本音になればなるぼと言いづらくなるのは何故だろう
どうでもいいことは言いやすいのに
渇望することほど言いにくくなるのは何故だろう
接客業務をしていて早めにお手洗いに行くときはまだ同僚に声掛けをして行けるのに、切羽詰まってくると恥ずかしくてなかなか言い出せないのは何故だろう。
ちょっと違うか🤭
ほんとうは雑貨屋さんをやるのが夢だった
だけど「叶わない」って諦めた
店なんか持てないし
続けられるか微妙だし
ラッピングも在庫管理も不安
だから夢見ないようにした
雑貨を売るだけなら
ECサイトでも
ミンネやクリーマでも良いのだろう
けれど買ってくれる人の顔が見えない
そんな販売がしたいわけではないんだ
雑貨屋さんには
わくわくするものを探しに行く感覚がある
自分の心を代弁してくれるような
とんがったものや、癒されるもの
それらは生活の一部になって自分を支えてくれる
そのときは買わなかったとしても
覚えていて
お世話になった人やお礼の品が必要なときに
駆け込んだりする
小学生の頃は筆箱(ペンケース)の中が
自分を表す手段だった
香りつきの消しゴムや
飴の形のペン
そんな変わった物を見て
友達がビックリしてくれるのが楽しかった
中学になると毎日学校で顔を会してるのに
心の内をお手紙にして郵送してくれる友人がいた
そこにはびっしりと埋め尽くされた文字
それに対抗するためにレターセットを
いくつも集めた
今となっては何が書かれていたかも
定かではないけれど
精神的ことが多かった
彼女は高校の国語の先生になって
今も現役
わたしときたら風来坊
たぶんいつも怒られていたんじゃないかな
そういえば
ヘルマンヘッセの『知と愛』にでてくる
2人みたいだと思っていた
そんな多感な時代も今は昔
作るのが好きだったのに
何を作りたいのかさえわからなくなった
芯がブレていたんだ
それは望むことを諦めたからだ
役に立たないって自分を誤魔化したからだ
自分の取り柄ときたら
変わりもの
この一点につきるのに
だから たとえ叶わなくても
雑貨屋さんをやりたいって思う
その望みを許してあげたい
好きな作家さんの作品
オリジナルの雑貨を
皆んなに見てもらって
お話しをしながら手に取ってもらって
お茶とかのみながら
音楽も流れてて
(カフェか〜い!)
ワークショップや
イベントもあって
夜中もやってて…
(クラブかーい!)
こんな楽しい自分の本音にフタをすること
これこそがおトイレを我慢している状態
それは苦しくなるはずだ
叶えることより 大事なこと
それは 望むこと
渇望するほど言えなくなっていた、
だけど もう
雑貨屋さんになりますよー!
わたしは
だからよろしくー!
見守っていてねー!
さぁ!
トイレ行ってこよー!