暖かい部屋
じいちゃんばあちゃん家に行くとコタツに入りながらテレビを見ようとする私に
「みついちゃん、こっちの方が暖かいからこっちの部屋に来たらいっちゃが」と庭に面しガラス窓から陽が注ぐ部屋へと呼ばれる。
その部屋でお正月には皆が集まりばあちゃんが作った数の子や煮しめとおせちを食べた。
八年前に祖父が亡くなって、祖母は一人暮らしになった。
色々なことを忘れやすくなって、近くに住む母が通ったりヘルパーさんを頼んだりしながら生活をしていたけど骨折したのをきっかけに入院した後施設に入ることになった。
私は当時結婚して県外に住んでいたけど、帰省のタイミングが合ったので入院後しばらく空けるその家の片付けをする為に母と一緒に祖母の家に向かった。料理好きだった祖母だけど台所の戸棚にはインスタント味噌汁の「あさげ」が何個も何十個も並べ押し込まれていた。
それから帰省時、ばあちゃんに会いに行くのはあの家の方ではなくで施設の方。
コロナの時期は日当たりのいいテラスに案内され、ばあちゃんは室内で車椅子、私は屋外のテラスで網戸越しでお喋りをするというあの時期独特の体制が取られた。
ばあちゃんは前より少しずつもっと色々忘れやすくなっていて会話の途中で何回か
「みついちゃん、こっちこんね」と足が悪いことを忘れて立ち上がろうとしたり、網戸越しでないと駄目なのに開けてくれようとしたりして「あら」と思い出して「駄目やっちゃねぇ」とその度照れたみたいに笑った。
「それで、みついちゃんはじいちゃんにはもう顔見せてきたとけ?」
じいちゃん?
ごめん、まだお墓参りもばあちゃん家の仏壇に線香も上げに行ってないわ、ばあちゃんとこに最初に来たよ
と言おうとして少し間を開けたら
「…あぁ、じいちゃんはもう死んだとかね」
と言ってまた照れたみたいに笑った。
私は本当に出来の悪い孫なので何も上手にも優しくも言えないで「そうやね、立派なお墓建てた、ってみんなで写真撮ってたね」とだけ返して世間話に切り替えて、しばらくしてまた来るねと帰った。
結局家には一度も戻れないまま祖母は三年前に亡くなった。
祖父母の家は残してあるし仏壇があるので帰省時には毎回寄っていく。
もう誰も「こっちにおいで」と呼んでくれないけど私は庭に面した暖かい部屋に一人座って「帰ってきたよ」と線香をつけてお喋りをする。
急に寒くなったよね。
窓開けるね。
隣、新しい家建ったっちゃね。
この部屋暖かいね。