ストリートスナップの場合、フレームの外に「世界」が広がっているわけです。 構図を厳密に構成しすぎると、世界を矮小化してしまう。 それも自意識の狭小な範囲内で。 部分で全体を暗示することがアートの本質的機能なら、絵画に対する写真のアドバンテージはこの「アナロジー性」にあるはずです。
フラッシュバック的写真家といえばアントワーヌ・ダガタ。 アウトローや疎外者との「同化」、フランシス・ベーコンを地で行く狂気。 しかし彼自身はニエプス賞受賞者でマグナムに所属する“エリート”。 そこに一種の「詐術」を見出すべきか否か。 https://www.magnumphotos.com/photographer/antoine-dagata/
やはりこの本はとても重要で、復帰後の中平の写真は「手の痕跡」どころか「言葉」すらを捨てている。 晩年の作品は主体/客体の二項対立が揚棄され、「存在」になってしまった。 しかし写真なんてただの幻影。自我=言葉を捨てたら「空」だった。 存在自体が空だった。 写真の極限は禅。