記事一覧
マスメディアは何に負けたのか? インテリジェンス・トラップとメリトクラシーの地獄
11月、ふたつの選挙結果がメディアを賑わせた。ドナルド・トランプがアメリカ大統領に、齋藤元彦氏が兵庫県知事にという、どちらも返り咲き当選だ。これらの結果は世の良識を代表するとされてきた知識人たちの眉を大いに顰ませるものであった。
保守VS.リベラルというストーリーの終焉?
11月5日、共和党候補のドナルド・トランプは激戦州も制覇して圧倒的な勝利でアメリカ大統領に返り咲きを決めた。前々回の201
AI、情報科学、そして「ユートピア」への緩慢な歩み? ノーベル賞とテクノロジーの経済を巡る省察
10月初旬、今年もノーベル賞の発表があった。改めていうこともないほど話題になったが、物理学賞にジェフリー・ヒントン、化学賞にデミス・ハサビスといったようにAI研究者が名を連ねAI時代を印象づけるものとなった。
ヒントンとハサビス、グーグルの二人
このレビューでも過去、何度もとりあげてきた二人、ジェフリー・ヒントンとデミス・ハサビスはグーグルで一時期をともにした。
「人工ニューラルネットワークに
半導体のカーテン、コンピューティングパワーの天井 技術、経済、地政学から現在の論点をみる
半導体の話題が喧(かまびす)しい。生成AIをめぐる話題も相変わらず賑やかではあるが、それ以上に半導体に注目が集まっている。それは半導体が生成AIのみならず、多くの論点の根幹にあるものであり、現代社会の課題を浮き彫りにし将来の世界の問題を予言するものだからだ。
「産業の米」と「新たな原油」をめぐる論点
かつて半導体は日本において「産業の米」と言われ、アメリカにおいては「新たな原油」と呼ばれた。そ
ソフトウェアからハードウェアへ IT技術25年周期説で占う未来
仮にも「生成AI時代」と名のつく書籍を出したこともあって、時代変化にいつもより敏感になっている。種々の生成AIサービスの登場によっていよいよAIが社会に浸透する時代が始まるのはもはや自明としても、それらが世界にどういう変動をもたらしうるのかを考えてみたい。
日本の「電卓戦争」から生まれたCPU
前回の#47「スペクタクル、東京、近代個人主義」で、東京大学の吉見俊哉名誉教授の歴史の25年周期説に
スペクタクル、東京、近代個人主義
前回の記事から1カ月足らずのあいだに、この先、数年あるいは数十年を左右しかねない出来事があった。ひとつは7月7日に投開票のあった東京都知事選で小池百合子氏が三選を果たしたこと、もうひとつはアメリカ元大統領のドナルド・トランプ氏が現地時間の7月13日、演説中に狙撃されたことだ。
スペクタクルにみるイデオロギー
安倍元首相が狙撃されて亡くなった事件をとりあげたのは、ちょうど2年前の7月の終わりだっ
テクノ・リバタリアンから神秘哲学へ
わたしがやっている「Web IT批評」のインタビューを書籍化、刊行して、すでに2カ月が経った。いまだに喜びと不安が同居するような気持ちで成り行き(売れ行き? 反応?)を見ている。
ELIZAの亡霊
たくさんの人からの支援と協力があって刊行した『生成AI時代の教養 技術と未来への21の問い』(桐原永叔・IT批評編集部編著/風濤社)は制作請負やら編集のみを担当した書籍を除いてずいぶんと久しぶりの本
MUCA展、「ワーニャ」、「悪は存在しない」~不自由なのか、孤独なのか?
VUCAといわれるような、得体の知れない時代のなかで、答えを求めて、答えだけを求めてわたしたちはただひたすらに苦しい。テクノロジーは答えへの道筋を示すものなのか、あるいはわたしたちをさらに疎外し孤独にするものなのか。
アーバンアートの現代性とはなにか?
東京・六本木の森アーツセンターギャラリー開催されている「MUCA展」に行ったのはこのゴールデンウィーク中のことだ。「MUCA展」には、ドイツの
映画『オッペンハイマー』をめぐって──科学者たちの複雑な心理を考える
アカデミー賞に輝いたり、有名監督の最新作であったり、興行収入が十分に見込めながら、上映が遅れていた『オッペンハイマー』を観た。原子爆弾のことは古くから関心をもってきたことであるし、つい最近、そのことに触れざるえないことがあった。
「IT批評」書籍化なる
わたしがやっている「IT批評」は2010年に定期刊行の書籍という、雑誌になりきれないかたちで創刊した。なんとかふんばって2013年まで4号(v
小林秀雄とエリック・ホッファー 機械文明と大衆、そして労働について
毎回、話題をかえて書きつづけてきたつもりが、このところはひとつの方向に知らず知らずのうちに執着しているのが、拙い原稿を読みなおすとみえてくる。それはきっと根っこのところで忘れえず抱えている哀しみや怒りを引きずり出してしまうせいだろう。
戦後を生きた知の巨人
最近、この記事を書きはじめるとき、前回までの振り返りからになることが多くなっている。それが悪いわけではないのだが、続きものを書きたいわけで
近代の超克/ポストモダン、歴史/生活、偏在/遍在
前回、すこし本道を離れて論じた「PERFECT DATS」はロングランをつづけている。その前(No.40)にはブギウギの笠置シズ子から京都学派、「Whole Earth Catalog」をめぐってユク・ホイの宇宙技芸まで触れてみた。今回は、その続きから。
日米開戦日の夜のジャズ
前々回、笠置シズ子と服部良一のブギウギから昭和の大衆音楽シーンを語ったのだったが、その際に参照した輪島裕介がその著書
何故なしに生きるということ 「PERFECT DAYS」と神秘主義
ここ数回は香港の哲学者、ユク・ホイの著書に感銘をいだいたことをきっかけに京都学派にあたり東洋思想の影響なんかを交えて、近代とテクノロジーについて考えを巡らせてきた。しかし、今回はちょっとばかしこのテーマは措く。
ヴェンダースが選んだもの
年末年始の休みにヴィム・ヴェンダース監督の映画「PERFECT DAYS」を観た。主演の役所広司が2023年5月のカンヌ国際映画祭で主演男優賞を、2004年の
鈴木大拙からスチュワート・ブランドへ ホールアースは宇宙技芸論で語れるか?
現在、放映されているNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)は「ブギウギ」だ。主人公のモデルになっているのは、「ブギの女王」と呼ばれた笠置シズ子である。今回はここから始めて、京都学派、「ホールアース・カタログ」を経てユク・ホイの宇宙技芸へと話を広げていく。
J-POPのDNAはどこからきたのか
笠置シズ子は言わずと知れた歌謡界の大スターだ。大阪の松竹少女歌劇団でデビューし東宝へ移籍、太平洋戦争を挟んで
永劫回帰と再帰性、キッチュと偶然性 ミラン・クンデラから考える
ここ数年、わたしが考え書き残してきたのは、テクノロジーのあり方についてであった。そのために、あるときは技術の概説に目を通し、あるときは科学哲学を参照し、またあるときは経済学にあたった。しかし、それより前の数年はずっと芸術表現の価値──美のあり方と言ってしまうのも面映い──のことを考えていた。
存在で耐えられないのは“軽さ”なのか?
こんな書き出しで始まるのは今年の夏に亡くなった小説家ミラン・ク
新しい「大きな物語」のために ヒューマニズムを更新する試み
ちょっと前の記事で、人類史に注目が集まっているのは、大きな時代の変化の象徴ではないかと書いた。「ビッグヒストリー」といわれる新しい学問分野さえ誕生している。私たちが未来に向かっていくにはなにが必要か?
現代はどういう時代か
パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム武装勢力ハマスがイスラエルを急襲したのは2023年10月7日で、これに対しイスラエルが報復攻撃に出たのは翌8日のことだ。昨年のロシ