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祖父母宅とのお別れに際し。


来月、祖父母宅(母の生まれ育った家)を壊して更地にすることになった。戦後に建てたという、とても古い家だ。祖父母が亡くなり、空き家になってから久しい。

前から決まっていたことだけれども、いざ近付くと本当に寂しい。私ですらそうだから、母や叔父はもっとずっと寂しいだろうと思う。


先日、仏壇の魂抜き(遷座法要と言うらしい)のために親戚で集まり、最後に祖父母宅にお別れする事ができた。

遺品を見たり、写真を撮ったりしていると、祖父母のこと、祖父母宅で過ごした日々が、たくさん思い出された。





祖母は、趣味で始めた水墨画で師範免許を持っていて、家のあちこちに作品が飾ってあった。主に植物や魚や鳥を描いていたのだけれど、子どもながらに、素敵だなあと思っていた。色を使ったものもあれば、墨の濃淡だけで描いたモノトーンのものもある。

残念ながら、そのセンスを受け継いだ子孫は、今のところ現れていない(今後に期待)。作品は母達きょうだいが受け継ぎ、私の実家にもたくさん保管してある。


祖母の作品をプリントしたテレホンカード。


また、とても筆まめで、手紙や日記も亡くなる直前まで書いていたらしい。それに、買ったもの一つひとつに、日付と、直近の家族の出来事を記していた。

この日、思い出の品をそれぞれ持ち帰ったのだが、いとこ姉妹の写真が飾られていた写真立ての裏には、こう書いてあった。

平成〇年〇月〇日  
□□ちゃん 「金ちゃんの仮装大賞」出場・ディズニーランド

□□ちゃんはいとこ

そうそう。いとこが小学校2年生の時に、『金ちゃんの仮装大賞』にクラスメイトと出場したのだ。応募したのは担任の先生。

年末に、みんなで集まり、テレビの放送を観た。その時いとこが買ってきたディズニーランド土産のミッキーの写真立てなのだ。祖母の文字から、当時のことがありありと思い出される。


家電にも、家具にも、お盆にも、食器の箱にも。家中あちこちに、祖母の文字と思い出が散りばめられていた。

私は、祖母が旅行で訪れた北海道で買ったらしい木彫りの置物を頂いてきた(日付けは1990年だった)。なんだか縁を感じて、そのまま放置しておくのが忍びなかったのだ。

息子が全く使っていない勉強机に飾ってみた。渋い!


私達孫をたくさん可愛がってくれた、優しい祖母だった。私が高校生の頃、早くに亡くなってしまったのが、本当に悲しかった。もっと色んなことを教えてもらいたかったな。



祖父は、祖母が亡くなってから約10年、一人暮らしをしていた。廊下の壁に、釣りが趣味だった祖父の潮見表が貼ってある。日付は平成。体調を崩す少し前まで釣りに行っていたんだなあ。

雑学王でもあった祖父の書斎には、たくさんの本が残されていた。それと、黒板には書き置きも(以前、こちらの記事で書いた↓)。これも見れなくなるのか、寂しいな。しっかりと目に焼き付けた。


色々なことを知っていて、引き出しの多い祖父だった。私の知らない話もたくさんあると思うが、波瀾万丈な人生だったことは間違いない。


祖母とは仲が良く、お互いの趣味を尊重し合っていたと思う。




祖父母宅での思い出は、本当にたくさんある。


小学生の頃の夏休みは、何泊もして過ごした。叔父一家も一緒に泊まる時は、大家族になって、賑やかだった。


庭の小さな池の鯉に餌をやったり、兄と一緒に用水路のカニ(海が近いので、カニが出歩いていた)を捕まえたり。

少し宿題をしたら、みんなで甲子園を見ながら庭でBBQ。西瓜の種飛ばしもした。

当時は祖父が酒屋を営んでいたので、たまに店番したり(座っていて、お客さんが来たら大人を呼ぶ)、母がバイクで配達に行ったり。

増設を重ねた家だったので、動線はめちゃくちゃで。台所から広間までが遠くて、脱衣場兼廊下と数段の階段を通らないと行けない。料理を運ぶのは、結構大変だったと思う。でも、子どもの頃は、お手伝いの甲斐があって、なんだかうれしかった。

当時よく使っていた食器も出てきて、懐かしさが込み上げる。全部を引き継ぐことはできないので、かき氷を食べた記憶があるガラスの器だけ頂いてきた。


いつだったか、広間の天井に大きい蜘蛛(タランチュラ?)が出て大騒ぎしたなあ。

広い縁側では、子どもはトランプ、大人は麻雀をしてたよね。

近くのラーメン屋(今でも人気店)から出前を取ってみんなで食べたっけ。

何かあると、ご褒美に店からジュースを持って来ていいよと言われて、ワクワクしながら選んだね。


そんな些細なことまで、たくさん、本当にたくさん思い出した。


まだまだずっと見ていたかったけれど、そういう訳にもいかなくて。


最後に、床の間の前でみんなで記念撮影をした。


そして、表札を外した玄関から出て、祖父母宅を後にした。



次に訪れる時は、もう何もかもなくなっているだろう。




この日感じたのは、もちろん寂しさもあったけれど、懐かしさと、たくさんの感謝の気持ち。

この家で祖父母が夫婦となり、母達きょうだいを育ててくれた。そのおかげで、今がある。


もうなくなってしまうけれど、私たちの心には、あの家での思い出や祖父母のことがずっと残っていくだろう。



おじいちゃん、おばあちゃん、お元気ですか?
空の上から私達が見えていますか?

最後にお家にお別れしてきましたよ。

遷座法要に遅刻して、魂が抜かれた後に手を合わせました(笑)が、気持ちは伝わっていますよね?

あのお家はなくなってしまうけれど、大丈夫です。私たちの胸にしっかりと刻みました。

いつかまた会えたら、たくさん思い出話をしましょうね。

ありがとうございました。





おしまい。


*****


最後までお読みいただき、ありがとうございました。





***2024/10/7追記***

ありがとうございます~

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