やはりこの本はとても重要で、復帰後の中平の写真は「手の痕跡」どころか「言葉」すらを捨てている。
晩年の作品は主体/客体の二項対立が揚棄され、「存在」になってしまった。
しかし写真なんてただの幻影。自我=言葉を捨てたら「空」だった。
存在自体が空だった。
写真の極限は禅。
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