「刺激と反応のあいだには、余地がある。その余地において、私たちは自分の反応を選択する力をもっている。その反応の中に、成長と自由がある」 ヴィクトール・フランクル
「写真にとったり映像におさめてはいけないものが三つある、それは愛と死と祈りだ」(宿命を超えて、自己を超えて/V.E.フランクル P45) この言葉の意味をずっと考えています。 「この三つはどれも、(中略)世間の目にさらされてはならない保護地区なのです」(同上 〜P46)
私の師エーデルシュタインは読書家としてはアーレントのファンでした。『全体主義の起源』は入手しており、コロナ禍で読もうと覚悟したのですが、気を病んでしまいやめてしまいました。フランクルによる『夜と霧』も入院した時に読んだきりになっています。映画はたくさん観たのですが。読みたいです。
よく誤解されることですが、『夜と霧』で有名なヴィクトール・E・フランクルの考えは、凄惨な収容所体験があってなされたものではなく、 むしろ、どんな人にも生きる意味があるという信念があったからこそ生き抜き、体系化されたのだと思います。 人生がその意味を問うている。生きている限り。