数年後の僕へ
医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今の事業所は12ヶ所目。施設の運営を担いつつ、社員のマネジメントも任されたりもする。給料は悪くないが、良くもない。だが、暮らしは安定していると思う。
僕は写真が好きだ。10年以上続けている。『僕の思う最高の1枚』を撮ることが目標だ。まだまだゴールは遠い。故にいろいろと試している。経験も足りていない。そのために転勤も繰り返した。
けれども僕もいい歳だ。もうすぐ39歳になる。社内でも管理職のポジションに就かなければならない。転勤も難しくなってきた。おかげで最近の写真はいまいち。心には霞も掛かった。故に退職を選ぼうと思っている。
先日は下見にも行ってきた。場所は北海道の十勝。地域おこし協力隊に就いて、ゆくゆくは農家になるつもりだ。だが、予定は未定。そんなに上手くいくとは思っていない。農家が駄目でも、生活費が稼げれば職業は何でもいい。そんな想いで転職移住する。
ひとつだけ心配事がある。写真についてだ。前述の通り、僕は『僕の思う最高の1枚』を目標にしている。撮り方にも磨きをかけてきた。被写体の選び方も変わってきたと思う。遠くへ行かなくてもいい。身近な被写体で十分。転職移住で定住を目指すのもこのためだ。
だが、移住先の十勝は景色がいい。そんな被写体の選び方も忘れてしまうかもしれない。それに加えて就く職業が特殊だ。地域おこし協力隊。おそらく仕事で写真を使いたくなるだろう。それはいいのだが、これまでに構築してきた『僕の思う最高の1枚』の輪郭を忘れてしまうかもしれない。それが心配なのである。
僕は職場の窓から見える公園へ向かった。かばんには大きなカメラ。67中判フィルム機。僕の相棒である。レンズは105mm F2.4。フルサイズ換算で50mmの画角を持つ標準レンズだ。10枚撮りのモノクロームを詰めて公園内を撮りまくったのである。
お気に入りの1枚となるような写真は撮れなかった。けれどもそれでいい。粗削りながらも目指す方向性は示せた。数年後の僕でも見ればきっと分かるであろう。写真は経眼薬。世界は人が絶望するほどシンプルで美しい。それが僕の追い求める写真の輪郭だ。
おそらく転職先で僕は苦労するであろう。だが、何とかしてくれると期待もしている。けれども写真のそれだけは忘れないでほしい。その未来のために公園で撮った。この日の写真を数年後の僕へ届けたいのである。