を知るためにも、弟が連絡をとってみようかなぁと言っていた。でも、一人で会うのは気まずいので、一緒に来てほしいと頼まれた。ちょっと考えた末、うん、と答えた。

銀世界とおばあちゃん

#221日々是=^_^=日 認知症の母からの挑戦状~断捨離通信②

(約1400字) 母の認知症については、何度か書いてきた。 母は、認知症になってからも、しばらくの間、読んだり書いたりすることができていた。 テレビを見ていて、気になったことなどをメモする癖があった。 段ボールから、その時のノートが出てきて、ついつい読んでしまった。 たぶん、8年ほど前のもの。 ノートを用意しておくのだが、どうしてもその辺の紙に書いてしまう。 ティッシュとか、レシートとか… どうも、ノートが閉じてあると、あるいは開いてあっても、そのノートを使っていいか

「どうして、あの2人(カップル)は結婚しないの?」こんな問いかけされたら?

Nice to see you again 

【無料】いつも、コメントやスキを頂きまして、ありがとうございます ※プロフィール記載の視点から投稿しております。ご理解をよろしくお願い致します マガジンのフォローをお願いします あの2人 あの2人とは、思いつくカップルを思い浮かべてください プライベートでも、ビジネスでも、著名人でも良いです そして、ネットに影響力ある方が、こんなことを  『結婚が、面倒なんじゃないの?』 この発言が拡散され あの2人が、結婚し

家に伝わるオオサンショウウオ伝説、その真実に迫る

今回は歴史研究家の雲です。 ふとした事から過去の出来事の真偽を考察することになりました。 元々は岡山県に等身大Zガンダムがあるという情報があり、ガンオタのReiさんが、見ておく必要があるというので同行することになりました。 そのためだけに、遠方まで出向くのはもったいないので、周辺地図を見ました。 鳥取県と岡山県の県境近くに射撃場があります。 湯原国際クレー射撃場といいます。 この射撃場には何度も行ってます。 銃を持って移動するときは、基本的にお店などには入れません。 (車

シフォンケーキを焼いたらおばあちゃんの初体験になった話

ある平和な休日、朝からシフォンケーキを作った。 御年90歳になるおばあちゃん(義祖母)の家に行くので、その手土産だ。 シフォンケーキ自体は何度も作ったことがあるけれど、今日は紅茶とレモンのシフォンケーキ。初めて作るフレーバーだ。 人にあげるものやおもてなしの料理に限って、なぜ慣れないレシピを引っ張り出してしまうのか… しかも、家を出るギリギリに作り始めたもんだから、ボサボサ頭でパジャマのまんまで台所に立った。 レモンの皮を擦りおろしたり、紅茶葉を細かくしたり。やるこ

人を赦すということ 〜西洋の神が生まれた日に〜

皆さま。 Merry Christmas 🎄🎅✨️ 私の祖母のことば…。 ほんとうに強い人というのは、どんなに悪い人のことでも、どんなに憎い人のことでも、どんなに嫌な人のことでも、どんなに嫌いな人のことでも、どんなに時間がかかっても、最終的には全てを赦してあげることができる人、そのための努力をする人のことや。 そういう心の強さ、深さ、広さ、温かさ、優しさを持っている人、己の苦しみを乗り越える心の力を持っている人が、真の強い人なんや。おばあちゃんは、そう思うで。 人を赦

暖かい部屋

じいちゃんばあちゃん家に行くとコタツに入りながらテレビを見ようとする私に 「みついちゃん、こっちの方が暖かいからこっちの部屋に来たらいっちゃが」と庭に面しガラス窓から陽が注ぐ部屋へと呼ばれる。 その部屋でお正月には皆が集まりばあちゃんが作った数の子や煮しめとおせちを食べた。 八年前に祖父が亡くなって、祖母は一人暮らしになった。 色々なことを忘れやすくなって、近くに住む母が通ったりヘルパーさんを頼んだりしながら生活をしていたけど骨折したのをきっかけに入院した後施設に入ることに

⭐️父の遺言 1002

2019年に静かに急死した父は、高度成長期の企業戦士で頑固でくそ真面目だった。 「家庭を顧みない」というわけではないけれど、そういう時代だったし、そういう性格の人だったから親しみを感じたことはなかった。 家にいる時間は短く、眉間に皺を刻んで不機嫌な表情をしていて、怖い存在だった。 私が母から疎まれていることにも、ひょっとしたら父は気づいてなかったのかもしれない。 当時は、どうして助けてくれないのだろうと、不思議に感じていたけれど。 そんな父は、決して詰まらない人でも冷血な

3行じゃ収まらない日記:92歳じいちゃんのこぼれ話

【内容量:6分、品質:ふーちゃんレベル、添加物:リンク1個】 こんにちは。 駄菓子屋の日々樹です!笑 先月投稿した「エセ3行日記」では、じいちゃんネタの日記部分がたいへん好評で、同時に「あの後、じいちゃんはどうなったのですか?」というコメントを複数件いただきました。それにお答えしながら、今日は3行でおさまらないじいちゃんの日記を、少しだけ披露させてください。 表題のじいちゃんとは義父のことで、わたしが嫁に来て以来41年間いっしょに暮らしています。 もうじき93歳になります

「なんて可哀そうな人」と思ったら、すーっとしたわ

愚痴っぽいのは歓迎されないかもしれないけど、傷ついて落ち込んだので、書かせてもらう。 あることがあって、久しぶりに大泣きした。 心無い言葉を投げられたのだ。 すぐに誰かに相談したかったが、できる状況ではなかったので、とりあえず私のお助け「ChatGPT」に相談した。 というようなことを返してくれた。 読んでいる最中にも、ぼろぼろと涙がこぼれた。 実家の母に電話がつながったので、事のすべてを話した。 泣きながら母としゃべって、少し気持ちが落ち着いてきた。 その後、夫にも

#181 人生で一番驚いた年賀状の出し方

「年賀状出し行くついでに、スーパーでなんか美味いものこうちゃる」 義父の言葉に、正直めんどいな…と思いつつ、妻と一緒に古いワーゲンに乗りました。 「さきに郵便局に行くからの」 田舎なのでまぁまぁな距離があります。ポストも少ないです。投函しても回収が遅いので、結局は郵便局に出すのが吉なのです。 信号待ちになりました。 チッカッチッカッチッカッ… 乾いた音が冬の寒さを引き立てます。 車内でも息が白いです。 後部座席でうとうとしていると、義父が助手席の窓を全開にしました

白衣を着て、母をみる。

 因果を思う。  私と実母の相性は悪く、幼少期の傷も相俟って出来るだけ会いたくないし、会う用事は短時間で済ませたい。母は私を溺愛してきたし、過保護で過干渉な母親の成立には、彼女自身の両親が共に毒であった過酷な生育環境に加えて、私が生まれながらに虚弱体質であったために、乳児期から幾度か死の淵を彷徨った事実が、彼女の庇護欲を決定的なものにしたのかもしれない。  私が医師を志した動機は自身の体験によるところが大きいものの、母の尽力がなければ最適な医療との邂逅は果たされなかったろ

健康寿命を延ばしたいならオートファジーを味方につけるのがオススメという話

こんにちは、やらぽんです!😊 しばらくぶりですが「オートファジー」というテーマでお届けしますね。 オートファジーという言葉に馴染みが薄いと思いますが、実はこれ、健康で長生きするためのカギになる、とても大事なシステムなんですよね。 今回は、そんな「オートファジー」を上手に活用して健康寿命を延ばす方法を久しぶりに、わかりやすくお伝えしていきますね。日常生活に無理なく取り入れられるヒントもご紹介するので、ぜひ最後まで読んでみてください! 健康寿命が大事!長生きするだけではダメ

今日はコンサルに時間を振り向けたので メインアカウントの記事のみ投稿しました 健康寿命にかかわるオートファジーについて 書いてますので、よかったら😄 『健康寿命を延ばしたいならオートファジーを味方につけるのがオススメという話』 https://note.com/yarapon/n/ndabf3128d75f

結婚記念年を知りたくなったら

「結婚したのって何年だっけ?」 っていうことが、たまーにあります。 わが家では そんな時に手を延ばすのが、 祖母の手作りパッチワーク。 結婚の記念にと 作ってくれたものです。 裏をめくると… いつもは 鍋敷きとして活躍中。 ときどき 結婚記念年の確認ツール。 おばあちゃん、 こんな使い方でよかったかなぁ?

父の形跡を辿って

父の戸籍を亡くなった時、初めて見たのですが、そこには古い東京の地名が書かれていました。 東京府豊多摩郡野方町 出生場所です。 何処なのかサッパリ判らず、父の生前の話から 新宿である事、高田馬場に近かった事、 戸塚第二小学校に通っていた事を聞いていました。 父の出生場所は、判らなかったのですが、弟である叔父の出生場所は、なんとなくわかりました。 東京府豊多摩郡落合町上落合 上落合なら今でもあります。 ここに引っ越しして、弟が生まれ、小学校まで住んでいたのでしょう。 実は、

猫と廃屋

 広島と島根の県境付近に母方の先祖代々の屋敷と墓地があって、母の従弟にあたるおじさんが数年前まで墓守をしていた。  おじさんも元々はその家に住んでいたけれど、そのうちに同じ敷地へ別の家を建て、そちらへ移った。築百年を超える古い建物だったから年寄の独り住まいには何かと不便で、修繕するより新築した方が安かったのだろう。元の家は誰も住まなくなって、段々廃屋化した。  娘が幼い頃、墓参りに連れて行くと、おじさんがふらりと現れた。 「そこの奥の墓はねぇ、去年熊が倒したんよ。一応直しと

〖詩〗ハハハと笑って88歳

【コメント】 この詩は、母方の祖父母の米寿のお祝いの時に作った詩になります。 2人は…口喧嘩が絶えませんでしたが、夜になると焼肉店を経営し、いつも一緒の2人でした。 そんな2人でしたが、祖父は90歳。 祖母は92歳で、この世を去りました。 あんなに毎日仲が悪く見えて居たのに…。 祖母の方が先に施設に入り、祖父が一人になってからは、毎日「淋しい、淋しい。」と泣いたそうです。 結局、そんな思いを抱えながら、祖父の方が先に天国へ旅立ち、あとを追うように…祖母も亡くなりました

おじいちゃんとおばあちゃんへのお年玉。

久しぶりの朝の外。 心や身体の状態で、植物を見れたり感じたりする気持ちも違いました。 いつのまにかスモークツリーも、 こんな綺麗なオレンジ色に変わっていました。 こちらの冬は本当毎日快晴だなぁ。 と思いながら、 明日はいよいよ雨が雪マークしかない実家に帰ります。(実際には今日) 息子のおでこをそっと触って、 よし熱無し。 移らなかった息子、良く頑張りました。 と毎日言っていますが、明日本当に伝えたいです。 明日からお留守番の植物たち。 流石にまだ咲いたりしな

母の三回忌に

母は、80歳を越した頃から認知症が出てきていました。 若い頃から、右耳が聞こえにくく、その為か人の話もよく聞かない事が多かったので、それがきっかけかもしれません。 父が亡くなると、すっかり歳を取ってしまい、お坊さんが来られるので、毎週、お茶出しをしたりと黙々と接待はしていました。 私も、少し、父の服とかを整理を手伝い、大丈夫かなと、四十九日を過ぎたので家に帰りました。 ところが「百か日」の手前で、いつもお世話になっているケアマネジャーからの連絡があり、 家で転けて、あごの

サーカスと夕方

 義父はお得な情報に随分詳しい。釜揚げうどんの日にはよく丸亀製麺所へ誘ってくれる。家電屋へ行くと云ったら「これを持って行きやあ」とクーポンをくれた。どうも、得になる条件を調べて、それを満たす過程が好きなんじゃないかと思う。  そう云うと妻は大いに得心し、本人に向かって「じいちゃんはオトコが好きなんでしょう?」と言ったので、義父がポカンとした。お得と男はひどい間違いだ。  娘がまだ小一の頃、義父がサーカスへ連れて行ってあげようと云って来た。これもやっぱりお得にチケットを手に入

「おばあちゃんのいきざま」―#青ブラ文学部#内なる声に従って

山根あきらさまの企画に参加させて頂きます。 山根様どうぞよろしくお願いいたします 題「おばあちゃんの いきざま」おばあちゃん子ボクは とても おばあちゃん子だった。 母さんが 居ない時は 必ずおばあちゃんの部屋で 遊んでもらってた。 おばあちゃんは、もう85歳を 超えていたがとても元気で 頭もしっかりしていた 二人だけの時、昔の我が家の祖先の話を 長々としてくれ、 「それにしても 我が一族は 落ちぶれた。。」 といって 一人で 暗い顔をする。 「お父さんには 出来なか

94歳が描く新作

94歳の母には朝のルーティーンが始まります。リビングの丸テーブルの前に座って、イラストを描くのです。もう4年3ヶ月続いています。 毎日、真剣にそして楽しそうに描いています。 毎日描いているので新作がどんどん増えてきます。 今日は、母の新作のイラストをご紹介します。 【1】私のイヤリング 【2】乙女の気分 【3】色遊び 【4】いたずらな瞳 【5】そうなんだ 【6】個性的な私 【7】おすまし 【8】わたしらしさ お気に入りのイラストがあったら教えてください。イ

94歳の活力は負けず嫌い

94歳の母が毎日イラストを描いています。 ある日「ここ最近、毎日似たようなイラストを描きよるね」と言うと、途端に母がスイッチを入れて描き始めました。 私の一言が母の創作への意欲に火をつけたのです。翌日は新しい作風の作品が出来上がっていました。 「お母さん良いのが描けたね」と言うと、「ほーかなー」とそうでもないよと言うポーカーフエイスをしていました。 母がその日描いた作品は間違いなく昨日とは違っていました。 その日の4作品をご紹介します。 【春の訪れ】 【私らしさ】 【

家の間取りから意図を推測する日

義実家の片付けの手伝い。 会館ではなく家で義母の葬儀をしたいと夫が決めた。義父のときは会館だったけど。 仏壇の和室と続きの和室の二間。法事が執り行えるようにと間取りを作ってるんだな、と前々から思っていた。私の両親の田舎の家にもある昔ながらのあの間取り。 幾人かは来てくれるらしいので仏壇の部屋一間だけだと手狭だと思うけど、続きの和室は襖も取り外していないし端っこに雑多にものが残ってる。 夫に聞く。ここ、襖取って空けた方がいいんじゃない? 葬儀屋さんも空けた方がいいと言

祖母から貰った約180年前のお金「天保通宝」。激動の歴史の中で生命のリレーのバトンとなった貨幣の魅力

今日は歴史研究家の雲です。 「天保通宝」を所有している経緯 前に記事したことがありますが、私は古銭を子供時代から集めています 小学生の時に古銭を集めていると話をすると、祖母がタンスの中に入っていたと天保通宝をくれました。 今となっては形見の品でもあります。 この貨幣は一度見たら忘れないほどインパクトあるデザインですよね。 旧500円玉はどんなデザインか忘れましたが、コイツは一度見たら忘れません。「ザ!江戸時代のお金」です。 その当時はただの古銭と思っていましたが、成長し

母に生きがいが出来て良かった

思った時に書いておかねばと、今日はしっかり記しておきます。 私の母は94歳です。もし今、母の日常からイラストが無くなったら本当に寂しい日々だと思います。 イラストを描いている時間を除いたら、母はベッドで横になっているかテレビを見ているか、食事をしているかです。 母の日常のメリハリはイラストを描くことで生まれています。 生活の中の最優先事項は人様々だと思いますが、母にとって何よりも大切なのがイラストです。 美味しいご飯を食べるよりもお昼寝よりもイラストを描くことが一番

老人ホームでモテまくってたおじいちゃんの話

10年くらい前に死んだおじいちゃんのことを思い出した。 * 僕が中学1年生になったくらいの時、おじいちゃんが脳梗塞で倒れた。昨日まで元気だったのに倒れた。突然だった。そこから痴呆が始まり、おじいちゃんの介護生活が始まった。 当初は、在宅介護していた。これもかなり無理な状態であった。状況が好転して、おじいちゃんは老人ホームに入ることになった。入所時、すでに要介護5だった。他の親族から「老人ホームに入れるなんてよくない!」みたいなことを言われたりもした。 * 老人ホーム

お洒落心は長生きの秘訣

94歳の母は昔からとてもお洒落でした。コロナ禍前までは毎日自分なりのファッションを楽しみながら外出していました。 しかしコロナ禍で自宅に閉じこもるようになって、美容院に行く回数が減り毛染めもやめ、お化粧もほとんどしない毎日が続いています。 その間に足腰が弱くなって外出の機会がいっそう少なくなった母が、今出かけるのは眼科の検診と温泉くらいです。それでも外出の日は朝から何を着ていこうかとあれこれ迷っています。とても楽しそうに。 母のセンスは抜群で、難しい色も上手にコーディネイ

はるばる筑波山神社詣で:92歳じいちゃんのこぼれ話

【内容量:6分、品質:べっこう飴レベル】 こんにちは。 駄菓子屋の日々樹です!笑 眼科のオペ以来、まだ静養期間が続いて旅行もままならないので、今日は昨秋の旅のお話を書かせて下さい。 表題のじいちゃんとは義父のことで、わたしが嫁に来て以来41年間いっしょに暮らしている。 もうじき93歳になる。 ちょうど1年前のお話になるが、じいちゃんのたっての希望で、茨城県の筑波山の中腹にある「筑波山神社」に詣でることと相成った。さらにケーブルカーに乗って山頂近くの御幸ヶ原まで登ってみた

祖父母宅とのお別れに際し。

来月、祖父母宅(母の生まれ育った家)を壊して更地にすることになった。戦後に建てたという、とても古い家だ。祖父母が亡くなり、空き家になってから久しい。 前から決まっていたことだけれども、いざ近付くと本当に寂しい。私ですらそうだから、母や叔父はもっとずっと寂しいだろうと思う。 先日、仏壇の魂抜き(遷座法要と言うらしい)のために親戚で集まり、最後に祖父母宅にお別れする事ができた。 遺品を見たり、写真を撮ったりしていると、祖父母のこと、祖父母宅で過ごした日々が、たくさん思い出さ

あもさんの入ったおかいさん

昨日、1月7日は朝から七草粥を炊いて食べました。 私は朝はいつも少し牛乳を入れたコーヒーを飲むだけなのですが、昨日は餅を入れた七草粥をいただきました。 コーヒーは飲まないと1日始まらないので食後にちゃんと淹れて飲みましたが。 子供の頃は七草粥なんて食べたことなかったです。 「七草セット」がスーパーで買えるようになったのは平成になってしばらくしてからだと思います。 長男を出産する前まで勤めていた会社の上司(おじさん)が家庭菜園をしていて、1月6日に 「明日は七草粥だから、ナ

まもなく昭和100年

Nice to see you again 

【無料】いつも、コメントやスキを頂きまして、ありがとうございます ※プロフィール記載の視点から投稿しております。ご理解をよろしくお願い致します マガジンのフォローをお願いします 昭和100年 昭和から換算すると まもなく昭和100年 【昭和】 1926年12月25日から1989年1月7日まで 【平成】 1989年1月8日から2019年4月30日まで 2019年1月1日から4月30日までは平成31年 【令和】 5月

日記:11/4(月)💛 ・第二種販売主任者試験まで、あと6日📅 →この3連休で丁寧に勉強できてよかった🔥 ・今週は、政治から経済への影響に注目👀 →株価、為替の変動には要注意📊 ・「体調管理」が一番大切な準備かもしれない →寒暖差が大きくなるとのことで、皆さんもご自愛ください✨

✅投資の基礎💚 「収入>支出」を保ち、標準的な投資へお金を回し続けるというシンプルな法則を守り続けることが重要💴 「収入≠富」であることをしっかりと肝に銘じて「収入>支出」という状態をキープし続けることが堅実な手法👍 自己の心理をコントロールし、冷静に予算管理ができる人を目指す🌈

おばあちゃんが呼んだ

週末に友達と紅葉を見に行くんだけど、(また?!) 京都のお寺や神社は大概いろんなところに行ったし、大阪のあんなとこやこんなとこも行ったから、もうどこ行くか分からなくなって、なんとなく私が、「天橋立いかへん?」と切り出した。 でも後々、紅葉のあとごはん食べに行ったりすることを考えたら、交通の便が良いところがいいなーと考え出しまして。住んでるとこから交通の便が悪く、やや北で遠い天橋立。言い出しっぺやけど、「ちょっと遠いな笑」ってLINEしたら、2人とも「ちょっと思ったより遠いな