読書録1 夜と霧

読んだ時期:20の11月、就活と研究で忙しい
お勧めしてくれた人:女性

本を読んでいる時に結びつけたこと:
関心領域(映画)、アンネフランクの偉人伝漫画。


しばらくこの本を超えてくる本に会うことはできないだろうと思いました。

ユダヤ人の心理学者が、収容所の中での人間を学者的な観点から見たのをまとめた話。

内容はとても暗いけど、読後はなぜか前向きになれます。

私は、自由という言葉が好きです。

戦わずに不自由になるくらいなら、自由を得るために戦いたい。

自由を得るために知識やスキルをつけたい。

自分主体で何かを得ていくことが自由であると考えていましたし、自分の人生を自分で切り開くことこそ生きる意味だと思っていました。

それと同時に、自分の人生を切り拓いていく力がなくなることへの焦りもありました。自由が安定して得られるものではないことも知っているし、こちらが「努力」や「抗議」をせずあぐらをかいているとそれにつけこんで自由が奪われることもわかっていました。

『夜と霧』は、全てを奪われても、奪われた中で自分がどう生きるかが「自由」だと教えてくれました。

何かを得ていくことが自由だと思っていた私にとって、「失ったなかでどう生きるか」を自由とするこの本は、中々に衝撃的でした。たとえ地獄だったとしても、地獄の中で自分がどう生きるかという最後の「自由」はある。そしてそれは生きている限り、奪われることがない。


「自分の人生の主役は自分」

こういうマインドは近頃の「ブーム」。
ただ言葉だけが一人歩きしている気がします。
先ほど述べたみたいに、自分から何かを得ていく、あるいは自分の人生をデザインしていくというメッセージ性が強い。

でもこの本は読者に伝えます。

「地獄でも自分の人生の主役は自分」

自分が設計した人生じゃなくなったからといって、そこで「自分がどう生きるか」という自由まで奪われるわけではない。主役が交代するわけではない。

裏を返せば「自分がどう生きるか」という問いから、生きている限りは逃れることはできない。

それをどう捉えて、どういう人間になるかはあなた次第ですよ、と言われている気がしました。

最後に、倫理の教科書に載るくらい有名で、本の中で出会うと静かな感動がある言葉を引用します。


人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ

夜と霧

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