【読書】アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝 by エディス・エヴァ・イーガー&エズメ・シュウォール・ウェイガンド
あらすじ
1. 人間には、人生を選び取る力がある
著者であるエディスの人生は、生死を分ける選択の連続だった。丸裸にされ、生死を分ける列に並び続ける日々。収容所の生活は理不尽に満ちていた。
このような過酷で壮絶な状況においても、エディスは善意とともに生きること、未来へ進むことを選択し続けた。例えばナチスの前で踊った褒美として与えられたパンを、次にいつ満足に食事が与えられるかわからない状況においても仲間に分け与えた。姉とは別の車両に乗せられそうになった場面では、咄嗟に命懸けのパフォーマンスを演じ、家族がばらばらになることを防いだ。
ボロボロの作業着を着て、化粧もせず、丸坊主にされた姉に対し、エディスが選択した言葉が胸に残っている。
何を見るのか、何に心を留めるのか、何を言葉として口に出すのか、人間には選択肢がある。選択とは自由の証であり、どのような状況にも、誰にも、奪い去ることはできないのだ。
2. 自分には価値があると証明し続けたい症候群
移民として家族と共にアメリカに渡ったエディスは、言葉の壁と経済格差、不安定な生活基盤という困難を直面しながらも、懸命に働き、なんとか3人の子供を育て上げる。その頃、大学に入学し、「夜と霧」の著者であるヴィクトール・フランクルとも出会い、自身の経験を活かし、困難に直面した人々を救うことを選択し、博士号をとり臨床心理士となる。
しかしその頃、家庭は順風満帆とはいかず、夫との言い争いが多くなる。
この時期(博士号を目指して勉強していた時)の自身の精神状態について、エディスは、心的外傷を受けた者特有の、自分は価値がある人間であるということを証明し続けなければならないと考えている状態だったと振り返っている。
私は臨床心理学をしっかり勉強したことがなかったので、この分析は目から鱗が落ちるようだった。というのも私は今まで、「向上心があるのは良いことである」「困難な状況にあったり、経験したりしても、なお向上心を持つのは難しいことであり、それができる人はすごい!」と考えていた。しかし、この本を読んで、心的外傷を負った者が、いわゆる自分には価値があると証明し続けなければならない症候群になり、それゆえに周囲との歯車の噛み合わなさを抱えながらも向上することを止められない状況に陥ることがあることを知った。
自分が何かを頑張ろうとしている時、この精神状態に陥っていないか、陥っていたとしても、その状況に自覚的であるかどうか確認すべきだ。また、心的外傷を抱えた友人や同僚が無理してでもさらなる高みを目指している時、もう困難(心的外傷)は克服したんだな、もう安心だなと安直に考えるのではなく、自分には価値があると証明し続けなければならない症候群になっていないか冷静に見るべきだと学んだ。症候群に罹っているからといって、向上心や努力をやめるべきという話ではない。あくまで、冷静に観察し、その状況が他者との不和を起こし易い状況であることを認識することが重要なのだ。
未来を向いている人が皆、過去に囚われていないとは限らない。
3. 翻訳は素晴らしいが、邦題が不満
翻訳も不自然な訳はなく、ぐんぐん吸い込まれ、読み進めたくなるような素晴らしい翻訳だった。
他方で、邦題が「アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝」となっているが、原題(英語)は「The Choice: Embrace the Possible(選択: 可能性を受け入れて)」である。
この本は、どんなに過酷な状況においても、自分の人生に責任を持ち選択し続けてきた女性、エディス・エヴァ・イーガー博士の自伝であり、彼女がこの本で伝えたいことは原題そのまま「可能性を信じて選び続けること、人間にはその力がある。私の半生こそがその証明だ。」ということだろう。
しかし、邦題の「アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝」からは、そのような含意が消えている。著者はアンネ・フランクと同年代(著者のエディスは1927年生まれ、アンネは1929年生まれ)であり同様にナチスのホロコーストに強制収容されたが、著者とアンネの間に交友はなく、言ってしまえば他人である。
商業的な理由なのか、著者やその代理人自身が翻訳に際しこの邦題でOKを出したのかなど、背景事情が不明であるため突っ込んだことは言えないが、この本に「「もう一人のアンネ・フランク」自伝」と題を付けるのは不適切な気がした。