▼BSテレ東月曜19時~シネマクラッシュ、本日は『望み』▼"もうひとりの"渡邉美穂が雫井脩介氏の原作を弟におすすめするオープニングアクト▼美穂はネタバレ気にしないで原作読む派だそう▼弟も読みたくなったみたいで何より!▼来週20日は『エイリアン』、美穂がどんなお芝居するか楽しみ!🔚
私の書くことは、自分に起きた事や自分語りをしたいわけではない 自分の考えを示したり聞いてほしいわけではない 他の人にも当てはまるような普遍性を考えて、こういうことなのではないかと書いて整理して、自分でその普遍性を分かりたい衝動だと思う 自分だけの気持ちは、秘かに自分で楽しむタイプ
人は成長する 成長すると好みが変わる 好みが変わるから、今の望みも変わるだろう 子供で嫌いな苦い食べ物も美味しくなるよう、 今の苦しみも味わい深いのになるだろう このオモチャじゃなきゃ嫌だと泣く子のように、 この願望しかないと駄々は無意味だろう 呼吸の度に望みは少〜しづつ変わる
人は望みから逃れられない 絶望や自殺も、絶ちたいという望み 望みがわからない、望んでないと思っても、 何かを望むから高次元の話に興味を持つ だからこそ隠れた望みや偽りの望みを見つめる 無限の存在から分かれた個の魂も、 世に生まれたのも、何か経験する望み 望みが分かる望みでもいい
自分に磨いているモノがあるのが喜び 磨く行為が時間を存在させている理由かもしれない 成長するから気が変わることもあるだろうが、 成長した程度じゃ気が変わらないのが磨く面白さ 全部無意味に終わる可能性があるのがゾクゾクする 磨くからこそ真理の言葉で見えないのが見えてくる
望む道を歩いてはゴールはなくまた望む道を歩く 気付けば紆余曲折の軌跡が無駄に複雑 生きてる限り願い叶っても立ち止まれないから進む いや死んでも望む道を歩くだけ 願いは叶えば新たな願いが生まれるだけだから 叶うかどうかの問題もなく、ただ道を歩む どんな道かさえ問題でなく、ただ進む
書くことは希望だ。多分。絶望ではない、と書こうとして、いや、絶望だって書く理由になると思い直す。絶望をそのまま書き残したい時もある。だけど、書くことで絶望を、絶望ではない何かに変換させられないかと思う時もある。だからやっぱり、何かを望むという意味で、書くことは希望なのではないか。
望むのは、何かの物や何かの体験よりも、 分からなかったことを分かりたい 分からないまま経験を得るより、 分かりながら経験を得たい 同時に、 分からなくてもいいと分かりたい 分かる必要ないことも分かるのを望んでいる そう考え続けてるから、 望みながら得ているのかもしれない
望みはいろいろあると思いますが、その中で本当に大切なものは何でしょうか?考えるとつい周りの評価も考えてしまいがち。私のための望みを感じよう。
世界に望みや疑問があったら とりあえず、コトバにして出してみよう。 何が起こるかな🌱