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雑記1178「いつかわかるのかもね」

昨日書いた幸福論チックな記事の補足…ってわけでもないんだけど、いま流行りの(極局所的に)ヴィクトール・フランクルがNHKの「こころの時代」で言ってたことをメモった紙があるんでちょっと書いとく。


むむむ。メモ帳大のルーズリーフ(グルグル無し)に書き殴ったもんだから読みにくいな。これはいずれ清書せねばの。それにしてもワシはどこへ向かっておるんじゃろか。

アウシュビッツから生還した彼は精神科医を続け、各国で講演活動にも励んでいた。放送時の講演内容はホロコーストとは関係ないけど、興味深いものだった。

戦後になって、来院する者たちの愁訴に変化が見られるようになったというのだ。
特に目立ったのは、若者たちが人生の意味を喪失している、という傾向だった。いまや人々は、何をしたいのかさえわからなくなっているのか、とフランクルは感じたという。
(1972年時の講演内容。いまにはじまった虚無感じゃないんだねぇ)

そして彼はこんなデータを示した。
講演で各国を回った際、「あなたは人生が無意味なものに感じるか」という問いを学生たちにぶつけてみた。
ドイツ・スイス・オーストリアの学生の25%(三国の平均だろうか)がその問いにYESと答えた。アメリカの学生では60%にものぼった。

昨日の記事で「幸福の反対は利便」の持論をぶったけど、あながち遠からずといったとこじゃないか。当時平均的な国民の生活が豊かだったのは明らかにアメリカだった。

フランクルは続ける。
「意味が見いだせないことに絶望していたとしても、なんら恥じることはない」
と。そして、
「生きることの意味を問うのは人間の特権であり、やがて意味が開示されるまで忍耐強く待てばいいだけなのだ」
と。

よーーーぅ言うてくれた。
したり顔で「人生に意味なんかないですよ」なんていう、情報量だけ詰め込むのが得意なヤツがホントに嫌いなもんだから、ヒザ叩きすぎたわ。よーーーーーぉ言うてくださった。

彼の提唱するロゴセラピーの根幹となる姿勢のひとつに「意味への意志」という言葉がある。もうまさに説明不要のそのままの言葉だ。
その意志が薄ければ、上のようなインスタントな(しかもあってるかもわからない)答えを平気で出したがる人間が生まれる。

ホントはそんなことはどうでもいいのだ。
およそ解けもしない、自分の魂が選んだ難攻不落な問いを、ひとつでも持ち続けるかどうかのほうがよほどだいじだ。
二択で言えば「答えが出た・出ない」にしか分かれない…分かれられない問いでも、本人の中では、今日は99.9996%まで真髄に迫った、明日は99.9997%までたどり着いた、ということがだいじなんであって…っていうかその数値も誰も測りようがないんだけど、だから皆、人のやりようをうかがっちゃうんだろうな。
求道癖がない者に、パフォーマンスしか見ない者に、そんな問いは不要だろうからね。その問いを持ってないヤツってのは簡単にわかるんだけどな。

で、フランクルさんはオレとは違って優しいから、「意味への意志は、実はどんな人間でもある」って言って切り捨てないんだよね。
まぁでも、そりゃーあるはずなんだよな、よく考えたら。そこのところを自分でももはやわからないほどに自分を騙すから、だいたいあーゆー人たちは顔が歪んでくる。子供の時には彼らにもあった魂が、本当は違う余裕こいた顔を貼りつける時にイヤがるんだろね。だからなんだかヘンな顔になる。


あー、ごめんなさいフランクルさん。
またオレは人の悪口に本腰入りはじめてるわ。
オレもこんな時はヘンな顔してんのかもねー。





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仲大輔
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