
あもさんの入ったおかいさん
昨日、1月7日は朝から七草粥を炊いて食べました。
私は朝はいつも少し牛乳を入れたコーヒーを飲むだけなのですが、昨日は餅を入れた七草粥をいただきました。
コーヒーは飲まないと1日始まらないので食後にちゃんと淹れて飲みましたが。
子供の頃は七草粥なんて食べたことなかったです。
「七草セット」がスーパーで買えるようになったのは平成になってしばらくしてからだと思います。
長男を出産する前まで勤めていた会社の上司(おじさん)が家庭菜園をしていて、1月6日に
「明日は七草粥だから、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザをあげる。セリと大根とカブはどこでも買えるやろ」と畑で摘んだ草を持って来てくれたことがありました。
家で七草粥を食べたことはなくても、1月7日にはテレビで
「1月7日の今日は〇〇で訪れた人に七草粥が振る舞われました」というニュースが必ず流れるので、
「ふーん、味噌仕立てでもいいのか」
「お餅を入れてもいいのか」などと興味深く見ておりました。
実家の朝食は私が生まれる前からパン食でした。
お祖父ちゃんがパン派だったのです。
明治21年生まれのお祖父ちゃんはいつもトーストしてバターを塗った食パンの耳を全部切り落としてお砂糖をふったのと温めた牛乳、それと生野菜のサラダを食べていました。
お粥は誰かが寝込んだ時にだけ作られる特別食で、それも何も入れない白い「おかいさん」しか知りませんでした。
それでもお祖父ちゃんが90歳近くなって体や足が悪くなってくると、おかいさんが作られる機会も増えました。
ある時、母がテレビで見たのだったか、お祖父ちゃんの介護に来た伯母の誰かが言ったのだったか、それともお祖父ちゃん自身が作ってくれと言ったのだったか。
鏡餅の残りを焼いてお粥に入れたものが作られました。
「えー、おかいさんにお餅?」と小学生の私は思いました。
でもお祖父ちゃんが喜んでねぇ。
「おかいさんにあもさんが入ってる!」
と、すごく嬉しそうでした。
家でお餅のことを「あもさん」と言うのはお祖父ちゃんだけで、私は長らく徳島の方言だと思っていましたが、大阪弁らしいです。
お祖父ちゃんは徳島で尋常小学校卒業後、勉強がよく出来たので授業料無償の特待生にするから上の学校に行かせてやってくれと校長先生が家にまで来たのに親は行かせてくれず、船場に丁稚奉公に上がったとよく聞かされました。
お餅を入れた七草粥を拵えながら、
「おかいさんにあもさんが入ってる」と喜んでいたお祖父ちゃんのことを思い出しました。