フランスへ行きたくなった

十勝の田舎町で暮らしている。僕はきのこ農家だ。生産物の評価はいいが、あまり儲かってはいない。『寒冷地での林内伏せ、技術と知識の必要な栽培方法、旨味の高い菌種』。最高と思えるものを並べた。ステータスだけ見れば日本一美味いきのこだろう。だが、儲からないのである。品質がよくてもダメなのだ。

いろいろと挑戦はした。けれども上手くはいかなかった。そのうえで薄々だが感じていたことがある。僕はひとりだった。仲間はいない。それでも挑戦した。黒字だったがスケールが小さい。そこから先へ行くには、ひとりでは無理なのであろう。

サラリーマンの副業的には成功でも、農家の本業的には失敗であった。『早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け』。手垢の付きまくった言葉だが、その意味を思い知ったのである。

もうひとつ心当たりがある。それは農作物への情熱不足だ。僕にとっての農家は目的ではなく手段だ。農家をやりたくて転職したわけではない。移住先での職業として農家を選んだ。他農家さんと比べると熱量は低い。それも少なからず上手くいかない理由のひとつだと思っている。

昨年スタートさせた『高級きのこ大作戦』。クラウドファンディングは希望金額に達成したが、その先に繋げられない状況だった。その時点で失敗は確定。けれども、認知拡大の一環でハンドメイドマルシェへの出店はエントリー済みだった。

負け戦になるが準備はしっかりと行った。結果から言うと散々だった。出展料と交通費を回収できずに赤字。けれども売上ゼロではなかった。認知拡大のためのリーフレット配布も、そこそこの数が計上された。もしかしたら、地道に出店し続ければ予想とは違う結果になるかもしれない。けれども僕には時間が無かったのである。

知れたことも多かった。人気のブースは複数人でまわしている。ファンもついているようだ。おそらく最初から人気ではなかったのだろう。時間を掛けて築いたものがあるようだった。矢面に立つ人と裏方にまわる人。二人三脚。そんなブースも見受けられた。長くやり続けるためには役割分担も必要だと思う。正直、僕はそれを見て羨ましかった。

とはいえ僕のブースもときおり人が集まった。やはりきのこの写真には人を集める力があるようだ。子供にロックオンされる。しかたなく親も足を止める。それを見て周りの人も寄ってくる。いい流れだ。おそらく、得体のしれないブースなので、足を止めたいが躊躇する人も多かったのだろう。

ポストカードは1枚300円。すこし高めの価格にした。けれども買う人は値段を見ない。なんなら値段を知って、購入枚数を増やしてくれた。写真販売は利率が高い。ここだけの話、原価率は16%くらいだ。紙と印刷に拘れたのはそのためである。

とはいえ、イベント中は暇な時間が大半を占めていた。僕はというとスマホでnoteを書いていた。先月からはじめた『タモツの日記』。物語は序盤の独り暮らしをはじめたあたりだ。あの頃の楽しさを思い出していたのである。

はじめての独り暮らしは楽しかった。自由が溢れていた。田舎暮らしの楽しさも、あの頃に覚えたものだ。それを思い出すだけで笑みもこぼれてしまう。今の暮らしと比較もしてしまった。

たしかに今は十勝で楽しく暮らしている。けれども定住だ。引越すという選択肢は消えている。けれども思い出してしまった。『タモツの日記』の物語は、この後、引越しを繰り返す。その頃の楽しさを思い出してしまったのだ。

加えて写真の楽しさも思い出した。今は毎日きのこを撮っている。それは楽しいし充実もしている。けれども『僕の思う最高の一枚』は忘れていたのかもしれない。忘れてはいないが蔑ろにしていた。

そもそも、被写体としてのきのこは『世間一般的には美しいと思われない存在』という前提で撮っていた。それが今はどうだ、きのこの美しさをアピールしようとしているではないか。ここら辺の言語化は難しいが、明らかズレてしまった想いがある。美しくないと思われているものも、見方によっては美しく思える。それを撮ることで『僕の思う最高の一枚』に近づく。そんな想いを忘れていたのである。

僕は過去の写真を見返した。北海道へ移住する直前に撮った公園の写真である。これは当時の僕が数年後の僕に宛てたメッセージ写真だ。おそらく自分の写真のことを忘れるから、この写真を見て思い出せるように。そう思って撮ったものだ。それを見たのである。

イベントが終わって数日後、僕は帯広の公園に訪れていた。カメラは67中判フィルム機。詰めたのはモノクローム。レンズは標準105mm F2.4。久しぶりのフィルム撮影だが、思いのほか楽しかった。なにか忘れていたものを拾い上げる感覚もした。

僕の中で眠っていた移住熱が蘇りつつある気もした。きのこ以外の写真も撮りたくなっていた。そもそも、遠出して撮った写真よりも、身近な被写体を撮った写真の方がいいことに気付き定住した。けれども、それは間違っていたのかもしれない。身近な被写体と思っていたものも、それは短期転勤を繰り返していたときのことだ。単に有名スポットではない被写体に惹かれていただけかもしれない。

被写体は何でもいい。きのこでもいい。なんなら落ちてる石でもいい。けれども、それは場所によって違う。同じ石でも、十勝と大阪では違うのだ。そう思うと行ってみたい場所はある。移住熱が上がったのもそのためだろう。

僕は日本のすべてを知らない。北海道から中国四国までは撮った。九州と沖縄は知らない。その外も知らない。実はハワイには行ったことがある。そこのことも思い出した。そこでは何気ない物もいい被写体に思えた。

ここではない何処かへ行きたい。被写体は石でいい。例えばフランスの石は僕にとってどのように見えるのか。もしかしたら『僕の思う最高の一枚』に近づけるかもしれない。なんとなくはじめてみた『タモツの日記』だが、そんな儚い夢もみさせてくれたのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?