本当の名前
しつこく呼称の話をするんだけど。
私は自分の呼称も相手の呼び方も徹底して拘り、注意深く使い分けている。
それは、物心ついてから今に至るまで親から「お姉ちゃん」以外の呼び方で呼ばれたことがないからだ。
妹にとって私は姉だが、親にとって私は姉ではない。
けれど、親にとって私は「姉」なのだ。妹の姉。
「お姉ちゃん」と呼ばれることで、もしくは「お姉ちゃんなんだから」と言われることで固定される立ち位置がある。
そして、それはいまも続いている。
私の名前は忘れられ、姉としての呼び名と役割だけが残っている。
娘が「ちゃお」というあだ名を得てからも、私は娘の名前とちゃおをきちんと使い分けた。
ちゃおは言うなればお姉ちゃんと同じ意味なので、不用意に「ちゃお」と呼ばないようにした。
私にとって娘は娘でありちゃおではない。
ちゃおという呼び名は可愛らしくて娘にピッタリだけれど、娘に対してちゃおと呼びかけたことは一度もない。
「お姉ちゃんなんだから」は口が裂けても言わない、と決めていた。
実際言いたい場面は山のようにあったが、言ったことはない。
私の結婚が決まってすぐ姑から「もうアナタは私の娘も同然だから、これからは呼び捨てにする」と宣言されたときは、コイツ何言ってんだと思った。呼び捨てにすることも、それを高らかに宣言することも、何もかも受け入れがたかった。
古い考えの人だからどこかの女をもらった気でいたかもしれないけど、姑の娘になるわけではないし、なれるわけもない。
自分の娘と同様に私のことを可愛がってくれるつもりがないこともわかっていた。でなければ、私を呼び捨てにして自分の娘をちゃん付けする意味が分からない。
他にもいろいろ気に障る人なので、私は姑のことを「おかあさん」と呼ばなくて済むように話し掛け方を慎重にした。姑の話をするときにやむをえず「おかあさん」を使ったことはあるけれど、姑本人に向かって「おかあさん」と呼びかけたことはない。
自分が誰かのことを呼ぶ時には細心の注意を払っているが、それを他人に求めたりはしない。
人はそんなことに拘ってはいないし、それがふつう。
私がただ単に呼び名というものに拘るだけ。
呼び名が私の役割を固定するのと同じように、私も呼び名によって人との距離をはかっている。
いま、私はもう誰からも名前で呼ばれない。
最後に下の名前で呼ばれたのはいつ、誰にだっただろうか。
姓はなんの愛着もないただの記号。
名前はもう誰も口にしない。
実体と役割だけで、名前のない存在。
この先もう一度自分の名前で誰かと繋がることができるだろうか。
繋がれなくてもいいだろうか。
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