
経済学的に最適なカメラ選び
写真を仕事・趣味とする人たちの間で鉄板の話題がある。それは「どのカメラ機材を使うか」という問題だ。
𝕏 や Threads などを開けば、今日も誰かが「〜を使うべきだ」と自らのカメラ機材論を展開しているだろう。SNS などでよく見かける機材論としては次のようなものがある。
センサーサイズが大きいカメラを使うべき。
フルサイズセンサーのカメラは不要。APS-Cやマイクロフォーサーズで十分。
高画素のカメラを使うべき。
高画素なんて不要。
大口径の(開放f値の小さい)レンズを使うべき。
大三元レンズ(f2.8通しのズームレンズ)は不要。
単焦点レンズを使うべき。
ズームレンズを使うべき。
スマホカメラで十分。
写真が撮れれば機材なんて何でもいい。
対立する意見が並んでいることで分かると思うが、カメラ機材の話題は論争(というより口喧嘩)になりやすい話題なのだ。
今日は、このカメラ機材論争について経済学的な見地から考えてみたい。
議論が長くなるので結論を先に言ってしまおう。
「何を使うべきかは人による」というのが経済学的に正しい結論だ。非常に面白くない結論である。だが、面白味のない結論だからといって、何も考えずにそう主張するのと、しっかり考えた上で主張するのとでは全く意味合いが異なる。
なぜ人によって使うべき機材が異なるのかを本気で考えてみたい方は、ぜひ最後まで読んでいただきたい。最後まで読んでいただくと、SNSでカメラ機材論争に巻き込まれないようにするにはどうしたらいいかのヒントも示している。
1. なぜ経済学か?
念のため、なぜ経済学の考え方が使えるのかについて簡単に触れておく。
経済学では、さまざまな主体(消費者・労働者、企業、政府)の合理的な意思決定を分析する。例えば、消費者はどれくらい貯蓄すべきなのか、企業はどれくらい製品を生産すべきなのかや、政府はどれくらい税金を集めればいいのか、といった問題である。こうした個々の主体の意思決定を前提とした上で、「社会をより良くするためには、どのような制度・政策が必要か」というのを考えるのが、経済学の大きな役割の一つである。
「どのカメラ機材を買うべきか」という選択の問題は、まさしく経済学で考えている意思決定問題の具体例として捉えることができる。
2. 経済学おける消費者の選択問題
では、経済学における「消費者の最適な選択」とは何だろうか? 簡単な言葉で言い表せば「予算内で一番満足感が得られる方法」だと定義付けられる。
単純なケースを考えてみよう。例えば、商品としてリンゴとバナナだけが存在すると仮定する。この場合のリンゴとバナナをどのような割合で消費すればいいだろうか。経済学では次のようなモデルを考える。
$$
\begin{align}
&\max_{\{ c_a, c_b \}} u(c_a, c_b) \nonumber \\
&\text{s.t.} \hspace{10pt} p_a c_a + p_b c_b \leq y \nonumber
\end{align}
$$
$${c_a}$$と$${p_a}$$はリンゴの消費量と価格、$${c_b}$$と$${p_b}$$はバナナの消費量と価格、$${y}$$は予算を表す。つまり、数式2行目の「$${p_a c_a + p_b c_b \leq y }$$」は支払い総額が予算を超えないようにするということを表している(予算制約式という)。$${u(c_a, c_b)}$$ は効用関数と呼ばれるもので、リンゴとバナナの消費量に応じて効用(「満足感」のようなもの)を計る関数だ。「max 〇〇 s.t. △△」は、「△△という条件を満たす範囲で〇〇を最大化せよ」という意味である(s.t. は subject to または such that の略)。
したがって、上の数式が言っているのは、「支払い総額が予算内に収まる範囲で最も効用(満足感)が高くなるように、リンゴとバナナの消費量を決める」ということだ。こういうタイプの問題を数学的には「制約条件付き最大化問題」という。
※ この最大化問題をどうやって解くかについては、小難しくなるのでここでは触れない。興味がある人は『ミクロ経済学の力』(神取道宏、日本評論社)などを読んでほしい。
この問題を解くこと得られる知見のうち、今回の議論に関係するのは次の2つだ。
最適な選択は予算に依存する。
最適な選択は効用関数の形状(例えば、リンゴの方が好きかバナナの方が好きか)に依存する。
字面だけ見れば当たり前の話に聞こえるが、きちんと数学的にモデルを解けば、もう少し具体的に「どのように依存しているのか」まで知ることができる。ただ、そのような深い話は今回の議論に不要なので、ここまでに留めておく。
3. 機材選択問題を経済学的に考える
今紹介した経済学の枠組みを使ってカメラ機材の選択問題を考えるとどうなるだろうか。数理モデルを考えればこんな感じになる$${{}^{*1}}$$。
$$
\begin{align}
&\max_{\{ x_1, x_2, x_3, \cdots, x_N \}} u(x_1, x_2, x_3, \cdots, x_N ) \nonumber \\
& \text{s.t.} \hspace{10pt} e(x_1, x_2, x_3, \cdots, x_n) \leq y \nonumber
\end{align}
$$
$${x_1, x_2, x_3, \cdots, x_N}$$はカメラ機材のスペックを表す。例えば、$${x_1}$$はボディのセンサーサイズ、$${x_2}$$はセンサーの画素数、$${x_3}$$は重量、$${x_4}$$はレンズの開放f値……といった具合だ。こういったスペックが全部でN種類あるとする。効用関数$${u(x_1, x_2, x_3, \cdots, x_N ) }$$が表すのは、それらN種類のスペックをもとに効用(満足度)が決まるということだ。
予算制約式にある $${e(x_1, x_2, x_3, \cdots, x_n)}$$ は、特定のスペックの組み合わせをもとにそのカメラ・レンズを買うのに係る費用を返す関数である。$${y}$$はカメラ機材にかけられる予算である。ここでいう「予算」とは、「これくらいで買えたらいいな」という希望額ではなく、「お金を出せてここまで」という真の上限額を指す。
上で紹介した2つの知見はここでも使える$${{}^{*2}}$$。すなわち、
最適な選択は予算に依存する。
最適な選択は効用関数の形状に依存する。
の2つだ。
a. 予算
当たり前だが、人それぞれカメラ機材にかける予算は異なる。「高価な大口径レンズの方が光学的に優れている」という命題が真であっても、それを買うと予算を超過してしまうのであれば「無理して買う」というのは経済学的に好ましい行動ではない。
b. 効用関数の形状
ここでは「効用関数の形状」を「その人がカメラ機材に求めること」と言い換えられる。当然ながらカメラ機材に何を求めるのかは人によって異なる。
例えば、山登りしながら写真を撮る人(僕もその一人だ)には、①できる限り荷物を軽くしたい、②緊急時のためにスマホの充電は温存しておきたい、という事情がある。つまり、軽量であることやスマホカメラではないことから生じる効用(満足感)が非常に高いのだ。このような場合には、マイクロフォーサーズ機やコンパクトデジカメなどが最適な選択になりうる。
一方で、カメラにとって過酷な環境(暗所など)で撮影する機会が多い人にとっては、軽量・コンパクトさなどは度外視で、予算の許す限りで光学的な性能を追い求めることが好ましいだろう。
さらには、ここでいう「効用」というのは、カメラの使うことによって得られる実利(例えば「高画素機で撮影したので大きく引き伸ばして印刷できる」など)で測れる満足感だけを表したものではないことに注意したい。「主観的な満足感」も効用の中にカウントされる。
例えば、最先端の機器に触れるたびに、科学技術の発展を感じられて強く感動する人がいるとする。このような人の場合には、高い性能が実用上必要であるかどうかとは関係なく、カメラ機材の性能の高さから効用(満足感)を得られる度合いが、コンパクトさなどから得られる度合いよりも強い。すると(他人からは宝の持ち腐れに見えるとしても)この人にとっては、高性能なカメラ機材を選択することが好ましい。
「主観的な満足感」に関する別の例としては、カメラのデザインに対する好みやメーカーに対するイメージ・信頼度などが挙げられるだろう。
以上のように、①どれくらいカメラ機材に予算を割くか、②カメラ機材に何を求めるのかは人それぞれである。こうした背景情報を考慮せずに語られた機材論はすべて誤りであると言っていい。
4. SNSのカメラ機材論争に巻き込まれないために
SNS(特に𝕏やThreads)では頻繁にカメラ機材論争(口喧嘩)が勃発している。冒頭で紹介したような「フルサイズは必要か不要か」や「ズームレンズか単焦点か」といった点が論点になっている。
こうした論争が止まない理由は単純である。ここまで見てきたように「正解が人によって異なるから」である。「A」が正解の人がいれば「B」が正解の人もいる。このような状況で「AとBのどちらが正解か」を言い争っていても終わりがないし、議論する意味もない。
こうした不毛な論争に巻き込まれないようにするにはどうすればいいだろうか? 一つの対策は「機材論の前提条件を明確にすること」である$${{}^{*3}}$$。単に「ズームレンズより単焦点レンズの方がいい」のように書くのではなく、「ある程度自分が使う画角が決まっていている人は、ズームレンズを買うより単焦点レンズを買った方がいい」のように書いた方が炎上するリスクは小さくなる(これでもまだツッコミどころはあるが…)。
「前提条件を明確にする」というのは、単に炎上リスクを減らすためだけのものではない。自分が思っている主張の前提条件を言語化するなかで、カメラ機材に対する自分自身の理解・認識を深めることができる。SNSに投稿するどうかに関わらず、「自分がなぜこの機材を使っているのか」や「このカメラ/レンズを必要とする人はどういう人か」といったことを思考するといい勉強になる。ぜひ試してほしい。
5. 最後に
長々とした記事を読んでいただき、ありがとうございます。
こんな感じで写真・カメラについて小難しく考えている(必要以上に考えすぎている)記事を投稿しているので、興味があれば他の記事もご一読を。
それではまた別の記事でお会いしましょう!
注釈
(*1) 一般的にはカメラ関連以外の消費(衣食住)や貯蓄のことも同時に考えないといけない。ここでは一定の仮定のもとで、衣・食・住・カメラ・貯蓄の間での最適な予算配分と、カメラ予算の中で何を買うべきかという意思決定は分離して考えることができるケースを想定する。
(*2) リンゴとバナナのケースと同じように最大化問題を解けるかという点については、関数 $${e}$$ が連続的で微分可能かのような細かな論点がある。ここでは深く立ち入ることはせず、必要な前提条件はすべて満たされているとする。
(*3) 「SNSをやめればいい」みたいなラディカルな解決策もあるが、それは一旦置いておこう。
いいなと思ったら応援しよう!
