「形」の認識と写真表現 - 現象学的考察のススメ
建築写真において形を表現することは最も基本的な要素です。では私たちは日常生活で「形」をどのように認識しているのでしょうか。物を見たとき、その形を「四角い」「丸い」と理解するのは、視界に入った瞬間の情報だけではありません。眼球を動かしたり、歩き回ったりする「動き」の経験が大きく関わっているのです。
興味深いことに、特殊な装置を用いて眼球の微細な動きを相殺し、像を眼球に対して完全に静止させると、それまで見えていた物の輪郭が消失してしまう現象が実験で確認されています。
このことは、写真というメディアが抱える本質的な課題を示唆しています。写真は、撮影者が現場で無意識に行っている「動きを伴う形の理解」や「両目による立体視の補正」をほとんど含まず、二次元の画として提示します。ここに、実際の体験と写真のイメージとの間にギャップが生まれる大きな要因があるのです。
「動き」による形の理解
現象学的観点から見ると、私たちが「形」を認識する過程では、単一の視点からの視覚情報だけでなく、右に回り込んだ際の見え方や、上から覗き込んだ時の様相といったシミュレーションを無意識に行っています。これらの動きによる経験と、実際に見えている歪みや角度の情報を照合して、「あそこの角度は90度」とか「台形に見えるが実は直方体の一部」といった判断を下しているのです。
これは、フッサールの現象学的考察における「構成」に相当します。
私たちは常に、目の前の世界で生じる像の動きを通じて、面の見え方や角度の変化を捉え、頭の中で本来の形を推定しているのです。
写真における「動き」の喪失
写真は"一瞬"を切り取った静止画であり、二次元平面として再現されるため、撮影者が現場で得ていた「動きの体験」や「両目による立体視の補正」は写真には反映されません。撮影者は、現場で身体を動かし多方面から対象を眺めることで「形」を把握していますが、鑑賞者が初めてその写真を見たときには、撮影者が持っていた補足情報を知ることなしに、単なる二次元の像としてしか認識できません。
形を正確に捉えるためには、現実に体験している世界と写真との差異を理解することから始める必要があります。それによって初めて、その差異を縮小する方法が見えてきます。
現象学的考察を意識した撮影の要点
写真撮影時には、ファインダーや背面モニターを覗く以前に行われている無意識の動きや両目による立体視を意識し、それを一度手放すことが重要です。言い換えれば、自身の「無意識の補正」を一時的に棚上げした上で像を観察するのです。その上で対象物の形を再考し、これから写そうとする像との印象の差異を検討することが、鑑賞者にも理解できる形の捉え方の重要な鍵となります。
まとめ
写真は、私たちの「動き」や「立体視」といった無自覚の要素をほぼ失った状態で二次元の画面として提示します。撮影者が自明のものとして持つ「形」の理解の背景を意識せずに写真のアングルを決めると、鑑賞者との間にギャップが生じやすくなります。そのため、撮影時には自分が持つ「形の理解」を一時的に保留し、写真がどのように見えるのかを純粋に再検証する必要があります。
このように、撮影者が鑑賞者の視点に近づくことで、被写体の持つ歪みや角度などを適切に伝えられる写真を撮影することが可能になります。一見当たり前のようでいて、意識的な取り組みがなければ実現が難しい作業です。
今後もタイミングを見て、現象学的還元の発想を具体的な撮影シチュエーションにどのように活かしていくか、実例を挙げながら説明していきたいと思います。