ひるたオブジョイトイ

「ひるたオブジョイトイ」と名乗って写真展(もっぱら企画もののグループ展)に参加して遊んでいます。その昔から写真が好きで、須田一政さんのワークショップに通っては個展とかしたり、カメラ雑誌に原稿を書いたりしていました。写真展や媒体で発表したテキストが中心。現在は大阪市に在住。

ひるたオブジョイトイ

「ひるたオブジョイトイ」と名乗って写真展(もっぱら企画もののグループ展)に参加して遊んでいます。その昔から写真が好きで、須田一政さんのワークショップに通っては個展とかしたり、カメラ雑誌に原稿を書いたりしていました。写真展や媒体で発表したテキストが中心。現在は大阪市に在住。

最近の記事

LOCAL WORK

BEATSギャラリーの企画展である「LOCAL WARK」に出展した。関西にある限界系ニュータウンとしては様々なメディアで取り上げられ、有名な部類に入るかもしれない「茨木台(ニュータウン)」を歩いた時の写真を展示した。 茨木台は1970年代後半に造成されたニュータウンで、大阪市内や北摂に通勤する人向けに造成・販売された。ただ茨木市郊外は市街化調整区域で新規の開発が許可されなかったので、わずかに府境を越えた亀岡市に造成された。茨木台という名前であるが大阪府ではなく、亀岡市とい

    • 須田一政塾で教わったこと

      須田塾に入って最初に言われたことは「自分で選ばないですべての写真を持ってきてください」ということ。それらの写真すばやく選別しては「この写真いいですよ」とぽんと渡される。渡された写真を見て、困惑した塾生は多かったと思う。構図や光を意識した学びを含んだ写真はほぼ選ばれず、家族写真や技術を意識しない素直な写真が多く選ばれたからである。私自身、上手に撮れたと思えた写真は外され、なんで撮ったんだろうと思える素の写真が選ばれた。最初は構図や光など技術的なことばかりが気になり、自分の感性を

      • 気持ちの平衡は取れている。

        今日(10.21.2024)から帝塚山にある「Gallery Limelight」で「ブロニカンズ」という展示が始まった。ゼンザブロニカで撮った写真を飾るという明快なコンセプトの写真展。 ほんとは展示が終わってから、写真をサイトに載せののだろうがここは備忘録みたいなとこだし、ここは見ている人は少ないのでネタバレにはならないでしょう。飾っている写真の元データ(デジタイズした写真)を置いておきますね。鶴岡、酒田、遊佐、吹浦など庄内の風景、スナップです。 ブロニカはS2、SQを

        • 通底はしても説明はしない

          昔、とある編集プロダクションに出入りをしていて、そこのボーヤとして仕事というか、雑務をもらっていたことがある。 いわゆるデータマンとして、就職活動中の若者にインタビューしたり、一週間の溜まった新聞を一気読みして変ネタを集めたり。何百通というアンケートを集計したり(これは辛かった)そうしたまとめたデータを次の人に送って(アンカーというのだが)その人が記事をまとめるお手伝いをしていたのです。 憧れはライターというか、ノンフィクション作家。 目標は、ズバリ沢木耕太郎でした(こう

          写真でナニモノかであるために

          先日、僕よりも少し若い友人に「写真の世界でなにものかであるためにどうすればいいでしょうか?」と聞かれた。 ええっ! 写真の世界でナニモノでもないオレに聞くのか? と思ったけど、ナニモノでありたいと思い続けていたことは間違いなく(“思い続けていた”と過去形と言い切ってよいのかは疑問が残るところだが)、その頃の自分に足りなかったものを話せば良いのだろうか。 寝ても覚めても考えることは「写真」という時は間違いなくあった。 カバンにカメラ(CONTAX T3、コニカレコーダーなど

          写真でナニモノかであるために

          家族写真という「祈り」

           海の前に立つひとりの男と笑みを浮かべた子供。写真は傾いている。タテで撮ろうとしたのか、ヨコで撮ろうとしたのか、他の理由があったのか、写真を撮影した母親が亡くなってしまった今となってはその意図はわからない。仲睦まじい2人が写るこの写真、親子のようだが本当の親子ではない。当時、母親が付き合っていた男性である。私はこの男性が本当にすきだった。海釣りなど、一緒によく遊んでくれたし、彼もまた私を受け入れてくれた。そうした関係性は満面の微笑みをたたえた私の表情からもわかるだろう。お風呂

          家族写真という「祈り」

          ホテルに籠もったとき

          昨年の今頃はマニラに行ったり、そこから帰ったらシベリアに行ったりと慌ただしかったのに今年の長閑さはなんだろう。一日が、一週間が長いんですね。 長閑という表現は適切じゃないのかもしれないが、部屋から見える川のゆったりした流れを見ながら感じる時間の流れは長閑そのもの。旅行で忙しいと言っていた頃がもう2年も3年も昔のように感じる。 テレビのニュースでは3月の訪日外国人旅行者 93%減らしい。旅行者、とりわけトランクをゴロゴロ転がしている人を全く見かけないので、逆に7%もおるんや

          ホテルに籠もったとき

          緊急事態宣言されて初めての週末

          昨日、妻が病院から帰ってきて「自宅待機を言い渡された」と話してくれた。妻は医療従事者で、主に訪問看護に従事している。担当している利用者さんが高熱を出して、コロナウイルスによる発熱が疑われて入院してPCR検査を行ったことから、濃厚接触者として結果が出るまで自宅待機するようにとの話だった。 狭い自宅だし、妻だけ押入れに隔離するわけにも行かないので、普通に同じ部屋で濃厚接触して過ごすことに(濃厚接触っていい言葉ですね。あんなこともこんなことも濃厚接触)。もし利用者さんが妖精なら、

          緊急事態宣言されて初めての週末

          緊急事態が宣言された最初の日

          緊急事態が宣言された最初の日。 そんなテレビの喧騒を別にFAXやポストに届いている手紙の有無をチェックするという崇高な目的のため、今日は出勤しましたとも。 先日、α6500のアイカップピースを紛失してしまったので会社に行く前にヨドバシ梅田に寄ると、ヨドバシの2階カメラフロアはガラガラ。朝だからというのはあるだろうけど、店員さんに聞いたら、火曜日の時点でいつもの2割程度しか客が来なかったらしい。メーカーから派遣される応援スタッフも今日から来ないということもあって、売り場にいる

          緊急事態が宣言された最初の日