
ちょっとピンボケが楽しいこの頃
ピントが少し甘い写真。
昔なら「失敗したな」と片付けていた一枚が、最近では不思議と気に入ることが増えた。
甘いピントが生む独特の空気感や、作り込みすぎていない自然な雰囲気が妙に心地よく感じられる。

肩の力を抜くことで生まれる自然さ
ライティングや構図を突き詰めて、いかにもプロっぽい仕上がりを目指すのは、写真の基本だと思う。
ただ、技術的な正確さにこだわりすぎると、逆に写真が「作られたもの」になってしまうことがある。被写体本来の魅力が消え、写真そのものが冷たく感じられるのは、そういうときだ。
僕が思うに写真というのはカメラマンと被写体の間にある信頼関係や、その場の空気感に左右される。リラックスした環境で撮ると、被写体も自然な表情や仕草を見せてくれるし、お腹が痛い時に撮った写真はどうにも焦ったような写りになる。
やってやるぜという意気込みは良い事なのだけれども、リラックスした時ほど写真が持つ本来の魅力を引き出すことができる。

嫌な違和感が生まれる理由
写真で避けたいのは「嫌な違和感」。
たとえば、ライティングや構図を真似しても、技術が未熟だったり、撮影の意図が曖昧だったりすると、どこかチグハグに見えることがある。
写真の中の要素が調和せず、不自然さが目立つ結果になる。
これは現像作業の際にも言えてくる。
本来参考にしたライティングでは影の中の光を活かして被写体の表情とマッチした空気感を作るはずがコントラスト感が薄く、ただライティングしただけの写真になってしまったりする。
「嫌な違和感」というのは、技術、被写体、場の空気感が一致していない状態だと思う。
観察眼や技術がいくら優れていても、被写体の個性や場の雰囲気を活かせていなければ、写真は見る人に違和感を与える。
こうした違和感を避けるには、技術だけに頼らず、撮影対象としっかり向き合うことが大事だ。
その場で何を伝えたいのかを明確にするだけでも、写真の仕上がりは大きく変わる。
ピンボケが教えてくれること
ピンボケ写真には、肩の力を抜くことの大切さが詰まっている。
少し曖昧な描写が、見る側に解釈の余地を与え、想像力を刺激することがある。完璧な技術を追い求めるよりも、リラックスした状態で撮影するほうが、被写体の自然な魅力を引き出せる。
写真は技術だけではなく、カメラマンの気持ちや、その場の空気感が反映されるものだ。力を入れすぎないことで、写真はもっと自然で心地よい仕上がりになる。

まとめ
ピンボケ写真を含め、完璧ではない一枚には、不完全だからこそ生まれる魅力がある。
どこか、「良い写真撮ってやるぜ」とか「凄い写真を見せてやる」と思ってやると、必ずその意思は被写体に伝わるし、それは余計な緊張感を産んでしまう。
緊張感は無ければ無いほど良いという訳では無いが、余計な緊張感や撮ってやるという感情は写真を窮屈にしてしまう。
たまには肩の力を抜いて、おしゃべりしながら撮るのも写真を楽しむ一つの方法だと思う。
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