見出し画像

【読書】アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝 by エディス・エヴァ・イーガー&エズメ・シュウォール・ウェイガンド


あらすじ

バレエに夢中で、ハンガリーのオリンピック・体操チームの強化メンバーだったユダヤ人の少女エディスは、1944年アウシュヴィッツに強制収容される。父と引き離され、母はその日のうちにガス室へ。姉とともに過酷な日々が始まった。メンゲレに呼ばれてバレエを舞い、間一髪でレイプを逃れる。手にした一塊のパンを仲間と分けあう。死んだ仲間を食べるのではなく草を食べることを選び、諦めて死ぬのではなく生きることを選び続けた。

第二次大戦終了後も、ユダヤ人差別は消えない。過酷な収容所生活で体重は32キロになり、背骨を骨折し、胸膜炎を患ったエディスは病院に。そこで出会った裕福な男性と結婚、娘が誕生するが、夫にはチェコスロヴァキアの共産党政府による弾圧が待っていた。

夫の投獄を前に迫られる、「どこへ逃げるか?」という人生の選択。紛争が絶えないイスラエルに行くか。未知の世界のアメリカに行くか。1949 年、22歳のエディスが選んだのは自由の国アメリカ。しかし、自由の国は移民への言葉の壁と経済格差が立ちはだかる「不自由な国」だった。

それでもエディスは選び続ける――絶望の中から可能性を。選択とは自由の証しなのだ。懸命に働いてアメリカに溶け込み、3人の子どもを育て、大学を卒業したときは41歳。ヴィクトール・フランクルとの出会いに力を得て、50歳で心理学博士に。アウシュヴィッツから生還した臨床心理士として、PTSDに苦しむべトナム戦争帰還兵から虐待を受けた子どもたちまで、多くの治療にあたる。90歳を超えた現在もなお現役で「絶望の中から可能性を選ぶ」ことを提案している。

本書はアウシュヴィッツ生存者による類まれなメモワールであると同時に、「今、できることを選び続けた」女性が綴る、困難を超えて力強く生きるためのメッセージである。

パンローリング株式会社Webサイト

1. 人間には、人生を選び取る力がある

著者であるエディスの人生は、生死を分ける選択の連続だった。丸裸にされ、生死を分ける列に並び続ける日々。収容所の生活は理不尽に満ちていた。

私なら牛の餌でも、干からびた茎でも食べる。眠っている部屋にネズミがちょこちょこ入ってくれば、少女たちは飛びつく。・・・飢えた者が死者の肉を食べるのを見ると、胃から苦いものがせり上がる。

本文

ナチス親衛隊の将校たちが少年を木に縛りつけ、その足、手、両腕、耳を撃った――罪のない子どもが射撃訓練に使われたのだ。また、どういうわけか即座に殺されることなく、アウシュヴィッツに入れられた妊婦がいた。陣痛が始まると、ナチス親衛隊はその両脚を縛りつけた。私は彼女ほど苦しむ人を見たことがない。

本文

このような過酷で壮絶な状況においても、エディスは善意とともに生きること、未来へ進むことを選択し続けた。例えばナチスの前で踊った褒美として与えられたパンを、次にいつ満足に食事が与えられるかわからない状況においても仲間に分け与えた。姉とは別の車両に乗せられそうになった場面では、咄嗟に命懸けのパフォーマンスを演じ、家族がばらばらになることを防いだ。

ボロボロの作業着を着て、化粧もせず、丸坊主にされた姉に対し、エディスが選択した言葉が胸に残っている。

「姉さんの目すごく美しいわ。髪に隠れていた時には気づかなかった。」

本文

何を見るのか、何に心を留めるのか、何を言葉として口に出すのか、人間には選択肢がある。選択とは自由の証であり、どのような状況にも、誰にも、奪い去ることはできないのだ。

2. 自分には価値があると証明し続けたい症候群

移民として家族と共にアメリカに渡ったエディスは、言葉の壁と経済格差、不安定な生活基盤という困難を直面しながらも、懸命に働き、なんとか3人の子供を育て上げる。その頃、大学に入学し、「夜と霧」の著者であるヴィクトール・フランクルとも出会い、自身の経験を活かし、困難に直面した人々を救うことを選択し、博士号をとり臨床心理士となる。

しかしその頃、家庭は順風満帆とはいかず、夫との言い争いが多くなる。

この時期(博士号を目指して勉強していた時)の自身の精神状態について、エディスは、心的外傷を受けた者特有の、自分は価値がある人間であるということを証明し続けなければならないと考えている状態だったと振り返っている。

私は臨床心理学をしっかり勉強したことがなかったので、この分析は目から鱗が落ちるようだった。というのも私は今まで、「向上心があるのは良いことである」「困難な状況にあったり、経験したりしても、なお向上心を持つのは難しいことであり、それができる人はすごい!」と考えていた。しかし、この本を読んで、心的外傷を負った者が、いわゆる自分には価値があると証明し続けなければならない症候群になり、それゆえに周囲との歯車の噛み合わなさを抱えながらも向上することを止められない状況に陥ることがあることを知った。

自分が何かを頑張ろうとしている時、この精神状態に陥っていないか、陥っていたとしても、その状況に自覚的であるかどうか確認すべきだ。また、心的外傷を抱えた友人や同僚が無理してでもさらなる高みを目指している時、もう困難(心的外傷)は克服したんだな、もう安心だなと安直に考えるのではなく、自分には価値があると証明し続けなければならない症候群になっていないか冷静に見るべきだと学んだ。症候群に罹っているからといって、向上心や努力をやめるべきという話ではない。あくまで、冷静に観察し、その状況が他者との不和を起こし易い状況であることを認識することが重要なのだ。

未来を向いている人が皆、過去に囚われていないとは限らない。

3. 翻訳は素晴らしいが、邦題が不満

翻訳も不自然な訳はなく、ぐんぐん吸い込まれ、読み進めたくなるような素晴らしい翻訳だった。

他方で、邦題が「アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝」となっているが、原題(英語)は「The Choice: Embrace the Possible(選択: 可能性を受け入れて)」である。

この本は、どんなに過酷な状況においても、自分の人生に責任を持ち選択し続けてきた女性、エディス・エヴァ・イーガー博士の自伝であり、彼女がこの本で伝えたいことは原題そのまま「可能性を信じて選び続けること、人間にはその力がある。私の半生こそがその証明だ。」ということだろう。

しかし、邦題の「アウシュヴィッツを生きのびた「もう一人のアンネ・フランク」自伝」からは、そのような含意が消えている。著者はアンネ・フランクと同年代(著者のエディスは1927年生まれ、アンネは1929年生まれ)であり同様にナチスのホロコーストに強制収容されたが、著者とアンネの間に交友はなく、言ってしまえば他人である。

商業的な理由なのか、著者やその代理人自身が翻訳に際しこの邦題でOKを出したのかなど、背景事情が不明であるため突っ込んだことは言えないが、この本に「「もう一人のアンネ・フランク」自伝」と題を付けるのは不適切な気がした。


この記事が参加している募集