【料理エッセイ】十余年ぶりに父と会ってきた ピースとビールとマグロの香り
以前、父と何年も会っていないことを書いた。
端的にまとめると借金やら不倫やら美人局やら解雇やら、いろいろあって父はどこかへ行ってしまって、連絡が取れなくなっていた。ただ、弟は大学生の頃に再会し、LINEを交換していたということが先日わかった。
家庭内のいろいろを整理するためにも、何年も会っていない父方の祖父母の様子を知るためにも、弟が連絡をとってみようかなぁと言っていた。でも、一人で会うのは気まずいので、一緒に来てほしいと頼まれた。ちょっと考えた末、うん、と答えた。
で、その後、弟は父にメッセージを送り、三人でご飯を食べることになった。焼肉屋の個室を予約した。なにを話したものか迷いつつも、とりあえず、顔を合わせたら父は嬉しそうで、あれこれ、会話は盛り上がった。
まずは互いの近況を報告し合った。父は関東近郊の田舎町で駐車場込みの家賃3万円台のアパートに暮らしながら、商業施設で警備の仕事をしていた。弟が正社員であることを「凄いなぁ」と褒めているのが印象的だった。
次に、祖父母について聞いてみた。一応、元気とのことだった。でも、色々大変みたいで、むかしから酒飲みだった祖父はますますアルコールに溺れてしまって、わがまま放題なんだとか。そのストレスなのか、年齢のせいなのか、祖母の認知機能は怪しくなってきていて、なんと、万引きで逮捕されてしまったとか。執行猶予はついているけど、どうなることかと父は不安そうだった。
まさかそんなことになっているとは……。
父方の実家は破茶滅茶だったので、なんとなく心配はしていたけど、想像以上だった。自分になにができるかわからないけれど、もし、会いにいくことで喜んでもらえるのであれば、祖父母の家に行きたかった。そのことを父に伝えたら、すごく喜んでくれた。
なんでも、祖母は父にわたしたちのことをよく尋ねているらしい。その都度、父は「俺もわからないんだ……」と答えるのが辛かったという。もう二度とわたしたちとは会えないと覚悟していたから、今日、こうやって会えてよかったと感極まっていた。
とりあえず、その場で祖父母の家を訪ねる日を決めた。こういうスケジュールはすぐに調整しないと永遠にまとまらない。予定が変わったらリスケすればいいので、パパッと仮押さえしてしまった。
この前の土曜日がその約束した日程だった。祖父母は喜び、みんなで焼肉を食べに行こうとはしゃいでいると父から教えてもらった。祖父は89歳で総入れ歯なのにカルビもホルモンもバクバク食べるらしく、相当に張り切っているようで、会いに行く甲斐があるとわたしも嬉しくなっていた。
ところが月曜日、父から祖父の急死を知らせる連絡があった。執行猶予中の祖母が半ば監視目的のデイサービス終わりに帰宅したところ、祖父は風呂場で倒れていたそうだ。救急車を呼び、遺体は警察に移送され、念のため検死に回されているため、火葬はいつになるかわからないけど、来れたら来てほしいとのことだった。通夜も葬式もしないから、最期に顔を見るチャンスはそのときだけだった。
あと数日したら一緒に焼肉を食べる予定だったのに、こうもあっさり死んでしまうとは。なんだか現実感のないまま、わたしは「火葬行くよ」と返事を出した。
その後、検査が終わり、火葬の日取りも決まった。混雑しているみたいで時間が何度か変更になったが、弟と待ち合わせて、会場に向かった。
久々に会った祖母はすごく小さくなっていた。わたしたちに敬語でやたら丁寧な挨拶をしていて、たしかに、認知機能が怪しくなっているようだとすぐにわかった。喪服姿の叔母さんがいた。五十代だけど、むかし、芸能活動をしていただけあって相変わらず美人だった。むかしでいう妾のような生き方をしている方で、うちの母は嫌っていたが、わたしはこっそりカッコいいと思ってきた。いまもちゃんとカッコよくてホッとした。
祖母は落ち着きがなかったので、諸々の状況は叔母から教えてもらった。年齢が年齢だから死因の特定は難しいけど、書類的には虚血性心疾患だったとか。恐らく、前兆はなく、本人も風呂上がりにビール(発泡酒だけど)を飲むか満々だったようで、冷凍庫にのどごし生が凍っていたからわかったという。祖父は一本目をキンキンに冷やすため、必ず、冷凍庫で急冷させていた。
わたしは思わず、
「じゃあ、おじいちゃん、まだ死んでいることに気がついていないかもしれないね。いまもビール飲む気でいたりして」
と、言ったら、みんな笑っていた。
そうこうしているうちに順番が来た。棺に入った祖父はわたしが知っている姿と比べてだいぶ痩せてしまっていたけれど、穏やかな表情をしていた。本当に死んでいることに気がついていないようだった。
タバコが好きで、増税前に大量買いしていたピースを副葬品に入れた。祖母が何カートンも持ってきていて、祖父はタバコの箱で溺れているみたいになってしまった。どう考えても肺がんで死んだ人みたいだった。
棺が炉に入っていく瞬間、さすがに込み上げてくるものがあった。本当だったら、土曜日、一緒に焼肉を食べているはずだったんだけどね。どんな声をしていたのか、どんな風に笑っていたのか。もう知ることができないんだと思ったら寂しかった。
隣で叔母さんも泣いていた。父も泣いていた。祖母はぼーっとしていた。弟は複雑な表情をしていた。たぶん、わたしも同じような顔をしていたと思う。
待ち時間は40分ぐらいだった。喫茶店で叔母さんとあれこれしゃべった。祖母ともしゃべった。話し始めると楽しくなってしまうから不思議だ。ほとんど祖父についてだった。悪いこともたくさんあったけど、こういうときだし、よかったことを中心に。
骨は意外としっかりしていた。箸渡しをして、骨壺に収めるとすりきりいっぱい。喉仏とか、頭蓋骨とか、耳の骨とか、解説を受けながら、フタがちゃんと閉まるか心配だったが、うまいことなっていた。
骨を祖父母の家に運んだ。白い布がなかったらしく、テレビ台からテレビを下ろして、ゴミ袋を敷いたところに骨壺を置いた。みんなで余ったピースを吸うことにした。普段、わたしはタバコはやらないけど、こんな日だしと思って一服したら、案の定、盛大にむせてしまった。
祖母が凍ったのどごし生を出してきた。パンパンに膨らんでいた。これを風呂上がりに飲む気だったんだと思えば、幸せな死に方だったのだろう。入院はしたくないと常々言っていたらしい。病院じゃ、酒も飲めないし、刺身も食べられないから、と。
「刺身が好きだったの?」
わたしが聞くと、祖母が答えた。
「お父さんは必ずマグロの刺身を食べたの。毎日。絶対。赤みをね。売ってなかったと言ったら、そんなはずないと自分で買い物に行ってね。スーパーにも魚屋にもなかったら、居酒屋で譲ってくれと交渉したり、その情熱は相当だった。死んだ日も冷蔵庫に自分で買ってきたマグロが入っていたのよ。悪くなっちゃうから、もう食べちゃったけどね」
このとき、祖母はその日はじめて饒舌になった。
そんな話を聞いたからだろうか。マグロが食べたくなった。時刻は夕方。みんなでご飯を食べに行くことにした。
回転寿司のテーブル席に座った。祖母はお酒を飲めないし、父も叔母さんも車で来ていたので、ビールを飲めるのはわたしと弟だけだった。申し訳ないと言いつつ、でも、祖父はビールを飲んで欲しがっているよと言われてビールを頼んだ。
つまみにマグロの刺身を注文した。
口の中に広がるピースとビールとマグロの香り。祖父はこれを毎日味わっていたのか……。全然よくないけど、めちゃくちゃよかった。
できれば会いたかったけど、これはこれで悪くないかも。おつかれさま、おじいちゃん。地獄で会おうぜ! それまではお元気で。
マシュマロやっています。
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