お題

#おじいちゃんおばあちゃんへ

思い出のエピソード、感謝していることや伝えたい気持ちなど。おじいちゃんおばあちゃんへ、手紙を書くようにnoteを書いてみませんか?

新着の記事一覧

西の魔女との生活

 今日は月に一回の病院の日でした。お薬を貰って帰ってきてから読書をしていたら、なんとなく思い出したことがあったので書こうと思います(ちなみに読んでいたのは梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」です。)  私は五歳(保育園年長くらいの時期)のとき、父の叔母夫妻の家に長い間居候していました。今はかなりマシになった方ですが、当時はとにかく偏食が酷く、母からは「うどんと苺しか食べてくれなかった」と聞きました。当然給食の時間も苦手で、お昼寝の時間まで残って食べさせられていました。お肉もお

ばあばと珍しいもの😃🌃フリートークでこんばんわ(2/19)

桜とブロック

 今はブロック塀の家が随分減ったけれど、自分が子供の頃はブロック塀が普通だった。特に家の辺りは昭和の建売住宅地だったから、みんな同じブロック塀で囲われていたのである。  幼い頃には近道と称して、この塀の上を歩いて移動した。そうして歩くのはよその塀の上なので、今振り返ってみると、よく怒られなかったものだと思って腹の中がもわもわする。  他人の塀を歩くぐらいだから自分の塀も歩いた。家は区画の角にあって、歩いたってどこへ近道になるわけでもない。ただ探検ごっこの一環で、歩いて遊んで

今日は仲間たちと八幡浜で美味しいフグをいただきました。味よし量良し最高でした🩷母はずっと待っていました☺️ 愛媛県松山市は晴れ☀ 👵ばあばの一言 「娘が出掛けると帰ってくるまで心配です⭐親心を娘はなかなか分からないようです⭐これから安心してお休みします☺️やっとほっとしました。」

高齢者の食事と健康

リタイアしてから母と二人で生活している私は、94歳の母の健康を守るために毎日いろいろ献立を考えていました。 味にうるさく、自分の好みがはっきりしている母の欲求を満たすのはなかなか難しいのですが、それでも私なりに頑張ってきました。 最近の母は体調が思わしくないのが原因なのか、私の料理に不満があるようです。 残したり、一切口にしない時もあります。栄養面などを考慮して、再度メニューを出しますが、手をつけなかったり、残すことが多くなりました。母が安心して食べているのはバナナや顆

今日は母と温泉に出掛けて心地よかったです❤️帰ってから熟睡していました✨母は相変わらず少食です⭐ 愛媛県松山市は晴れ 👵ばあばの一言 「今日は暖かかったです⭐風がありましたが優しい春を感じました🩷温泉に行ってとても心地よかったです⭐また近いうちに出掛けたいです☺️元気になります」

お昼のヨーガと日常の景色

本日2月17日は大好きな祖父の95歳の誕生日です。 引き寄せなのか、祖父が大好きだった地元のくず餅をタイミングよくいただきました、なおこです。 亡くなってから今年の11月で丸10年の月日が経ちます。 祖父も祖母も父のことも、一日も忘れたことはない。 亡くなった人の姿形は見えなくても自分の心の中でずっと生き続ける、は本当だと思います。 大好きな出雲大社沖縄分祠にも手を合わせてきました。 これが不思議なのですがね、この直後に朗報があったのです。 私自身ずっと気になっていた事

祖母の愛情を忘れないうちに。

私はおばあちゃんっ子だった。 おじいちゃんは、私が物心つく前に亡くなっていて、母方の祖父母は訳あって、海外に住んでいたものだから、 私にとってのおばあちゃんは、「おばあちゃん」だけだった。 おばあちゃんにとっても、私は末孫で、上の孫から10歳は離れていたので、それはそれは可愛がってもらえた。 両親と喧嘩した時は、家出という名目で、おばあちゃんの家まで自転車を漕いで、よく泊まりに行った。 おばあちゃんのご飯は、とびっきりにおいしくて、でも泣きながらご飯を食べるものだから、ちょ

私はカレーが苦手だ。

最初に結論から話し始めることがポイントとどこかで聞いたことがある。 私はカレーが苦手だ。 共感してくれる人がいるのだろうか。 味が嫌いでなどいう「全く食べられない」その類の苦手ではない。 ニュアンスとしては、あいつに魅力を感じないといった感じ。 これがフォー(引き合いに出してごめん。)とかであれば、まぁそんなもんかと立ち止まることすらないんだろうけど、私の場合、あのカレー様である。 神保町や吉祥寺といった人気の町では所狭しとカレー屋の隣にカレー屋が並んでいる。 お子様好

母に生きがいが出来て良かった

思った時に書いておかねばと、今日はしっかり記しておきます。 私の母は94歳です。もし今、母の日常からイラストが無くなったら本当に寂しい日々だと思います。 イラストを描いている時間を除いたら、母はベッドで横になっているかテレビを見ているか、食事をしているかです。 母の日常のメリハリはイラストを描くことで生まれています。 生活の中の最優先事項は人様々だと思いますが、母にとって何よりも大切なのがイラストです。 美味しいご飯を食べるよりもお昼寝よりもイラストを描くことが一番

#178 バレンタインデーは、祖母の100歳の誕生日🎂

今年のバレンタインデーは特別な日です。というのも、祖母の100歳の誕生日だからです。もし生きていれば、ということになるのですが。今日は、生きていれば今日100歳になる、祖母の話です。 (ヘッダ写真:前回妻からもらったチョコレート〜食べても写真を残したい) バレンタインデーが誕生日かつ命日 母方の祖母はバレンタインデーが誕生日で、かつ命日でした。日本にいる時は、妻がチョコレートをくれて、僕は西洋式に花束をプレゼントするのが習慣でしたが、バレンタインの妻への花束は、同時に祖母

辿り着けない あの味

私は 2つ歳下の弟と 2人きょうだいである。 幼い頃から 共働きだった両親。 両親とも 夜勤のある仕事をしていたので、物心がついた頃から、母方の祖父母の家に預けられることが多かった。 典型的な(?) じいちゃんばあちゃんっ子だった 私は、他界してもう 随分時が経っても ばあちゃんの 作った料理の味が 忘れられなくて 無性に食べたくなる時がある。 それは すごく豪華なご馳走だったとかではなく(ゴメン、ばあちゃん…) 今なら いくらでも 作ろうと思えば作れる、 素朴な玉子焼き

【いつかの余韻#1】わたしの祖父

 今回 #おじいちゃんおばあちゃんへ このテーマを見つけたとき、初めてのエッセイ(これがそう呼べるかは疑問だが…)は、これにしようと決めた。なんてったって私はジジババっ子なのである。 #1は亡き祖父に向けて、色褪せないよう思い出を。  母方の祖父は、お茶目な人である。 記憶の中の祖父はお酒が好きで、朗らかで、嘘か本当かわからないような冗談をよく言う人だった。(酔っぱらってよく怪我もしていた。) 絵が上手で、祖父は部屋でよく色鉛筆で絵を描いていた。 机に向かって絵を描く祖父の

ばあばと1日😃🌃フリートークでこんばんわ(2/12)

ばあばと昔の紅白歌合戦😃🌃フリートークでこんばんわ(2/11)

春の雨怠りなきやルーティーン🔷ばあばの俳句(2/11)

春の雨怠りなきやルーティーン

94歳のイラストと俳句のコラボ作品です。 母は毎日欠かさずベッド体操と椅子を使った運動で体力維持をしています。それは母のルーティーンの一つです。雨の日も風の日も関係ありません。何でも決めたことはきちんとやりたい母の思いを感じます。

僕と祖父の思い出【エッセイ】

僕の祖父の話をしたい。 祖父は聡明であり、周りからも尊敬される立派な人である。 しかし、少々頭が固い部分もあった。 これまで培ってきた経験は大きな矜持になっていたが、それ故に他の意見を寄せ付けないところがあるのだろう。 そんな僕と祖父のくだらない話がある。 僕がまだ小学生の頃、祖父と書店へ来ていた。 一冊好きな本を選んで良いと言われた僕は、絶賛流行中であったラノベを買ってもらおうと思っていた。 祖父はラノベに抵抗があったのか少々顔をしかめながらも承諾し、レジへ向かった。

ばあちゃんの話

わたしがこどものころのばあちゃん。 『なんでもすきなことやってきて全く後悔することがない!』 と言っていた。 ホテルのレストランで食事をしたり、わたしにいろんな経験をさせてくれた。 わたしもそんな大人になりたい! かっこいいと憧れた。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ わたしが大人になったときのばあちゃんは愚痴が多い。 若いころじいちゃんがああだった。 なにも自由にできなかった。 外で働きたかった。 長生きすると他人の人生が羨ましくなるのかな? それともずっと心

映画「サンセットサンライズ」を観て思い出す風景

僕のnoteでは、過去の芸人時代の体験をもとに感じたことを物語として綴っています。本日のテーマは、「ふるさと」です。 震災で失われた故郷・志津川。毎年夏休み、新幹線に飛び乗り向かったあの楽園は、今や記憶の中にしかない。 映画 「サンセットサンライズ」 を観て、心の奥に眠っていた夏がよみがえった。懐かしさと切なさが交差する思い出の記録。あなたにも“忘れられない夏”はありますか? 南三陸が舞台の映画映画 「サンセットサンライズ」 を観てきた。 観ようと思ったきっかけは、南

『最期』(後悔しないよう、意識すること)

こんばんは。開いてくださってありがとうございます。 ↓ 前回の投稿、たくさんの反応をいただきました、、! 本当にありがとうございます!励みになります🌱 どうなんだろう?同業者の方が「あるある~!」と 共感してくださったのかなぁ…? 私としては、その他の記事よりも、 勢いだけで書いたもので笑、少し予想外で。 でも、自分の経験から、届くものがあったなら とっても嬉しいです* 今回は、前回の ”次回予告” を無視して(笑)、 今日、書きたいことを書きます。 最近、『最期

ばあばと温泉😃🌃フリートークでこんばんわ(2/7)

2週間前に受験しておりました 第65回安全保障輸出管理実務能力検定試験(STC Associate)に無事合格することができました🈴 試験当日まで非常に勉強時間が確保しにくい中での挑戦でしたが、無事合格することができてとても嬉しいです☺️ 引き続きチャレンジし続けます🔥

#221日々是=^_^=日 認知症の母からの挑戦状~断捨離通信②

(約1400字) 母の認知症については、何度か書いてきた。 母は、認知症になってからも、しばらくの間、読んだり書いたりすることができていた。 テレビを見ていて、気になったことなどをメモする癖があった。 段ボールから、その時のノートが出てきて、ついつい読んでしまった。 たぶん、8年ほど前のもの。 ノートを用意しておくのだが、どうしてもその辺の紙に書いてしまう。 ティッシュとか、レシートとか… どうも、ノートが閉じてあると、あるいは開いてあっても、そのノートを使っていいか

結婚記念年を知りたくなったら

「結婚したのって何年だっけ?」 っていうことが、たまーにあります。 わが家では そんな時に手を延ばすのが、 祖母の手作りパッチワーク。 結婚の記念にと 作ってくれたものです。 裏をめくると… いつもは 鍋敷きとして活躍中。 ときどき 結婚記念年の確認ツール。 おばあちゃん、 こんな使い方でよかったかなぁ?

父の形跡を辿って

父の戸籍を亡くなった時、初めて見たのですが、そこには古い東京の地名が書かれていました。 東京府豊多摩郡野方町 出生場所です。 何処なのかサッパリ判らず、父の生前の話から 新宿である事、高田馬場に近かった事、 戸塚第二小学校に通っていた事を聞いていました。 父の出生場所は、判らなかったのですが、弟である叔父の出生場所は、なんとなくわかりました。 東京府豊多摩郡落合町上落合 上落合なら今でもあります。 ここに引っ越しして、弟が生まれ、小学校まで住んでいたのでしょう。 実は、

祖母の靴下

京都だか鎌倉だかどこだったか。とにかく歴史のある観光都市のお土産物屋さんで、祖母へのお土産に靴下を二足買った。控えめな和柄で、足の裏に滑り止めがついたもの。「転けるのが怖い」と常日頃から言っている祖母にぴったりだと思った。 何をあげたって喜んでくれる祖母なので、もちろん靴下もそれはそれは喜んでくれて、よく履いてくれていた。もしかしたら私と会う日に敢えて履いてくれていただけかもしれないけれど。 数年前に祖母が亡くなり、葬儀や何やらも終わって少し落ち着いた頃、母が突然に靴下を

頑張れよ

一年前の昨日(2月5日)は、母方の祖母が亡くなった日。 たくさんの人に涙ながらに見送られた祖母(以下おばあちゃん)は、私にとって偉大な人である。 おばあちゃんは相当な苦労人だった。 学校に行かせてもらえず小さい頃から働いていた。 だけど、道を踏み外すことなく真っ当に生きてきた。 無口で亭主関白な夫に出会い、3人の娘に恵まれ、厳しくもたくましく育て上げた。 朝から晩まで働き、親の介護もしていた時期もあった。 たくさんの病気もしてきた。入院、手術、退院を繰り返していた。 最

「そんな言い方しなさんな」

「そんな言い方しなさんな」 祖父が小さい頃の私に言った言葉である。 あれは何歳の時だったか。おそらく小学校に入るよりも前のことだったと思う。いつも弟に対してお姉ちゃんぶってガミガミいう私を、祖父が嗜めたのだった。 祖父に初めて怒られた。それが当時の私には衝撃だった。正確には怒られたというほど強い言い方ではなかったが、幼いながらにいつもとは違う空気を感じた。今でも言われた時の表情や、声のトーンまで、はっきりと思い出せる。 自分のこどもが産まれてから何故か、その祖父の言葉

今日は疲れてお昼寝をしっかりしました⭐本当に寒かったです🩷なにも生まれない時は創作できないので待つことにします☺️ 愛媛県松山市は曇り 👵ばあばの一言 「今日から椿祭りです❤️中継のアナウンサーが本当に寒そうでした😖💦私はテレビで見るだけで十分でした☺️良い春が訪れるように。」

死ぬために生きる「海の木馬」

そろそろ真面目に準備しなくちゃ。 わたくし、次の出演させて頂く作品です。 香南市市民参加型演劇、海の木馬に出演させてもらえるのです。 昨年は演出として参加した事業ですが、今年は役者。 本来のわたくしの、本領発揮です。 演じることを演じる場を頂けるのは、それはそれは幸せであります。 内容は 実際に起こった1945年8月16日の事件です。 香南市手結での事故に関わった人間達のドラマです。 1945年8月15日はよく知られた日です。 終戦記念日、敗戦の日、玉音放送が流れた日。

弥勒菩薩な現代にサクラドロップス

ギネスは上から見ると壁みたいですねぇ!駅の立ち食いそばくいてぇー

代々引き継ぐ「おふくろの愛」の価値がわかるとき

わたしはごく一般的な田舎で育ちました。 いや、一般的というよりかはシングルマザー育ちなのでそれ以下なのかも。 だけど代々引き継ぐ着物や雛人形を大切にする文化で育てられてきたので、年齢のわりには趣ある価値観かもしれません。 成人式で着た由緒ある着物祖母の代でつくったらしいわが家の伝統的な着物。 色鮮やかなオレンジ色が特徴で、時を経てもなお当時20歳のわたしを魅了するデザインでした。 祖母が母の成人式に仕立てて→母から叔母へ→そしてわたしの成人式から→いとこ①の成人式→

シルバーカーゆったり歩く春の道🔷ばあばの俳句(2/2)

シルバーカーゆったり歩く春の道

94歳のイラストと俳句のコラボ作品です。 足腰が弱くなっている母にとっての相棒はシルバーカーです。室内も屋外もシルバーカーと一緒です。春の訪れを感じて外出が楽しみな母はシルバーカーを使って春の道を歩きたいと思っています。そんな母の思いが表れたコラボ作品です。

若者からエネルギーチャージ

私は現役時代、会社で若い人たちと話すのがとても好きでした。自分と若者たちの感覚の違いを何気ない会話から知ることが出来たからです。 リタイアしてから若者の今を知るのは、ネットやメディアからの情報のみでダイレクトな手触り感はなく、想像の域を出ることはありませんでした。 先日大学のOBで組織する青年部の新年会に先輩OBとして参加する機会がありました。 会に参加している若い世代の会話を何気なく聞いていて、彼らのエネルギーを身近に感じることが出来ました。 自分達なりに考え、未来を

「どうして、あの2人(カップル)は結婚しないの?」こんな問いかけされたら?

Nice to see you again 

【無料】いつも、コメントやスキを頂きまして、ありがとうございます ※プロフィール記載の視点から投稿しております。ご理解をよろしくお願い致します マガジンのフォローをお願いします あの2人 あの2人とは、思いつくカップルを思い浮かべてください プライベートでも、ビジネスでも、著名人でも良いです そして、ネットに影響力ある方が、こんなことを  『結婚が、面倒なんじゃないの?』 この発言が拡散され あの2人が、結婚し

94歳が描く新作

94歳の母には朝のルーティーンが始まります。リビングの丸テーブルの前に座って、イラストを描くのです。もう4年3ヶ月続いています。 毎日、真剣にそして楽しそうに描いています。 毎日描いているので新作がどんどん増えてきます。 今日は、母の新作のイラストをご紹介します。 【1】私のイヤリング 【2】乙女の気分 【3】色遊び 【4】いたずらな瞳 【5】そうなんだ 【6】個性的な私 【7】おすまし 【8】わたしらしさ お気に入りのイラストがあったら教えてください。イ

ばあばと句碑😃🌃フリートークでこんばんわ(1/31)

お洒落心は長生きの秘訣

94歳の母は昔からとてもお洒落でした。コロナ禍前までは毎日自分なりのファッションを楽しみながら外出していました。 しかしコロナ禍で自宅に閉じこもるようになって、美容院に行く回数が減り毛染めもやめ、お化粧もほとんどしない毎日が続いています。 その間に足腰が弱くなって外出の機会がいっそう少なくなった母が、今出かけるのは眼科の検診と温泉くらいです。それでも外出の日は朝から何を着ていこうかとあれこれ迷っています。とても楽しそうに。 母のセンスは抜群で、難しい色も上手にコーディネイ

おじいちゃん、おばあちゃんへ

さて、今回は初の試みにチャレンジしたいと思います コンテンツの有料化です どれほどの方に読んでいただけるかは不明ですが それに見合った文章を書ければと意気込みつつ、書かせていただきたいと思います 本日も最後までよろしくお願いします とはいいつつ、いつも通り書くだけなので特別な事は特にないのですが笑 物好きの方は、頻繁に読んでくださっている方もちらほらいることを…一応願っています笑 そんなこんなで、なぜ今回の記事を”有料記事”にしたというお話を少しさせてください

¥300

ビエネッタと、おばあちゃん

私が小学生の頃の話だ。 車で20分ほどの距離のおばあちゃんの家の隣には、お惣菜も売ってるしお菓子とか日用品も売ってる、萬屋とでもいうのだろうか、そういう店があった。 私はその店でおばあちゃんにアイスを買ってもらうのが楽しみだった。 といっても、買ってもらえるのはせいぜい100円、まあ、高くても200円くらいまで。元教師の祖母は、子どもに贅沢をさせてはいけないという意識が強かった。ダメ元で高そうなやつを「これ買って!」なんて言うのも、私の引っ込み思案な性格では難しかった。

返す言葉がない

 腕時計のベルト交換を店で頼むと高いので、大抵いつもネットで買って自分で付け替える。  去年の秋に革ベルトが擦り切れて、金属ベルトに換えてみたら、どうもしっくり来ない。  その時計は幼い頃に祖父からもらった物で、これまでずっと革ベルトで使って来た。馴染まないのは見慣れないせいだろうと思っていたけれど、三ヶ月経っても一向馴染まない。それでとうとう革ベルトに戻した。  ベルトは元々持っていたのを付けた。前に使っていたバックルを三ヶ月の間にどこかへやってしまったから、普通の尾錠で留

私が元気でいなければ。

3日前の夜、体調がいつもと違うと思いました。鼻水がたらーりと出て、喉がイガイガするのです。その時は、まだ風邪だとは思っていませんでした。「花粉が飛び始めたから、少し影響が出ているのかな」と思っていたのです。 翌日の午前中は何となくやり過ごして、午後はルーティーンの散歩に出かけていたのですが、その日の夜、微熱が出たのです。 悪寒がしたので体温を計ってみると37度2分ありました。いよいよきたと思い、薬を飲むことに。 薬に詳しい妹に電話して症状を改善する薬を教えてもらいました

おばあちゃんには敵わない。愛も、あんこも。

あんこブームが終わらない。 9月からずーっと餡ものを手に取ってしまう。 甘いものは好きだが、今まではどちらかというと洋菓子の方が食べていた。 それなのに9月のある日、和菓子屋さんのあんこ餅を食べ歩きして以来、スーパーでは和菓子コーナーを必ずチェックするし、アイスはあずきバーをチョイス。さらには、500gのつぶあんパックとお餅を家に常備しているくらいだ。 あんこが切れたタイミングと年明けが重なり、新しいこと、つまりあんこ作りにチャレンジしようと思った。 レシピを見ている

【エッセイ】あの日のぜんざい

ぜんざいといえば、つめたいもの。 そう聞くと驚くだろうか。 私が生まれた沖縄では、ぜんざいはお汁粉のようなあったかいものではなく、「かき氷が乗っているやつ」だった。 ⁡沖縄で生まれ東京で育った私は、小学生までは、毎年夏休みを沖縄の祖父母の家で過ごした。 物心ついて、東京の小学校の友達と「ぜんざいの認識の齟齬」に気がついた瞬間が、人生ではじめて経験したカルチャーショックだったと思う。 「ぜんざいにかき氷を乗せるの?」 「いや、かき氷を乗せるというか、かき氷ありきのぜんざいっ

ばあばと元気😃🌃フリートークでこんばんわ(1/26)

私の体調が今一つでインフルエンザやコロナなら大変だと思っていたのですが風邪だったので安心です⭐悪寒も気だるさもなくなりました☺️ 愛媛県松山市は晴れ 👵ばあばの一言 「娘が良くなって安心しました⭐自分のことは自分のやれて安心です☺️今日は夕焼けが美しかったです❤️明日はいい日に。」

温泉を諦めなければならない人

94歳の母と温泉に行きたいと思っても母は足腰がおぼつかないので、段差があったりや手すりが無いとなかなか温泉に入浴することは出来ません。 しかし最近は母と二人で高齢者に優しい温泉を見つけて入浴を楽しんでいます。温泉好きの母はこの上なく喜んでいます。 完全バリアフリーの宿泊施設で道後温泉の引き湯を楽しめる施設で、宿泊客でなくても利用できるのです。 脱衣所から浴室まで段差がなく、洗い場にも手すりがあって母も私のサポートがあれば入浴できます。 先日その施設に行った時のお話です。

小2長女の今後(支援級)。僕の親が知った時の反応。

12月に僕の実家で法事があり、親戚が来ていた。 1人の親戚は学童の受け持ちをしている方。 話題は、学童のことや教育の話。 その中で、小2長女は来年度から支援学級に行くことを伝えた。 親戚の人も僕の親も支援級は反対派。 その1人の親戚(学童勤め)の人は、 「小2長女が親戚と触れ合う様子を見て支援級行くなんて思えない」と話していた。 学校での授業の様子や文字が鏡文字になったりすることを伝える。 その中で出てきた話として、 小学校はカリュキュラム通りに進んでいて、