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それでも人生には意味がある

6連勤のドタバタの一週間が終わり、日月はお休み。やったー。

ここ半月ほど怒涛の日々を過ごしていたら、いつの間にか四十肩を発症していた。
あ~肩がイテ~、でもこれただの肩こりじゃない、え、腕があがらない、つーか痛い、なんだこれ!
四十肩でした。

整骨院に通い始め、電気を流してもらったり、「というかそもそも背骨が歪んでいます。2箇所も」と指摘され、背骨矯正の「ボキボキィッ!!」の施術を受けています。

最初にあのボキボキィッ!をやられた時はそんなことされるとは思わず完全に油断しており、体に雷が落ちたか衝撃波が走ったかと思った。
イデッ
と地獄の底から遠く響くような声をあげると、

「お、ののっつさん結構冷静で我慢強いですね!初めての時はもっと叫んじゃう人もいるんですよ~」

と褒められた(褒められてるのか?)。

しばらくは週2くらいのペースで仕事帰りに通うことになりそうである。
何度でも言うよ、40代つらい。

・・・

きのうは敬老の日(の前日)ということで、娘と実家に帰って、わたしの母に敬老をしてきた。

「りんどうを使って、敬老っぽい花束をお願いします」と日比谷花壇でお願いしたところ、吾亦紅(われもこう)なども入れて秋らしいお花をしつらえて下さった。
秋は、あざみとかりんどうとか、深い色のお花が多くていいなあ。

夜ごはんは娘が、得意料理であるサーモンのムニエルをこしらえた。

キャロットラペやなすのソテーも添えて、あとはコーンスープも。
わたしの母は働きものなので娘が料理をしていてもあれこれ手伝おうとするのだが、「敬老だから!」と言って台所を去らせるのにひと苦労した。
で、ようやくいなくなったと思ったら、リビングでお相撲をみている。

「え、お母さん相撲見てんの?」

「そうなのよ~、最近なんかお相撲って面白いなと思うようになったの」

前まではお相撲なんてぜんぜん興味なさそうだったのに……。そういえば亡くなった父も70歳で仕事を完全引退してからお相撲を見るようになっていた。
人は、歳をとるとみなお相撲を見るようになるのだろうか。
(わたしも、いまは興味ゼロだけどいつかは……?)

母は娘の料理を喜んでぺろりとたいらげ、ケーキもたべ、「今日は天国にいるみたい」と最上級の喜びの言葉を述べていた。よかったよかった。

・・・

そうそう、いま、NHKプラスで「こころの時代」ヴィクトール・フランクルのシリーズが見られるのです。

全6回。まだ途中までしか見られていないけど、『夜と霧』がお好きな方や、「それでも人生にYESと言う」というフランクルの思想に興味がある方にはぜひおすすめしたいです。

それにしても、フランクルが生きた時代に、たまたま同じウィーンにあのフロイトやアドラーが生きていて交流をしていたとは驚いた。

フランクルは「それでも人生には意味がある」というロゴセラピーを始めた若い頃にナチスの強制収容所に入れられ、「ここで生きる意味とは?」という問いと自ら向き合うことになる。
そのことを書いたのが『夜と霧』。
わたしはフランクルの『夜と霧』を若い頃から何度も読み返していて、いま自分がさまざまな苦悩を抱える若者たちを支援するときにも、彼の「ロゴセラピー」の考えかたを頭の片隅に入れています。

すなわち、どんな困難な状況であっても人は自分自身の力で自分に価値を見出すことができる。それだけの力を持っている、と信じること。
支援というのはその人を助けてあげることじゃなくて、その人自身のもつ良さや力を引き出して強化して、自分自身で生きていけるようにサポートすることなんだ、ということをいつも心がけています。

そして、つらい過去や病気や障害を完全になくすことはできなくても、それでも人は「いまここ」から自分らしく人生を生きてゆくことができる。というリカバリーの精神も大切に思いながらひとりひとりのかけがえのない人生に向き合っています。

・・・

ここにきてセ・リーグが本当に面白くなっていて、毎日目が離せない。我慢できずとうとうDAZNに加入し、2試合を同時に見たりしている。

そしてヤクルト青木の引退試合がどうしても見たい!と思い、引退の一報が出てすぐに神宮最終戦のチケットをおさえた。(その後すぐに完売した)
のだが、なんと引退試合が最終戦ではなくその前日に行われることになり、それを知った時には時すでに遅し……。とても悲しい。
テレビから最後の青木の勇姿を見守ろう。

即買いしたNumber。

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最後に、最近のふくちゃんです‪🐹

おやつに乾燥トロピカルフルーツを導入
「おいしい~」の顔になってます
で、またここで寝てる