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人生どんなに苦しい状況に陥っても、生きることには意味がある―望月 勇さんのエッセイから考える2

なぜ生まれたのか、生きる意味とは何か

 縁あって2024年秋から、望月勇さんが主宰している「望月流プラーナ・ヨーガ気功」のヨガレッスンに通うようになりました。通常のクラスでは、ヨガ、呼吸、気功などをミックスしたレッスンが行われます。 
 レッスン中に、ヨガの効果にとどまらず、人生に対する考え方、ご自身の体験談などについて、有用な話をしてくださいます。ただ、書き留める術がなく、私の記憶力では、それが右の耳から入って、左の耳へと通り抜けてしまっている状態です。

 2024年7月に投稿されたエッセイ「生きて死んで、そして魂のゆくえ」に触れることで、望月さんが日ごろレッスン中に話されていることを、少しでも理解するきっかけにしたいと考えました。

 第1回では、望月さんが「なぜ生まれたのか、生きる意味とは何か」を小さい頃から考えてきたという話でした。宇宙の中でけし粒のような地球に存在する理由について、そして月面着陸を果たした宇宙飛行士の体験に言及したものでした。
このことに関しては、エッセイの後半で考察が展開していきます。

 さて、第2回は「なぜ生まれたのか、生きる意味とは何か」という問いに対して、ナチスの強制収容所生活を奇跡的に生き延びた精神科医ヴィィクトール・フランクルの話を触れています。
 絶望の淵で思い至った人生観。人生になぜ生きるのかを問うのではなく、人生が自分にどう生きるのかを問いかけているのだと、ということ。
 それを望月さんが死に瀕したがん患者と交わした、生きることについての対話が綴られています。

人生が自分にどう生きるのかを問いかけているのだ

望月 勇さんのエッセイ
「生きて死んで、そして魂のゆくえ」より その2

 以前、精神科医ヴィィクトール・フランクルの著書『夜と霧』を読んで、魂が震えるほどの感動を覚えたのは、知識と理論でつくられた精神分析ではなく、筆舌に尽くしがたい、死ぬか生きるかの瀬戸際を、実際に体感してつくられた精神分析だからでした。
 私はフランクルから「なぜ人間として生まれ、なぜ自分は生きるのか」と問い続けてきた自分を振り返り、このような問題を人生に問いかけても答えはない、ということに気づきました。
 
彼は、ナチスの強制収容所で、周囲の人々がどんどん死んでいく恐怖と苦痛のさなか、なぜ生きるのかを考えました。その絶望の淵で、生きることは、苦しむことも死ぬことも含めたすべてであって、この苦しみに満ちた運命とともに、全宇宙にたった一度、そして二つとないあり方で自分は存在していると意識したとき、彼には、人生には生きる意味がある、と思えたのでした。
 そして、人生になぜ生きるのかを問うのではなく、人生が自分にどう生きるのかを問いかけているのだと、発想を大きく転換させたのでした。
 そのように発想を転換すれば、答えはあるのです。
その問いかけに対して、責任を持って答えを出し、一日一日を大切に生きることができれば、それが今を生きる意味になるのです。


ヴィクトール・フランクル(1905年~ 1997年)

死を宣告された患者からのメール「もっと生きたい…」

 私は今まで何人もの重篤な患者さんに、気功で施術をしてあげた経験がありました。奇跡的によくなった人たちもいましたが、一方、どうしても回復に至らなかった人たちもいました。

 これは(回復に至らなかった)ある患者さんの話です。
当時40代だった男性が悪性リンパ腫になり、全身に癌が転移していて、医師から手の施しようがない、と死を宣告されました。その男性から「いま死を待つばかりですが、もっと生きたい、そして悔いのない生活を送りたい」という内容のメールが届きました。
 彼は、一縷の望みを抱いて、私に遠隔で気功施術をお願いしてきたのです。私は直観で、回復は望めないけれども、心を穏やかに導いてあげることならできると思い、遠隔で気を送ることを了承しました。

ヴィクトール・フランクルの言葉に託して

 最初は彼から「なぜ自分だけが、こんなに苦しい思いをしなければならないのかという、自分に対しての怒りと自責が出てきて、情けないです」というようなメールが、次から次へやってきました。
 私は、彼が必要以上に自己を責め続けていて、苦しんでいることを理解しました。
 私はフランクルの言葉を思い出しました。悪くなった原因を心に探し求め続けると、過剰に自己を観察することになり、苦しむだけであること。
その苦しみから抜け出るには、眼差しを外に向けること。外に向けるとは、誰かの為に、何かの為にすることなどでした。
 そして彼に、今に心をおいて「なぜこんな苦しい思いをしなければならないのか?」と人生に問いかけるのではなく、「このような苦しみの中で、あなたはどう生きるのか?」と、人生が問いかけていると思って考えてみてください。その答えが、あなたの生きる意味になります。どうか眼差しを外に向けてください、と返信しました。
 数日して彼は、「考えてみました。自分なりに答えがでました。いま私にできることは、私のところに来る人に、笑顔を見せることです。身体が動かなくても、笑顔ならできます。すると、看護師さんや、お医者さんや、掃除のおばさんたちにも笑顔が生まれます。私には何もできないけれども、笑顔ならつくれることが分かりました」と連絡がきました。
 その後、彼は久しぶりに、身心ともに楽になった様子を伝えてきました。
 自分が悲しんでいれば、相手も悲しい顔になります。
心を外に向けて笑顔を見せれば、相手も自然に笑顔が生まれるのです。
私たちは些細なことでも、人のために良いことをしたという実感が、心の中に自然に湧き上がってきて、気分が高揚し、自分が生きている意味をも感じられるようになるのです。

死を考えると怖くなってきました

 それからしばらくして、「最近、死を考えると怖くなってきました」とメールが届きました。

 彼が死を怖がる気持ちはよく分かっていましたが、死んだ後のことまでは分かりませんので、私は以下のように返信しました。
「死を恐れることはありません。他人の死はありますが、自分にとっての死はないのです。自分が死んだと思うことはできないからです。ですから、心を明るく持って、生きるところまで生きるのです。
 確実なことは、命には短いか長いかの差はありますが、誰でも皆死ぬのですから、100%例外はありません。私も死にます。
 インドの聖典『バガヴァッド・ギータ―』では、死を次のように述べています。
『人が古い衣服を捨て、新しい衣服を着るように、主体は古い身体を捨て、他の新しい身体に行く』」

 
これが私からの最後のメールになりました。
 その後、彼との交信は途絶えました。


*エッセイ内の記述や構成は、神田の判断で適宜編集をしています。
*望月さんは「ヨーガ」という言い方をされますが、望月さんが記述されている箇所以外では、一般的になっている「ヨガ」で記述します。


【注1】ヴィクトール・フランクル
 オーストラリアの精神科医。心理学者、ホロコースト生還者。

 ウィーンの精神病院で女性の自殺患者部門の責任者を務めていたが、1938年ドイツによるオーストリア併合で、ユダヤ人がドイツ人を治療することが禁じられ、任を解かれた。
 1941年に結婚したが、9か月後に家族と共に強制収容所のテレージエンシュタットに収容され、父はここで死亡し、母と妻は別の収容所に移されて死亡した。フランクルは1944年にアウシュビッツ収容所に送られたが、その3日後にテュルクハイム収容所に移送され、1945年4月に解放された。

 この強制収容所での体験をもとに執筆した著作『夜と霧』が、戦後世界的ベストセラーとなった。日本では1956年にとして出版された。

 戦後、フランクルは「人生どんなに苦しい状況に陥っても、生きることには意味がある」と説き続けた。
また、患者自ら生きる意味を見出すことを手助けすることで、心の病を癒す心理療法「ロゴセラピー」を提唱したことで知られている。


【注2】『バガヴァッド・ギーター』
700行 の韻文詩からなるヒンドゥー教の聖典のひとつ。ヒンドゥーの叙事詩『マハーバーラタ』第6巻にその一部として収められており、単純に「ギーター」と省略されることもある。ギーターとはサンスクリットで詩を意味し、バガヴァンの詩、「神の詩」と訳すことができる。


 望月さんのエッセイは、文明論や量子論など、さまざまな分野に及んでいて、私には知識では理解できないことも多いため、今後はエッセイのみを紹介となってしまうこともあるかと思います、ご了承ください。


望月 勇(もちづき いさむ)さん
ロンドン在住。日本では東京をはじめ各地でヨーガ教室を主宰している。
プロフィール

 望月さんの体験や考え方を詳しく知りたい方は、それらの著書をご覧ください。望月 勇さんの書籍

望月勇さんのエッセイから考える1




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