読書感想文 | 夜と霧①
重たいテーマだったけど、思っていたより後味悪くなくて正直拍子抜けした。 むしろ、人によってはこの本は救いになってるだろうなという印象。
予備知識0に近い状態で読んだから、最初は収容所の恐ろしさや悲惨さについて書かれた歴史書であると思ってた。
けど、それだけじゃなくて、 本質的でないもの以外は全て苦痛に焼き尽くされた結果、見えてきた『人間の精神の自由』が描かれていて興味深かった。
少し長くなりそうなので、2回に分けて投稿します。
1.我々は人生に試されている
とても、胸に残る言葉が多いけれど 私は割と斜めに見てしまう人間なので、 「残った者だから言えることでは?」 「通常の人はその考えに行き着く前に、本質丸ごと抜け落ちて、最後はもう抜け殻にしかならないのでは?」とか。 何か意味を持たせることって、悪く言えば承認欲求を満たすことでもあると思うから、 この試練がこの苦悩が財産になるとか、未来で待ってる人への責任だとか、きっと何でもいいから自分を認めてくれる仮想的な存在がないと、最後の最後は踏ん張れないんだなと思って、人間はやっぱり弱くて愚かで、でもだからこそ美しいのかもしれないと感じた。
ただ、これを安易に人に勧めていいものかっていう疑問もある。
メンタルが弱ってる人にとっては、もちろん薬にもなりそうだけど、この本を正面から受け止められない人にとっては毒にもなるかもしれない。
「苦悩が財産になる」はつらい状況にある当人が思うことであって、私はこれ読んで救われたから君も!みたいな感じで他人が強要することではないなって感じた。
現に私もこの本の些細な部分に感銘を受けるが、どうしても思ってしまう。
「ほとんどの人がそこに至るまでの苦しみに耐えらないのではないか?」と。
自分が経験し得ない物に対する増幅された恐怖があるのかも知れない、
意外と当事者になれば、おきていることの全体像が掴めず、
目の前の悲惨な状況から目を背けられるだけの心の防御装置が作動するかもしれない。
でも、やっぱり私だったら自らガス室行きを選ぶと思う。
今の時代に起き得る災難だと確かにフランクルの考えで前向きにいれそうだけど、もし自分が当時のユダヤの人のような迫害を受けたら、そんなに奮い立たせてまで頑張れないと思う。
ガス室が地獄みたいな感じだけど、生の苦痛を味わうよりも死ぬ事で楽になれるならとガス室を天国への入り口にすら思えてしまいそう。
命の選別の時に、知らないうちに選別されて、知らないうちに死ねるのならそっちがいい。
ということを、これを読んで色んな人の考察や感想、解説を読んでも尚、思ってしまう。
無論、彼の思想の境地にいける人に対してのリスペクトや畏敬の念はあるが、どうしてそんなに前を向けるのか、どうして未来に希望を見いだそうとできるのか、その考え方を知れば知るほど、自分にはできないと嘆き、落胆してしまいそう。
それが、フランクルにそんな意図がないと分かっているにしても。
でも、本書が生き方のヒントであることは間違いない。
2.人生からの問いかけすなわち運命とは、決して漠然としたものではなく常に具体的な状況となって私たちの目の前に現れる
自分の人生に意義を見出せずに苦しいという時は、その考えをくるりと反転させて人間の方が逆に人生から問われている存在であると思考を切り替える。
この思考の切り替えは、私が昔から意識して行っていることとよく似ていたし、正直全く新しい考え方では自分の中でなかった。核とする部分がフランクル思想と似ていることに個人的に驚きと喜びも感じた。
苦しみにも運命を見出せという力強い言葉からも、うかがえるが、彼の人生というものに対して『絶対に肯定する』という揺るぎないスタンスは、自分が成長するにあたり大事に育てて培ってきた部分に近く、共感せざる負えない。
人間は誰しも生きていれば病気になるし、事故にもあう、また自分の能力や才能と向き合って絶望したりする瞬間が来るもの。
でも、人は誰かのためならその苦悩を喜んで乗り越えられる生き物でもあるし、苦悩から逃げずに生き抜いた時、それはその人の人生を豊かにする財産になる。
どんな状況であってもどういう態度をとるかは誰にも奪えない人間の最後の自由。
ここにもフランクル思想の真髄が感じられて、感嘆とともに何度だって私の陳腐な共感が顔を出す。
3.いつかこの思想が、私の薬ではなく過剰摂取によって毒にもなり得る気がして怖い
しかし、そんな共感と共に、最初に述べたような斜めに構える自分も顔をみせる。
本当に本書を読む前から私が思っていたことに核の部分は似てる気がして、黙ってただこの思想に飛びつきたいけど、なぜだろう。盲目にそれを信じて、でもそこまで頑張れなかったら?という想いに苛まれ、私は予防線を張ってしまう。
いつかこの思想が、私の薬ではなく過剰摂取によって毒にもなり得る気がして怖い。
こうやって気持ちを素直に吐露できるくらいには素直になったけど、
どれだけ自分に近い思想に出会っても、まさにその通りだと全てを真っ直ぐに受け止められない自分の傲慢さに何度だって向き合わざる負えない。
でも見方を変えると、未来を見る問いはいつだって、可能性が無限すぎて、1つの思想に啓蒙できないのかも知れない。
読書感想文②(読んで感じたことの派生編)へと続く