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『最後の対象者』

■ ぎりぎりの少年事件
 保護観察中の再非行で、少年院送致かどうか、ぎりぎりの事案。
 少年いわく「保護司さんとはうまくやっていたし、ぼくの味方になってくれると思います」とのことだった。
 これまで保護司さんの協力を得なければ、と思うことはあまりなかったが、今回だけは、「戻って来ても、僕が面倒見ますよ。」と保護司さんに言ってほしい事案だった。
 電話連絡をとるとフットワーク軽く、わざわざ事務所まで出向いてくれた保護司さん。できれば、陳述書を作成して提出したいこと、さらにわがまま言えば、審判にも出席してほしいことを伝えた。
 すると、保護司さんはこう切り出した。
「実は、最初に電話をもらったあと、保護観察官に相談したんです。弁護士さんから、審判に協力を要請されそうなんだけど、協力していいですか?と。そしたら、保護観察官が『それは困ります』というんです。なので、私は『それは、協力してほしくないということですか、したらいけないということなんですか?』と聞きました。
 すると、『保護観察所としては、裁判所からの問い合わせには回答しているので、個別の保護司が協力する必要はない。だから、協力はしないでください。』と保護観察官がいうので、さらに『では、もし協力した場合は、保護司の資格をはく奪されるとか、処分がありえるのですか。なにか、協力を禁じる根拠があるのですか』と聞き返したら、答えがない。
 最後は、保護観察官もちょっと意地になって感情を害したみたいでしたね(笑)」
 途中まで聞いているとき、これは結局、協力を断られる流れなのではないかとドキドキしていた。しかし、この保護司さんは、ぼくが想像する以上に広く大きな人物だった。
「いいですよ。あの少年が社会のなかで更生できると僕も信じていますから、できることはなんでも協力します!そのために保護司になったんですから。まあ、あの保護観察官が担当のうちは、私には新しい対象者は回ってこないかもしれませんが、それはそれで、仕方ない(笑)」

 正直、保護司さんの中には、保護観察官のいいなり、というひとがいないわけではない。だからこそ、この保護司さんが、保護観察官の言動に左右されず、自分の信念にしたがって、少年のために審判出席を決断したという態度には、しびれた。
 カッコいいなぁ。どう書いても、十分に表現できないくらいのカッコよさを感じさせてもらった。
 
 保護司さんは、審判にも出席してくれた。そのおかげもあって、なんとか試験観察となって、少年院送致を免れることができたのだった。

■ 保護司さんが亡くなりました
 試験観察と保護観察が並行していた時期もすぎ、試験観察が終わった。ひさびさに、少年から連絡があったので、「ちゃんと保護司さんのところには行っているか」と聞いた。
 少年が言うには、前々回の面談は、保護司さんの事情で急に流れたそうだ。その後、連絡があって、「もうすぐ退院するのだけど、ひさびさに顔をみたいから、病院に面会に来てくれないか」といわれたので、病院にお見舞いにいったそうだ。
 「保護司さんは、ちょっと痩せてたけど、笑顔で迎えてくれて、喜んでくれました」と少年は無邪気に報告してくれた。そんな面談スタイルもあるものかな、と思いつつ、保護司さんが退院したら、またゆっくり話を聞かせてらいたいな、と思っていた。

 それから、数週間後、少年から電話があった。
 「保護司さんが亡くなられました」
 急な報告に言葉を失った。

 実際には、ずいぶん前から、ガンで闘病中だったらしい。病院で、面談したのも、これが最後になるかも、という予感があったのだろう。

「まあ、あの保護観察官が担当のうちは、私には新しい対象者は回ってこないかもしれませんが、それはそれで、仕方ない(笑)」

 いまになって、審判前に保護司さんが言っていたあの言葉が身に染みてきた。
 「この子が保護司としての自分の最後の対象者になる」と覚悟を決めての言葉だったのだろう、とおもうと、その重みがぐっと増してくる。徐々に体調が悪くなっていくなか、少年のために保護観察官に逆らった保護司さん。一番苦しい時期に、少年を心配させないように、「もうすぐ退院するから」と病室で笑顔を見えていた保護司さん。
 その態度に、人間としての広さと大きさを感じた。

■ 態度価値
 ナチスの収容所から生還した心理学者・精神科医のヴィクトール・フランクルは、人間が実現できる価値は①創造価値、②体験価値、③態度価値の3つに分類される、という。
 態度価値とは、「人間が運命を受け止める態度によって実現される価値」のことである。人間には、たとえ、病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由を奪われ、楽しみが奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が残されているのだという。そんな態度価値は、まさに死に直面したときのその人の他人との接し方に現れてくる。
 人生の最後が迫ってくるときにさえ、少年の更生を考え続けてくれた保護司さん。これが「態度価値」なのだろう、と思う。
 自分もそうありたい、とは思うものの、実際に同じような場面になってみないと「態度価値」を具現できるかは、正直、自信がない。
 
 短い期間だったけど、この保護司さんと出会えたことが少年の今後に、いい影響を与えたことは間違いない。そして、この保護司さんは、ぼくにも大きな影響を与えてくれたのである。

※「対象者」
 保護観察対象者のこと。保護司さんは、自分が担当する保護観察対象者のことを単に「対象者」とよぶ。


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