abashi goya

いろんなことがありました。断片をかき集めてランダムに書きつらねます。♂️

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最近の記事

珈琲の押韻

「よくひとりでこんな喫茶店に入れるな」と友人に言われたものだった。店主の美意識が高いほど、構えに表れるものである。 その店は長屋のような蔵のような、古い木造の平屋だった。黒い桟の入った引き戸の向こうは薄暗く、ランプのような明かりが点々と灯っていた。年季の入った板張りの床、黒檀のように重厚な机。漆喰の壁の棚には陶磁器が並べられている。 30代とおもわれる男性がレジ横のパソコンで、いや、ワープロだったのだろうか、無心に何かを打っていた。顔をあげて注文を聞き、コーヒーを淹れはじ

    • 空から落ちてくる理由

      「友だちになってください」と初対面の女性を訪ねたことがある。私は元来そんなことをできる人間ではないし、後にも先にもひとりだけである。 彼女はドイツ人だった。ある機関誌に彼女が投稿したコラム、「就職活動する学生がみんな同じスーツを着ているのはちゃんちゃらおかしい」といった記事に規格外の何かを感じ、会いに行って本当に友だちになった。 当時30歳前後で、背が高く魅力的な女性だった。日本語はペラペラ以上、漢字も何不自由なく読み書きできる。英語もネイティブ並み、ギターを弾き、カメラ

      • 青パパイヤのある風景

        少し遠出するときに立ち寄る八百屋さんがある。500gぐらい入ったレンコン一袋100円。空心菜4把100円。とにかく安い。売れない野菜や果物を、青果市場から引き取っているのではないだろうか。トマトは完熟しか買わない私にとって、割れて果汁が出ている安い中玉はとてもありがたい。 業務用白米がキロ400円台(税込)。高騰して600円を超えているご時世に、これは安い。しかし表示は精米時期しか記載はなく(しかも1カ月以上前の精米)、品種も生産年も産地も、製造者も販売者もわからない。こん

        • くだらねえとつぶやいて

          なぜこんなことを書くかというと、立て続けに選挙があり、メディアに政治家が登場しているからだ。落ち着いて質問に答えている分にはいいが、討論や街宣となると声を張り、正当性を訴える。そんな時に口にする言葉が伝家の宝刀「覚悟」である。 私はこの言葉が苦手なのだ。しかし世間では、刺さる言葉として多用され、利用される。図書館のサイトで書名に「覚悟」を含む本を検索すると、ぞろぞろ出てくる。優れた編集者ほど、タイトルに入れれば売れることを知っているのである。 元来、仏教語として「迷いを去

        珈琲の押韻

          放浪無慙

          小さな書庫にて、日に焼けて変色した単行本を借りた。『青春放浪』(檀一雄、筑摩書房)。檀一雄が作家未満であった20代、戦前戦中の日々を綴った自伝的小説である。 梁山泊での学生時代を経て、満洲に渡ってから俄然面白くなる。仕事もせずに寄生し、酒に明け暮れ、馬賊への婿入りを夢見、蜜蜂を飼い狼を撃つ暮らしを夢見、密林にともに分け入る女性を求める。 ロシア人の長屋に一室を借り、洗顔、食事、洗濯を金盥ひとつで済ます。檀一雄の「天然の旅情」に、当時20代の私は自らを重ねて魅了され、背中を

          バスターミナルは夢を見ている

          平たんではない道を、ぼろっぼろのバスで、十時間以上走る。眠りたくても硬いシートに跳ね飛ばされ、ガンガンと鳴り響く音楽で眠れない。音楽が鳴らなくなれば、カーステレオが壊れたとわかる。ドライバーは途中の街にバスを停め、カーステを取り外して店に持ち込み、修理を始める。 1時間、2時間と時は過ぎる。乗客のおばさんが泣き叫びながら非難する。いつになったら出発するのよ!ドライバーはどこ吹く風で、カーステが直るまでは出発などするはずもない。 私はもう慣れていた。バスの前を黒猫が横切った

          バスターミナルは夢を見ている

          消去法ではない選択

          写真と文による本はいいものだなと思う。なかでも、写真家が文章も書く場合、それぞれがリンクして相乗の効果がある。藤原信也、星野道夫。私自身の鈍化や退化もあるだろう。延々と続く文章に没入する集中力はなく、理由もない。昔買った文庫本を見ると、よくもこんなに行間もなく細かい文字群を読んでいたものだと感心する。 小説家や作家には「家」が付くが、詩人には「家」が付かない。詩では家が建たないからだ。喫茶店のマスターはそう言った。写真誌が軒並み休刊や廃刊に追い込まれ、素人による動画投稿がは

          消去法ではない選択

          冒険者たち

          大型の台風が接近し、消防団に待機命令が出た。団員は詰所に集合、災害に備える。仕事を終えた者、仕事を切り上げた者が制服に着替えて三々五々やってきて、消防車両や装備を点検し、2階に上がる。 焼き肉の準備が始まる。団員は20名ほどで、その大半が集まった。隣の公民館には高齢者が数人、避難している。こちらもお茶を飲み友人とおしゃべりをしながら不安な夜を越そうとしている。 風雨が強まり雨戸を閉める。消防団の待機は思いのほか長く、翌朝遅くまで解除されないだろう。数時間ごとに消防車でパト

          冒険者たち

          小さな岬の炭坑節

          丘の上に車を停め、そこからは急な階段を降りなければならない。待っているのは白い灯台と小さな砂浜。テントを張りたければ張ってもいいですよという程度で、キャンプブームでもわざわざ荷物を担いで来ようという人はいない。 訪れたのは10月で、そこかしこが台風で破壊されていた。誰も来るはずがないのでソロキャンプを満喫できるだろうと目論んだのであった。 沖から小さな漁船が近づいてくる。遠浅の海に停めると人が次々と飛び込み、頭に荷物を載せて砂浜に歩いてくる。ノルマンディー上陸作戦のようだ

          小さな岬の炭坑節

          草叢

          母方の祖父は、子どもの頃に両親を亡くした。弟たちを引き取るという親戚たちの進言を退け、自らが働いて養った。結婚してゴム工場で働いたが、空襲がはじまり故郷に帰った。 結核で妻と娘二人を失った。戦局が悪化してとうとう徴用され、広島に赴いたときに原爆が投下され、祖父は被爆した。どうやって帰ってきたのか、からだには穴があき、蛆虫が湧いていた。 看護師になった私の叔母は、蛆虫のおかげで傷がふさがれたのだと言った。祖父は被爆者手帳を持っていなかった。差別を避けるために申請しなかったの

          粥の実、汁の実

          20代の頃、私の友人が料理教室に通い始めた。男性である。理由を聞くと「結婚するから料理はできないとね」と答えた。彼は熊本で生まれ育ち、熊本で生活していた。私がすれ違ってきた九州の男像とはかけ離れていて、軽い衝撃を受けた。 30代の半ばを過ぎ、私は料理教室に通い始めた。結婚するからではない。生活習慣を引き戻すためと言えば聞こえはいいが、引き戻す回帰点なんかどこにもなく、ちゃんと自炊を続けた経験もなかった。 その頃の私といえば、朝食など摂らずに出勤し、昼に定食を食べ、帰り道で

          粥の実、汁の実

          蝉の儚さは何万回語られただろう

          夏の盛り、郊外のスターバックスはほとんどの席が埋まり、若い人が多かった。アイスコーヒーを注文し、窓際の席に座り、『サバイバル登山家』(服部文祥、みすず書房)を読む。みすず書房は貴重な出版社だと思う。 窓の外で、何かがポトリと落ちた。様々な樹種が植栽された砂利に、クマゼミが這っていた。クマゼミはもう一度飛びあがり、鉛筆のように細い南天の幹にしがみつく。冷房の効いた店内から、35度を超えた灼熱の蝉を私は見ていた。 もっと立派な、甘い樹液を吸える大木にとまればいいのに。ガムシロ

          蝉の儚さは何万回語られただろう

          silent hill 333

          1か月前、このことについて書いておこうと思った。書きたいという欲求ではなく、書きなさいという天命でもなく、書かなければという使命でもない。 何かが足りない。だから先行して『カウンセリングを受けてみた』という発酵不良のガス溜まりのような記事を3編にわたりnoteに書いた。書く資格はあるのか、己に問うために。 人を殺した人について、面識のない人について、軽々しく語ることは慎むべきだろう。しかし、ひとりの宗教2世として、書くことをお許しいただきたい。(3,300字) 2年前の

          silent hill 333

          カウンセリングを受けてみた(後編)

          遠い土地に移住し、その後2回引っ越し、2回仕事を変え、転がる石となって無職に戻った。前回のカウンセリングから約6年が経過していた。 懲りない人間である。またカウンセリングを受けてみようと思うのであった。ネットで検索する。地方なのでなかなかヒットしない。臨床心理士がひとりで営むカウンセリングルームがあった。車で約1時間、初回は一時間あたり7千円だったと記憶する。 予約してマンション地階の駐車場に停める。指定の時間に40代ぐらいの男性が降りてきた。中肉中背、眼鏡を掛け、スーツ

          カウンセリングを受けてみた(後編)

          カウンセリングを受けてみた(中編)

          初めてのカウンセリングを受けてから10年近くが経っていた。当時の勤務先を辞め、転職先も辞め、無職の身だった。海辺の街に暮らし、風に吹かれ、日々を過ごした。 無職になるのは、これまでに何度もあった。不安や恐怖は、昔ほどではない。なるようになれという図太さを身につけてしまった。しかし、こんな時に限って、「なぜ自分(だけ)はこうなのか」ということが頭をもたげるのであった。 今が良い機会かもしれない。私はインターネットで最寄りでカウンセリングを受けられるところを探した。前回のこと

          カウンセリングを受けてみた(中編)

          カウンセリングを受けてみた(前編)

          20年ほど前の話である。勤務していた会社が加入している健康保険組合の配布物に、2回までに限り無料で心理カウンセリングを受けられますという案内があった。 カウンセリングなど受けたことはない。しかしその時、受けなければならない、受けてみようと自分に言い聞かせる声がした。雨の降りはじめのような、心のざわめきを覚えた。 仕事をしながら、意識の外に出したり内に入れたり逡巡したが、意を決して申し込み、理由をつけて半休を取り、電車を乗り継ぎ、都会の駅を降りた。 カウンセリングルームは

          カウンセリングを受けてみた(前編)