なぜ生まれたのか、生きる意味とは何か
縁あって2024年秋から、望月勇さんが主宰している「望月流プラーナ・ヨーガ気功」のヨガレッスンに通うようになりました。通常のクラスでは、ヨガ、呼吸、気功などをミックスしたレッスンが行われます。
レッスン中に、ヨガの効果にとどまらず、人生に対する考え方、ご自身の体験談などについて、有用な話をしてくださいます。ただ、書き留める術がなく、私の記憶力では、それが右の耳から入って、左の耳へと通り抜けてしまっている状態です。
2024年7月に投稿されたエッセイ「生きて死んで、そして魂のゆくえ」に触れることで、望月さんが日ごろレッスン中に話されていることを、少しでも理解するきっかけにしたいと考えました。
第1回では、望月さんが「なぜ生まれたのか、生きる意味とは何か」を小さい頃から考えてきたという話でした。宇宙の中でけし粒のような地球に存在する理由について、そして月面着陸を果たした宇宙飛行士の体験に言及したものでした。
このことに関しては、エッセイの後半で考察が展開していきます。
さて、第2回は「なぜ生まれたのか、生きる意味とは何か」という問いに対して、ナチスの強制収容所生活を奇跡的に生き延びた精神科医ヴィィクトール・フランクルの話を触れています。
絶望の淵で思い至った人生観。人生になぜ生きるのかを問うのではなく、人生が自分にどう生きるのかを問いかけているのだと、ということ。
それを望月さんが死に瀕したがん患者と交わした、生きることについての対話が綴られています。
人生が自分にどう生きるのかを問いかけているのだ
望月 勇さんのエッセイ
「生きて死んで、そして魂のゆくえ」より その2
死を宣告された患者からのメール「もっと生きたい…」
ヴィクトール・フランクルの言葉に託して
死を考えると怖くなってきました
*エッセイ内の記述や構成は、神田の判断で適宜編集をしています。
*望月さんは「ヨーガ」という言い方をされますが、望月さんが記述されている箇所以外では、一般的になっている「ヨガ」で記述します。
【注1】ヴィクトール・フランクル
オーストラリアの精神科医。心理学者、ホロコースト生還者。
ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、1938年ドイツによるオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。
1941年に結婚したが、9か月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。フランクルは1944年にアウシュビッツ収容所に送られたが、その3日後にテュルクハイム収容所に移送され、1945年4月に解放された。
この強制収容所での体験をもとに執筆した著作『夜と霧』が、戦後世界的ベストセラーとなった。日本では1956年にとして出版された。
戦後、フランクルは「人生どんなに苦しい状況に陥っても、生きることには意味がある」と説き続けた。
また、患者自ら生きる意味を見出すことを手助けすることで、心の病を癒す心理療法「ロゴセラピー」を提唱したことで知られている。
【注2】『バガヴァッド・ギーター』
700行 の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつ。ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第6巻にその一部として収められており、単純に「ギーター」と省略されることもある。ギーターとはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァンの詩、「神の詩」と訳すことができる。
望月さんのエッセイは、文明論や量子論など、さまざまな分野に及んでいて、私には知識では理解できないことも多いため、今後はエッセイのみを紹介となってしまうこともあるかと思います、ご了承ください。
望月 勇(もちづき いさむ)さん
ロンドン在住。日本では東京をはじめ各地でヨーガ教室を主宰している。
プロフィール
望月さんの体験や考え方を詳しく知りたい方は、それらの著書をご覧ください。望月 勇さんの書籍
望月勇さんのエッセイから考える1