大場さやか

こっそり物を書いています

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    主に石川県金沢市での、演劇・ダンスの観劇記録です。

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(感想)猫がいて、人がいて

(以下、筆者Xより転記) 11/20に映画『五香宮の猫』鑑賞。瀬戸内の港町・牛窓にある神社・五香宮には猫が多数住み着いている。カメラは猫を追いながら、猫を保護する人、猫に会いに来る人、猫をよく思わない人など、五香宮を中心とした共同体に関わる人々の姿を映しだしている。 猫に関しては「TNR」(Trap、Neuter、Return、捕獲して不妊手術をして元の場所に戻す)の様子が記録されている。保護猫活動を支援したことはあるものの、その現場を見たことがなかったので、人にも猫にも

    • 隙あらば寝たい気持ちの本当を考えないでまた目を開けて

      • 「できる」人は「できる感覚」をわかっている。反対に「できない」人はその「できる感覚」がわからない。わからない状態のままどれだけ「できる」について意見されたとしても「できない」。できない人は「できる感覚」がわからないだけで、もしかしたらわからないまま「できている」可能性があるのだ。

        • 細い息 薄い展望 狭い床 深呼吸にも体力がいる

        • (感想)猫がいて、人がいて

        • 隙あらば寝たい気持ちの本当を考えないでまた目を開けて

        • 「できる」人は「できる感覚」をわかっている。反対に「できない」人はその「できる感覚」がわからない。わからない状態のままどれだけ「できる」について意見されたとしても「できない」。できない人は「できる感覚」がわからないだけで、もしかしたらわからないまま「できている」可能性があるのだ。

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          自分の中から何も出てこない。それも当然のことで、ここしばらく外に出ていないのだ。まず体調不良であるし、それを押し切って行動するだけの気力もない。主に横になっているだけの日々。何もしなくても自分の中に何かはあるだろう。だけど、その何かを育てていくためには、外からの刺激が必要なのだ。

          自分の中から何も出てこない。それも当然のことで、ここしばらく外に出ていないのだ。まず体調不良であるし、それを押し切って行動するだけの気力もない。主に横になっているだけの日々。何もしなくても自分の中に何かはあるだろう。だけど、その何かを育てていくためには、外からの刺激が必要なのだ。

          睡眠が過多で固まる夕方の頑なになる肩に手をやる

          睡眠が過多で固まる夕方の頑なになる肩に手をやる

          私にとって書くことは希望だとして、ではそれが難しい状態にある今をどう捉えればいいのだろう。指を動かせば文字は現れるが、これで書いたことになるのだろうか。なってほしい。一文字も、文字が打てなくなってしまう可能性が怖い。どうか書くことが希望であり続けるようにと、願いながら指を動かす。

          私にとって書くことは希望だとして、ではそれが難しい状態にある今をどう捉えればいいのだろう。指を動かせば文字は現れるが、これで書いたことになるのだろうか。なってほしい。一文字も、文字が打てなくなってしまう可能性が怖い。どうか書くことが希望であり続けるようにと、願いながら指を動かす。

          書くことは希望だ。多分。絶望ではない、と書こうとして、いや、絶望だって書く理由になると思い直す。絶望をそのまま書き残したい時もある。だけど、書くことで絶望を、絶望ではない何かに変換させられないかと思う時もある。だからやっぱり、何かを望むという意味で、書くことは希望なのではないか。

          書くことは希望だ。多分。絶望ではない、と書こうとして、いや、絶望だって書く理由になると思い直す。絶望をそのまま書き残したい時もある。だけど、書くことで絶望を、絶望ではない何かに変換させられないかと思う時もある。だからやっぱり、何かを望むという意味で、書くことは希望なのではないか。

          昨日は、嘘を書いてしまったかもしれないとつぶやいたが、そうでもないというか、嘘ではあるのかもしれないのだが、そうであってほしいと思って書いたことで結果的に嘘になってしまったのではないか、と思うに至った。書いたことのようであればいいと思っていたのだ。つまりはその嘘は私の希望だった。

          昨日は、嘘を書いてしまったかもしれないとつぶやいたが、そうでもないというか、嘘ではあるのかもしれないのだが、そうであってほしいと思って書いたことで結果的に嘘になってしまったのではないか、と思うに至った。書いたことのようであればいいと思っていたのだ。つまりはその嘘は私の希望だった。

          「いい意味で、あきらめる」という昨日の言葉は嘘だったのかもしれない。なぜなら今とても気分がよくないからだ。ポジティブに何かをあきらめられたのなら、もう少しすっきりとした気持ちになっているのではないか。自分の言葉でも自分が知らない力を持つことはあるけれど、それでも嘘はわかるらしい。

          「いい意味で、あきらめる」という昨日の言葉は嘘だったのかもしれない。なぜなら今とても気分がよくないからだ。ポジティブに何かをあきらめられたのなら、もう少しすっきりとした気持ちになっているのではないか。自分の言葉でも自分が知らない力を持つことはあるけれど、それでも嘘はわかるらしい。

          いい意味で、あきらめる

          二つとも私の書き込みである。「そんなことないよ!」と言ってほしいわけではないので気にしないでいただきたい。そしてこれから引きこもるわけでもない。承認欲求に囚われて思い悩むくらいならば、こういう方向に思考を傾けたほうがいくらか健康的なのではないか、と、ポジティブに思ったので、とある所に書き留めた。 「ポジティブに」というのが重要な点である。上記の文章は悲観しているように読めるし、実際、いくらかはあきらめも交じっているとは思うが、それは私にとって「いい意味で」なのだ。特に「社会

          いい意味で、あきらめる

          (感想)知って、受け止めて、そこから

          (以下、筆者Xより転記) 11/9、『みえない雲』観賞。チェルノブイリ原子力発電所での事故を背景に、ドイツの作家グードルン・パウゼヴァングが書いた小説の舞台化。西ドイツの原子力発電所で事故が起きた後の、被爆者の体験が語られたフィクション作品である。今回の舞台化には、金沢の高校生達が参加している。 原子力発電所での事故発生の報を受け、生徒達は帰宅を命じられる。ヤンナ・ベルタもその一人。弟のいる自宅に戻り、弟と共に親戚の元へと逃げることになるのだが、事故のため街は混乱している

          (感想)知って、受け止めて、そこから

          夜中に買い物をしていると気分が高揚してくるのはなぜか。単純に背徳感から来るものだろう。休むべき夜間に動いていること。電気を消すべき時間に点けてもらっていること。客の利便性のために店員を働かせていること。わがままを聞いてもらえているようで嬉しいが、買い過ぎてしまえばお店の思う壺だ。

          夜中に買い物をしていると気分が高揚してくるのはなぜか。単純に背徳感から来るものだろう。休むべき夜間に動いていること。電気を消すべき時間に点けてもらっていること。客の利便性のために店員を働かせていること。わがままを聞いてもらえているようで嬉しいが、買い過ぎてしまえばお店の思う壺だ。

          (感想)分かれて、歩いていく

          (以下、筆者Xより転記) 映画『HAPPYEND』鑑賞。舞台は近未来。高校生達の悪ふざけを発端として校内に監視システムが導入される。この出来事から社会の問題について考え始めたコウは、親友のユウタとすれ違っていく。 若者の持つ衝動性と瞬発力、それらがあるがゆえに帯びてしまう暴力性が漂っているような映像は(絵として暴力的な描写はない)、私には重さのあるものだと感じられた。それは映画が描きたい対象の重さでもあるのだと思う。 社会問題が題材の一つであり、デモの場面などもあるため

          (感想)分かれて、歩いていく

          体調が悪い時には、体調が悪いということしか頭にない。何か他のことを考えられたとしても、それは人前に出せるようなものではない。だいたいがどこかに悪いところのあるものだ。体調が悪いにも関わらず、他者に気を配った言動ができる人こそ、本当にいい人なのだと思う私は、もちろんいい人ではない。

          体調が悪い時には、体調が悪いということしか頭にない。何か他のことを考えられたとしても、それは人前に出せるようなものではない。だいたいがどこかに悪いところのあるものだ。体調が悪いにも関わらず、他者に気を配った言動ができる人こそ、本当にいい人なのだと思う私は、もちろんいい人ではない。

          具合が悪く何か書けるような状態ではない。駄目な時にこそ面白いことを書いてみせるくらいでないと、とは思う。駄目すら笑い飛ばせたらいい。だが今は、面白いかどうかを判断する能力も駄目になっていると思う。人の不幸は端から見たら面白いかもしれないので、そう思う人は私を笑ってくれれば幸いだ。

          具合が悪く何か書けるような状態ではない。駄目な時にこそ面白いことを書いてみせるくらいでないと、とは思う。駄目すら笑い飛ばせたらいい。だが今は、面白いかどうかを判断する能力も駄目になっていると思う。人の不幸は端から見たら面白いかもしれないので、そう思う人は私を笑ってくれれば幸いだ。