「ギフテッド」というのは本来、呼称なんだろうな。つまり、他者からそう呼ばれる立派な人ということ。でもギフテッドを自称できる人は、ナルシシズムに負けない「菩薩」みたいな人なのかも。「自称したいだけの人」というのは、意外と少ないんじゃないかな。
「障害の社会モデル」自体は、「障害は当事者というよりもむしろ社会の側にある」とする考えであり、よく分かる。分からないのは「ハンディキャップを障害(障がい)とか、ハンディキャップのある人を障害者と呼ぶことで社会モデルの考え方が広まる」というような理屈。未だに誤解の方が多くないか。