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【書籍】『致知』2025年1月号(特集「万事修養」)読後感

致知2025年1月号(特集「万事修養」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。

 今回のテーマは「万事修養」です。すべての事柄において自己を修養し、成長させることの重要性を示しています。これは、日々の生活や仕事、人間関係においても常に学び、成長し続ける姿勢を持つことが大切であるといううことです。

 例えば、以下のことが考えられるでしょう。
自己反省:自分の行動や考えを振り返り、改善点を見つけること。
学び続ける姿勢:新しい知識やスキルを常に学び、成長を目指すこと。
他者との関係:他人とのコミュニケーションや協力を通じて、社会性を高めること。
心の成長:精神的な成長や感情のコントロールを意識すること。

 日々万事修養を実践することで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。具体的に内容を見ていきたいと思います。


巻頭:新年を迎えるに思うこと 後藤俊彦さん(高千穂神社宮司)p2

 令和7年を迎えるにあたり、まず冒頭では、令和6年の年明け早々に発生した能登半島地震が触れられ、災害が多発する時代においての社会的課題を示しています。また、8月中旬には「令和の米騒動」とも形容されるような米の供給不足が報じられ、多くの国民に不安を与えたことが記されています。幸いにも、農林水産省の収穫量に関する発表により事態は沈静化したものの、日本の食料自給率が実質18%と、先進国の中でも非常に低い水準にあることが専門家によって指摘されています。この事実は、長年にわたる一次産業の衰退と、農業人口の減少に端を発する深刻な問題として取り上げています。

 さらに、日本が「豊葦原瑞穂国」とも呼ばれ、稲作が古代から日本文化の形成に重要な役割を果たしてきた点が取り上げられています。稲作は単なる農業活動に留まらず、国家や社会の平和と繁栄の礎としての役割を果たしてきました。新嘗祭において天皇自らが収穫した新穀を奉献する神事が紹介され、日本における稲作の神聖な位置づけが示されています。このように、農業は日本の歴史や精神文化と深く結びついており、再評価する必要性が強調されています。

 歴史的背景として、稲作の起源が神話時代まで遡ることも述べられています。『日本書紀』の記述では、天照大神が保食神から米や穀物を授かり、それを基に稲作が全国に広められたとされています。この神話に基づき、稲作は自然との共生や共同体形成を促す営みとして、日本人の暮らしと価値観に根付いてきたと解釈されています。この中で、神社が地域社会の中心として公的な役割を担い、相互扶助の精神が醸成されてきた歴史も示されています。

 一方、武士道の概念が取り上げられ、それが日本文化の中でどのように形成され、発展してきたかが解説されています。武士道の精神には、自己尊敬、自己犠牲、自己責任、そして「側隠(そくいん)」という独特の美徳が含まれています。これらの要素は、個人や組織の規律、道徳観に影響を与え、日本社会の倫理的基盤を形成してきました。
 さらに、西洋の騎士道との比較が行われ、両者の共通点や文化的背景の違いが議論されています。騎士道は特に女性や弱者を守ることを美徳とした精神であり、これが西洋の社会的風土や宗教観と結びついていたことが示唆されています。

 後半では、昭和20年の敗戦以降、日本が道義国家としての本来の在り方を失いつつあることへの憂慮が表明されています。昭和45年に自決した三島由紀夫氏の言葉を引用し、日本がその精神的基盤を失い、ただの経済大国として存在する危険性が指摘されています。
 しかし、その一方で、日本の文化や古典思想が依然として生き続けており、未来への希望を持つべきだと述べられています。具体的には、過去の神話や文化的価値観を通じて、現代においても日本が再びその精神性を取り戻せる可能性が示唆されています。

 最後に、私たちが現実の困難に直面しても、未来への信念と希望を持ち続けることの重要性を訴えています。過去には天の岩戸が開かれ、絶望の中から光を見いだした時代があったように、私たちも新しい時代へと一歩踏み出すべきだと呼びかけています。日本の精神的、文化的な特質が未来の社会を築く基盤となることを信じ、改めてその価値を見直すことが求められているのです。

リード:藤尾秀昭さん 特集「万事修養」p7

 今月号のテーマである「修養」を中心に、困難や試練をどのように受け止め、それを自らの成長や人生の糧とするべきかについて掘り下げています。私たちが人生で直面する様々な問題や課題に対処する際、重要な指針を提供しています。特に、困難や挫折をどのように解釈し、それをポジティブな形で活用していくかについて、多くの示唆に富んだ内容が含まれています。

 まず、人生で遭遇する困難や試練をどのように受け止めるかが重要であるとされています。困難や挫折はただの不幸や災難として片付けるのではなく、それを「愛の変形」として理解することが求められます。困難は神や運命が私たちにさらなる成長を期待して与えるものであるという視点が強調されています。この考え方に基づくと、困難を災難として受け入れるのではなく、自分を試す試練として捉えることができます。そして、そのような前向きな心構えで取り組むことで、人生の新たな道が必ず開けるという希望が語られています。

 次に、成功を収めた人物たちの具体的な例が紹介されています。例えば、京セラ創業者の稲盛和夫氏や松下電器の創業者である松下幸之助氏が挙げられています。彼らは、人生の前半において幾度となく困難や失敗を経験しましたが、それらを乗り越える過程で多くの学びを得ています。稲盛氏の言葉には、「困難は神からの愛であり、試練を修養として受け止めることが重要である」といったものがあります。このような視点は、私たちが困難に直面した際に、それをいかにして乗り越えるかだけでなく、そこから何を学び取るかに重点を置くべきだというメッセージを伝えています。松下幸之助氏についても同様で、厳しい環境においても斜に構えたり自堕落になったりせず、むしろそれを糧として自己を磨き続けたことで成功を収めた事例が紹介されています。

 そして、「修養」の重要性についても詳細に触れられています。この資料では、「修養」とは、人生のあらゆる経験を自分自身の成長の糧とすることを意味するとされています。人生には辛いことや苦しいことがつきものですが、それらを単なる不運として受け流すのではなく、むしろ自己成長の機会と捉え、それを糧にすることが推奨されています。困難や挫折を経験した際、それをどう受け止めるかが人としての深みを育む上で重要だと強調されています。このような考え方は、単に困難を乗り越えるだけでなく、困難を活用して自分自身を高める方法を教えてくれます。

 さらに、人生の教訓として学ぶべき具体的な言葉も数多く引用されています。その中には「辛酸をなめる経験が魂を磨く」といったものや、「挫折は人生を豊かにするための修養である」といったものがあります。これらの言葉は、挫折や失敗が持つ本質的な価値を再認識させてくれます。人生で困難に直面する際に、それをただの試練として受け入れるだけでなく、それをきっかけに自己を変革し、より良い方向へと進むためのエネルギーに変えることが重要であると説かれています。

 最後に、すべての出来事を「修養」の観点から捉える心構えが説かれています。人生におけるさまざまな局面、良いことも悪いこともすべて、自分を成長させるために必要な要素であると考えることで、日々の生活がより充実したものになります。このような考え方は、特にリーダーシップを発揮する立場や、人材育成を担う役割において非常に有益です。困難を乗り越えた先にある成功や成長を目指して、私たちは日々の経験を糧にしていくべきであるという力強いメッセージが伝わります。

何が人を大成に導くのか 池森賢二さん(ファンケル名誉相談役・ファウンダー)、鳥羽博道さん(ドトールコーヒー名誉会長・創業者)p8

 池森氏と鳥羽氏による対談は、戦後日本の経済成長を体現してきた二人の経営者による、経営哲学と人生観についての深い対話となっています。両氏は共に昭和12年生まれの87歳という同い年で、戦後の混乱期から高度経済成長期を経て、現代に至るまで、日本のビジネス界で重要な足跡を残してきました。特筆すべきは、両氏とも全くの無一文から事業を興し、それぞれの分野で日本を代表する企業へと成長させた点です。

 池森氏のファンケル創業の物語は、42歳という比較的遅いスタートながら、革新的なビジネスモデルによって業界に新風を吹き込んだ事例として注目に値します。創業のきっかけは妻の肌荒れという身近な問題でした。当時、化粧品業界では「防腐剤等の添加物は必要不可欠」という常識が支配的でしたが、池森氏はこの常識に疑問を投げかけ、画期的な無添加化粧品の開発に着手しました。「常識の壁を破れ」という信念のもと、従来の化粧品とは全く異なるアプローチで製品開発を進めていきました。
 特に革新的だったのは、小さな容器に密封して消毒し、開封後1週間以内に使い切る製品形態を考案したことです。これは、防腐剤不使用という課題を、容器や使用方法の工夫によって解決した画期的なソリューションでした。創業期には反社会的勢力からの嫌がらせや脅迫など、数々の困難に直面しましたが、正義を貫く強い意志と卓越した問題解決能力で、これらの障害を乗り越えていきました。

 一方、鳥羽氏の経営者としての歩みは、20歳という若さで単身ブラジルに渡り、コーヒー農園で3年間の武者修行を経験するところから始まります。この経験は、後のドトールコーヒー創業に大きな影響を与えることとなります。1980年、原宿に第1号店となるドトールコーヒーショップを開店しますが、そこには従来の日本の喫茶店とは全く異なるビジネスモデルが採用されていました。
 フランスで目にした立ち飲みスタイルを日本に導入し、「誰もが気軽に立ち寄れる」をコンセプトに、高品質なコーヒーを手頃な価格で提供するという革新的なアプローチを実現しました。当時の喫茶店は高級感や芸術性を重視する傾向がありましたが、鳥羽氏は「一杯のコーヒーを通じてお客様に安らぎと活力を提供する」という明確な使命を掲げ、よりデモクラティックな喫茶文化の創造を目指しました。「勝つか死ぬか」という強い決意で事業に取り組み、創業から10年という短期間で200店舗以上を展開するまでに成長させ、日本のコーヒー文化に革命的な変化をもたらしました。

 両氏に共通する特徴的な経営哲学は、単なる利益追求や事業規模の拡大ではなく、社会や顧客への貢献を第一義に考える姿勢です。池森氏は「世の中の"不"を解決する」という理念を掲げ、化粧品を通じて人々の美と健康に貢献することを目指しました。同様に鳥羽氏も、「一杯のコーヒーを通じてお客様に安らぎと活力を提供する」ことを企業使命として掲げ、より多くの人々が質の高いコーヒーを楽しめる環境づくりに注力しました。また、両氏に共通するのは、どんな困難に直面しても諦めない強靭な精神力、常に新しいアイデアを考え実行する旺盛な積極性、そして成功を収めた後も決して慢心することなく、謙虚さを保ち続けた人間性です。

 両氏は、真のリーダーに必要不可欠な条件として、正義感、責任感、積極果敢、自己峻厳、謙虚さという5つの要素を挙げています。特に注目すべきは、謙虚さに対する両氏の強い信念です。どんなに優れた能力や実績を持つ人材であっても、これらの要素のうちどれか一つでも欠けるものがあれば、リーダーとしての資質に重大な問題があると指摘しています。この考えは、単なる能力主義や業績至上主義を超えた、より本質的なリーダーシップの在り方を示唆しています。

 また、両氏は困難や失敗を、単なる障害としてではなく、成長のための貴重な機会として捉える視点を持っています。池森氏は創業期の資金難や嫌がらせなどの困難を、より革新的なビジネスモデルを生み出すきっかけとして活用し、鳥羽氏も若き日のブラジルでの苦労を、後の経営における重要な学びとして位置づけています。

 このように、この対談は単なる成功物語や経営手法の解説を超えて、日本を代表する経営者たちの深い洞察と哲学、そして人としての在り方を示しています。彼らの経験と知恵は、グローバル化やデジタル化が進む現代においても、ビジネスの本質的な価値や、リーダーとして必要な資質について、重要な示唆を与え続けているといえるでしょう。
 両氏の歩みは、経済的な成功だけでなく、社会への貢献と人間としての成長を追求する経営の在り方を体現する、優れたモデルケースとして、後世に継承されるべき価値を持っています。

 両氏の対談から、人事の観点で重要な示唆を抽出すると、以下のようなポイントが浮かび上がります。

 第一に、両氏は「リーダーの資質」として、正義感、責任感、積極果敢、自己峻厳、謙虚さを挙げています。これは人材育成や管理職登用の評価基準として活用できる要素です。特に、能力や実績だけでなく、人間性を重視する視点は、持続可能な組織づくりにおいて重要です。

 第二に、両氏は朝礼や全社的なコミュニケーションを重視していました。特に鳥羽氏は、全店舗を電話回線で繋いで朝礼を実施し、経営理念や方針を全従業員と共有していました。これは組織の一体感醸成と価値観の浸透において示唆的です。

 第三に、両氏とも「無我夢中」で仕事に取り組む姿勢を重視しており、この要素は採用や評価における重要な判断基準となり得ます。単なるスキルや経験ではなく、仕事に対する姿勢や情熱を重視する考え方は、現代の人材マネジメントにも応用できます。

万事は勝利のためにある 藤波俊一さん(日本体育大学レスリング部コーチ)藤波朱理さん(パリ2024オリンピックレスリング女子53kg級金メダリスト)p21

 2024年パリオリンピックのレスリング競技で、日本に感動的な金メダルをもたらした藤波朱理選手と、父であり指導者である藤波俊一氏の対談です。スポーツ界における親子の絆と努力の結晶が垣間見えます。単なる競技成功の記録を超えて、人生における決断と挑戦、そして家族の絆の深さを私たちに教えてくれるものです。

 朱理選手のレスリング人生は、4歳という幼少期に始まりました。これは偶然ではなく、父・俊一氏が三重県立いなべ総合学園高校でレスリング部を創設し、地域にレスリングの基盤を築こうとしていた時期と重なります。俊一氏は、最初から娘に特別な期待を押し付けることはせず、レスリングを楽しむことを第一に考えた指導を心がけました。この自然な導き方が、後の朱理選手の驚異的な成長につながっていきました。

 中学2年生になった朱理選手は、公式戦での連勝記録を開始します。この記録は最終的に137まで到達しました。この連勝の背景には、日々の厳しい練習はもちろんのこと、父娘で編み出した独自のトレーニング方法がありました。例えば、バランスボールを使った特殊なトレーニングや、相手の動きを先読みするための戦術研究など、創意工夫を重ねた練習方法が功を奏したのです。

 2021年、朱理選手の才能をさらに伸ばすため、俊一氏は30年以上務めた高校教師の職を辞し、東京への移住を決断します。この決断は、家族全員の人生を大きく変える重要な転機となりました。日本体育大学のコーチとなった俊一氏は、単なる技術指導者としてだけでなく、選手としての精神面の成長もサポートする、より包括的な指導者としての役割を担うようになりました。この時期、朱理選手は技術面での向上だけでなく、精神的にも大きく成長を遂げていきました。

 パリオリンピックでの金メダル獲得までの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。特に、大会直前に起きた左肘の脱臼は、出場すら危ぶまれる重大な怪我でした。しかし、この危機を二人は「すべてのことには意味がある」という信念で乗り越えていきました。結果として、この怪我による休養期間が、体の再調整や戦術の見直しという意味で、かえって良い機会となったのです。

 決勝戦で対戦した世界ランキング1位のエクアドル選手との試合は、朱理選手の実力を存分に示す機会となりました。事前の徹底的な分析と準備、そして試合での冷静な判断力が実を結び、見事な勝利を収めることができました。この勝利は、単なる技術や体力の勝利ではなく、長年の父娘の二人三脚による努力の総決算でもありました。

 朱理選手と俊一氏の関係性は、指導者と選手という枠組みを超えた特別なものです。練習場では厳しい指導者と選手という関係を保ちながら、家庭では温かい父娘として過ごす。この二つの関係性のバランスを上手く保ちながら、互いを高め合ってきました。特に、俊一氏は朱理選手の成長に合わせて、自身の指導方法を柔軟に変化させてきました。技術指導中心から、メンタル面でのサポートや戦略的なアドバイスへと、その役割を進化させていったのです。

 家族としての絆も、二人の成功の重要な要素でした。母親の存在も大きく、家庭での支援体制が整っていたからこそ、二人は練習に集中することができました。また、兄の存在も朱理選手の競争心を刺激する重要な要因となっていました。

 朱理選手は、2028年ロサンゼルスオリンピックでの57kg級への挑戦を表明しています。これは単なる階級の変更という以上の意味があります。新たな挑戦への意欲を示すと同時に、レスリング競技そのものの発展にも貢献したいという強い思いの表れでもあるのです。競技の普及と発展に対する関心も強く、自身の活躍を通じてレスリングの魅力を広く伝えていきたいと語っています。

 両者が共有する「すべてのことに意味がある」という哲学は、単なる格言以上の深い意味があります。これは、困難に直面した時の指針となり、日々の練習や生活における重要な価値観として機能しています。この考え方は、今後も二人の歩みを支える重要な精神的支柱となることでしょう。

 この物語は、スポーツの技術や勝利以上の価値を私たちに教えてくれます。それは、夢を追いかける勇気、家族の絆の大切さ、そして諦めない心の重要性です。藤波親子の金メダルは、まさに努力と信頼、そして家族愛が実を結んだ証といえるでしょう。彼らの物語は、これからも多くの人々に勇気と希望を与え続けることでしょう。

人事マネジメントにおいては以下の視点が気づきでした。

人材育成における「適切な距離感」の重要性
 俊一氏は娘に対して過度な期待や強制をせず、自主性を重視しながら段階的に指導を行いました。これは組織における人材育成でも同様で、過度な介入を避けつつ、適切なサポートを提供することの重要性を示唆しています。

役割の柔軟な変化の重要性
 俊一氏は娘の成長に合わせて、技術指導者から戦略的アドバイザーへと自身の役割を変化させました。これは管理職が部下の成長段階に応じて、マネジメントスタイルを柔軟に変更する必要性を示しています。

長期的視点での人材育成の重要性
 一時的な成果を求めるのではなく、将来を見据えた育成計画を立て、時には困難な課題にも挑戦させることで、真の実力が養われることを示しています。

信頼関係の構築の重要性
 朱理選手が最高のパフォーマンスを発揮できたのは、指導者である父への絶対的な信頼があったからです。組織においても、上司と部下の間の信頼関係は、高いパフォーマンスを引き出すための基盤となります。

人生のどんな状況にも意味がある——私がフランクルに学んだこと 勝田茅生さん(日本ロゴセラピスト協会会長)p34

「生きる意味」が分からない、と悩んだ経験がある人は少なくないだろう。そのような状況で、自分が人生から何を期待するかではなく、人生が自分に期待しているものに目を向けよ、と説いたのが、先の大戦でナチスの迫害を生き抜いた精神科医・フランクルだった。その精神療法を日本人で初めて受け継いだ勝田茅生さんが現代に伝えるメッセージ。

 https://www.chichi.co.jp/info/chichi/pickup_article/2024/katuta/より引用

 ヴィクトール・フランクルは、第2次世界大戦中に強制収容所で過ごしたという過酷な経験を持ち、その経験を基に「ロゴセラピー」という心理療法を確立した精神科医です。彼は、過酷な状況においても人生の「意味」を見つけることができると信じ、それを実践しました。著書『夜と霧』は、強制収容所という極限状態の中でどのようにして希望を持ち、生きる意義を見出していくのかを描いたもので、世界中の多くの人々に深い感動を与えました。

 ロゴセラピーは、古代ギリシャ語の「ロゴス(意味)」を由来とする心理療法であり、人間が人生の中で直面する様々な困難に対して、それらに意味を見出すことで乗り越える力を引き出すことを目的としています。この療法の中心的な考え方は、人生において重要なのは「自分が人生に何を期待するか」ではなく、「人生が自分に何を期待しているか」に焦点を当てるべきだというものです。この考え方は、特に絶望的な状況において、人々に大きな勇気と希望を与えました。例えば、フランクル自身も強制収容所での厳しい日々の中、状況の中に「意味」を見出し続けることで、生きる力を失うことなく耐え抜きました。

 フランクルは、収容所で彼自身が著したロゴセラピーの草稿を没収された際、それを「理論を実証する機会」として捉えました。彼は、自己憐憫に沈むのではなく、むしろ自己を超えた視点で自分を見つめる「自己距離化」という技法を使い、自分の苦しみから距離を取ることを実践しました。この技法は、後にロゴセラピーの基盤の一つとなり、多くの人々に希望を与える心理療法として広く知られるようになります。

 また、彼は収容所の仲間たちにも「君を待っている何かが必ずある」と語りかけ、生きる意欲を失いそうになった人々に勇気を与え続けました。こうした行動を通じて、彼の思想はただの理論ではなく、現実の中で生きる力を発揮する実践的なものであることを証明しました。

 フランクルの思想は、弟子である勝田茅生氏によって日本にも伝えられました。勝田氏は、日本人で初めてロゴセラピーの公認資格を取得し、国内でその意義を広める活動を行っています。勝田氏は、ロゴセラピーの本質は「意味」を普遍的な価値として捉えることにあると強調します。例えば、「宝くじが当たりますように」と願うことは、自分の利益のみを追求した「狭い意味」に過ぎません。しかし、他者にも恩恵をもたらすような「広い意味」を見出すことこそが、真の意味を探求する行為であると説きます。このようにして、人生の中でその時々に与えられる課題に応え続けることが、人間の心を満たし、成長させる道であると語っています。

 フランクルは、人生を砂時計に例えました。私たちは現在という「首の細い部分」に立ち、未来からやってくる無数の選択肢の中から、ひとつを選んで過去へと流していきます。この選択の積み重ねが私たちの人生そのものを形作ります。たとえ困難な状況であっても、その時々に与えられた「意味」を受け止め、誠実に応えていくことで、人生は豊かさを増し、どんな苦難の中にも価値を見出せるようになるのです。

 フランクルはまた、亡くなる時になって初めて、人生全体の繋がりや意味を理解することができるとも述べました。その瞬間、自分の人生の選択が首飾りのように一つ一つ繋がり、完成した全体像が見えるのだといいます。そうした時、人は「生きていてよかった」と心から感じることができるのです。

人事視点から考えてみる
 ロゴセラピーは、現代においても「生きる意味」を見失いがちな多くの人々に大切な指針を提供しています。困難な状況でも、その中に価値や意味を見出すことで、人生の充実感を得ることができるというこの考え方は、私たちがより良い人生を送るための大きなヒントを与えてくれるのではないでしょうか。

 ロゴセラピーの「意味を見出す」という考え方は、従業員のモチベーション向上やエンゲージメント強化に大いに応用できる理念です。特に現代の多様な働き方やキャリア観が広がる中、従業員が自身の業務やキャリアに「意味」を感じられるかどうかは、パフォーマンスや職場定着率に直接影響を与えます。

 例えば、人事が従業員に対してキャリア面談や評価面談を行う際、その個人が「どのような仕事に意義を感じるのか」や「組織の中でどのような役割を果たしたいのか」といった内面的な価値観を丁寧に掘り下げることが重要です。これにより、仕事の意義や目標を従業員に明確にするサポートができます。また、ロゴセラピーの「その時々に課せられる課題に意味を見出す」という考えは、変化の多い現代のビジネス環境にも適しており、プロジェクトや目標設定において柔軟性と達成感を提供する指針となるでしょう。

 さらに、従業員が困難な状況に直面した際、その状況をネガティブなものとして捉えるのではなく、成長の機会や自己実現の一歩として捉えられるような支援を行うことが人事の役割として考えられます。企業として、従業員が「自身の働きに意味を見出し、自己価値を実感できる職場」を提供することは、持続可能な成長に繋がる鍵となります。

一人でも多くの人に〝ありがとう〞の言葉を届けたい サヘル・ローズさん(俳優)p42

 イラン出身の俳優・タレント、サヘル・ローズさんのライフストーリーと活動を紹介しています。この記事からは、困難を乗り越え、その経験を活かして他者支援に人生を捧げる一人の女性の魂の軌跡を描いています。考えるところ、いろいろありました。

 サヘルさんの人生は、1985年のイランという戦火の只中からスタートしました。生まれてすぐに両親と離れ離れになり、幼少期を孤児院で過ごすという困難な環境での出発でした。しかし、7歳の時に訪れた運命的な出会いが、彼女の人生を大きく変えることになります。その出会いとは、テヘラン大学の学生としてボランティア活動をしていたアメリカ人女性、フローラさんとの出会いでした。フローラさんは、サヘルさんを一目見た瞬間から特別な絆を感じ取り、彼女を養子として引き取る決意を固めます。この出会いは、サヘルさんにとって人生最大の転換点となり、その後の人生に大きな影響を与えることになります。

 8歳での来日は、サヘルさんにとって新たな挑戦の始まりでした。言葉の壁、文化の違い、経済的な困難など、様々な課題が待ち受けていました。特に印象的なのは、日本の地域社会での温かい支援の数々です。スーパーの店員さんが何も問わずに食べ物を差し出してくれたこと、給食のおばちゃんが自宅に招いてくれたことなど、人々の善意に触れる経験を重ねていきました。これらの経験は、後の彼女の活動や人生観を形成する上で、かけがえのない財産となっていきました。

 中学時代に経験した深刻ないじめは、サヘルさんの人生における重要な転機となりました。国籍の違いを理由に「サヘル菌」と呼ばれ、無視されるなどの辛い経験を重ね、死を考えるほどの深い苦悩を味わいます。しかし、この危機的状況において、フローラさんの無条件の愛と受容に触れることで、新たな生きる意味を見出していきます。フローラさんは、サヘルさんの死にたいという気持ちさえも否定することなく受け止め、共に歩む覚悟を示したのです。この経験は、後の彼女の支援活動における重要な指針となり、他者の苦しみに寄り添う姿勢の基礎となりました。

 現在のサヘルさんは、俳優・タレントとして幅広い活躍を見せる一方で、社会活動家としての顔も持ち合わせています。特に力を入れているのが、難民支援や国際人道支援活動です。彼女は「声なき声」となっている忘れられた人々のために、積極的な支援活動を展開しています。世間の関心が薄れ、「過去の出来事」として忘れ去られてしまいがちな人々の存在を伝え続けることを、自身の使命として捉えているのです。イラク、バングラデシュ、カンボジア、ウガンダなど、世界各地の難民キャンプや支援施設を訪れ、現地の人々の声に耳を傾け、その実態を広く社会に伝える活動を精力的に続けています。

 サヘルさんの人生観・価値観の根底には、深い感謝の気持ちが流れています。「世の中に当たり前のことなんて何一つない」という彼女の言葉には、自身の波乱万丈な人生経験に基づく深い洞察が込められています。人を一括りにせず、それぞれの個性や背景を大切にしながら、一人一人を個別の存在として見ることの重要性を説いています。また、相手を無条件に受け入れ、理解することの大切さを、自身の経験を通じて訴えかけています。

 特に、サヘルさんが困難な経験を否定的に捉えるのではなく、それらを通じて得られた学びと成長の機会として捉え、感謝する姿勢を持っていることは、いつにおいても重要な視点といえるでしょう。彼女は、人生におけるすべての出来事には意味があり、それぞれが自分を形作る大切な要素だと考えています。この考え方は、現在の支援活動にも深く反映されており、支援を受ける側の尊厳を大切にする姿勢となって表れています。

 さらに、サヘルさんの活動の特徴として、現場主義的なアプローチが挙げられます。彼女は常に現地に足を運び、直接人々と触れ合い、その声に耳を傾けることを大切にしています。この姿勢は、支援活動の実効性を高めるだけでなく、支援を必要とする人々の真のニーズを理解する上でも重要な役割を果たしています。

 最後に、サヘルさんは誰もが自分らしく幸せに生きられる世界の実現を目指し、その実現のために尽力し続けることを誓っています。人との出会いや支え合いの大切さを説き、互いを理解し、受け入れ合える社会の構築を目指す彼女の姿勢は、現代社会が直面する様々な課題に対する重要な示唆を与えているといえるでしょう。彼女の活動と思想は、分断や対立が深まりがちな現代において、共生と調和の可能性を示す貴重な指針となっています。

 この記事から、私たちは困難を乗り越え、その経験を他者への支援に転換していく人間の可能性と、無条件の愛と受容が持つ力の大きさを学ぶことができます。サヘル・ローズさんの生き方は、現代を生きる私たちに、真の共生社会を実現するためのヒントを与えてくれているのではないでしょうか。

 サヘルさんの経験と活動から、人事領域の応用を検討してみます。

多様性(ダイバーシティ)の本質的な理解と実践
 
サヘルさんが指摘する「人を一括りにせず、個々の存在として見る」という姿勢は、真の多様性推進において極めて重要です。形式的な数値目標の達成だけでなく、一人一人の背景や経験を理解し、受け入れる組織文化の醸成が不可欠です。

困難を経験した人材の可能性
 
サヘルさんのように、困難な経験を経て成長した人材は、強いレジリエンスと深い人間理解を持っていることが多く、そうした経験は組織にとって貴重な資産となり得ます。

無条件の受容がもたらす効果
 
フローラさんのように、相手を否定せず受け入れる姿勢は、メンタルヘルスケアや人材育成において重要な示唆を与えています。特に困難な状況にある従業員のケアにおいて、この姿勢は有効です。

「ありがとう」という感謝の文化の重要性
 職場における心理的安全性の醸成と、健全な組織文化の構築に直結します。

 これらの視点は、現代の人事施策において、特に重要性を増しているダイバーシティ&インクルージョン、メンタルヘルスケア、組織文化の構築などの領域で、実践的な示唆を与えてくれるものでしょう。

それでも人生に微笑む ~消えそうないのちを守り続けて50年~ 塩澤研一さん(公益財団法人いのちの森文化財団代表理事)、塩澤みどりさん(同副代表理事)p50

 ここでは、最重度の障碍を持つ娘・早穂理さんの養育を通じて人生を歩んできた塩澤研一氏とみどり氏夫妻の50年に及ぶ壮大な物語です。二人の歩みは、人生における深い学びと成長、そして愛といのちの尊さを私たちに教えてくれる貴重な証言となっています。

 1975年4月3日、早穂理さんが誕生しました。しかし、この日は夫妻の人生を大きく変える運命の日となります。出産時、医師会選挙のため主治医が不在という不運が重なり、適切な処置が遅れたことで、早穂理さんは前頭葉脳損傷という重度の障碍を負うことになりました。
 担当医からは「一生歩くことも、話すことも、手を使うこともできない」という厳しい診断が下され、夫妻は言葉には表現できないほどの大きな衝撃を受けました。周囲からは施設入所を強く勧められましたが、施設を視察した際の衝撃的な光景が、その後の人生を決定づけることになります。手を縛られ、高い柵に囲われたベッドで寝かされている子供たちの姿、そして「お父ちゃん、お母ちゃん」と叫ぶ声を聞いた夫妻は、どんなに大変でも自宅での養育を決意したのです。

 その後の日々は、想像を絶する困難との戦いの連続でした。早穂理さんは自力で寝返りを打つこともできず、食事も真夜中に必要とすることがあり、頻繁に起こる発作への対応など、24時間体制の介護が必要でした。夜眠れない日々が続き、体力的にも精神的にも極限状態が続きましたが、夫妻は決して諦めることはありませんでした。むしろ、この試練を通じて、彼らは次第に人生における深い気づきを得ていきます。早穂理さんの存在そのものが、彼らにとって最高の師となり、人生の真髄を教えてくれる存在となっていったのです。

 1980年、夫妻は新たな一歩を踏み出します。長野県飯綱高原への移住を決意し、「早穂理庵」という小さな庵を建設しました。当初は車一台通らない静かな場所でしたが、不思議なことに、この地には次々と素晴らしい出会いが訪れます。高野山の宮島基行阿闇梨、ネイティブアメリカンのホピ族の方々、世界的なスピリチュアル・コミュニティであるフィンドホーンの方々など、世界中から様々な人々が集まってきました。これらの出会いは、夫妻の活動に新たな展開をもたらすきっかけとなります。

 1993年、夫妻は「心と体といのちのセンター水輪」を設立します。この施設は、単なる福祉施設ではなく、問題を抱えた若者たちの全人的な成長を支援する場として機能していきます。全寮制のフリースクールとして、自然農法や環境保全活動も含めた包括的なプログラムを展開し、現在では総勢30人の若者たちが、スタッフや研修生と共に生活しています。彼らは日々の共同生活を通じて、実社会で必要となる生活力、仕事力、人間力を養っていきます。中には深刻な問題を抱えた若者もいますが、夫妻は早穂理さんとの関わりから学んだ経験を活かし、一人一人の内面にある純粋な心を信じて向き合い続けています。

 早穂理さんの人生は、4度の危篤状態との闘いがありました。特に33歳の時の危機は最も深刻で、多臓器出血を起こし、すべての治療が打ち切られ、霊安室まで用意される状況にまで追い込まれました。しかし、夫妻の献身的なケアと、帯津三敬病院名誉院長・帯津良一先生をはじめとする多くの方々の支援により、その危機を乗り越えることができました。この経験を通じて、夫妻は生命の神秘と、諦めないことの大切さを改めて学ぶことになります。
 現在49歳を迎えた早穂理さんは、医師の予想をはるかに超えて生き続けています。夫妻は早穂理さんとの日々の関わりを通じて、「いま、ここ、自己」から「いま、ここ、愛」への意識の変容を体験し、すべての出来事は自分の心から生じるという深い真理に目覚めていきました。この気づきは、水輪での活動にも大きな影響を与えています。

 塩澤夫妻は現在、水輪での活動を通じて、この貴重な学びを次世代に伝えることに全力を注いでいます。早穂理さんの存在によって気づかされた愛と思いやりの大切さ、そして人々の意識の進化への願いを、水の輪が広がるように世界中に伝えていきたいと考えています。施設では、共同生活や農作業、様々な実践的活動を通じて、若者たちが自らの内なる力に気づき、成長していく姿が見られます。

 彼らの50年の歩みは、困難な状況の中でいかに深い学びと成長があり得るか、そして愛といのちの尊さとは何かを私たちに問いかける、かけがえのない証となっています。それは単なる障碍児の養育記録や福祉活動の記録を超えて、人間の無限の可能性と愛の力、そして意識の進化についての深い示唆に富んだ壮大な人生の記録となっているのです。

 この物語は、私たちに困難に直面したとき、それを乗り越えるための勇気と希望を与えてくれると同時に、人生における真の幸せとは何か、そして人々が互いに支え合いながら成長していくことの大切さを教えてくれる、極めて重要な証言となっています。塩澤夫妻の歩みは、これからの時代を生きる私たちに、深い示唆と勇気を与え続けることでしょう。

日本の先達に学ぶ人間学 ~いま日本人が忘れてはならないこと~新保祐司さん(文芸批評家)、小川榮太郎さん(文藝評論家)p60

 日本の文芸批評界を代表する新保氏と小川氏による本対談は、現代日本社会が抱える根源的な課題と、その克服に向けた示唆を明治期の修養精神に見出そうとする、深い洞察に満ちた議論が展開されました。

 現代日本が直面する本質的な問題として、両氏は道徳心とモラルの持続的な崩壊を指摘しています。この現象は単なる個人の倫理観の問題を超えて、国家としての求心力の低下や国際社会における影響力の減退にまで波及する重大な課題として認識されています。約150年前、日本が明治維新という大変革を成し遂げ、西欧列強と互角に渡り合うほどの国力を有していた時代と比較すると、現代日本における精神的基盤の脆弱化は著しく、その再構築が急務であることが浮き彫りにされています。

 明治時代の特筆すべき特徴として、社会の隅々にまで浸透していた修養精神の存在が挙げられます。当時の人々は、単なる知識の蓄積や情報の収集にとどまらず、読書を通じた本質的な人格形成を重視していました。特に注目すべきは「非凡なる凡人」と呼ばれる人々の存在です。彼らは必ずしも歴史に名を残すような著名人ではありませんでしたが、揺るぎない精神性と日々の実践的な修養によって、日本の近代化を支える重要な礎石となりました。また、「侠骨」という言葉に象徴される、正義と人情を重んじる精神性も社会に深く根付いており、これが日本の発展を支える重要な精神的支柱となっていました。

 現代社会が抱える構造的な課題として、近代個人主義の無批判な受容による深刻な弊害が指摘されています。人間が人間として成長していく基本的な仕組みが失われ、その代わりに表面的な知識の習得や断片的な情報の収集が過度に重視される傾向が強まっています。特にSNSにおける無秩序な言論の氾濫は、現代人の品性の欠如を如実に示す象徴的な例として挙げられています。このような状況は、人間関係の希薄化や社会の分断化をさらに加速させる要因ともなっています。

 修養の現代的意義について、対談では多角的な観点から考察が展開されています。修養とは単なる道徳的な規範の遵守や形式的な礼儀作法の習得ではなく、日々の経験を通じて人間性を向上させていく継続的かつ主体的なプロセスとして捉えられています。その本質は自己の完成を目指す飽くなき姿勢にあり、同時に周囲の人々への深い配慮と思いやりを育むことにも直結します。また、人生の一瞬一瞬に価値を見出し、どのような状況においても意味を見出していく態度の涵養も、修養の重要な側面として強調されています。

 これからの日本社会に求められる方向性として、明治人の修養精神から学ぶべき点が数多く指摘されています。現代社会に蔓延する成功至上主義や効率性の追求からの脱却が必要であり、代わりに人間としての品性の完成を目指す本質的な価値観の確立が重要視されています。特に、日本の伝統的な価値観である誠実本位の精神を現代的な文脈で再評価し、グローバル社会における新たな指針として確立していく必要性が強調されています。内村鑑三の「成功の秘訣」に記された言葉に示されるように、真の成功とは単なる物質的な達成ではなく、人格の完成にこそあるという視点の重要性が改めて確認されています。

 特に印象的なのは、両氏が現代の諸問題を単に批判するのではなく、その解決の糸口を具体的な歴史的事例や先人たちの思想から見出そうとする建設的な姿勢です。例えば、渋沢栄一や乃木希典といった明治の偉人たちの生き方に触れながら、彼らが体現した修養の本質を現代に活かす方法が模索されています。彼らの生き方からは、困難な状況においても諦めることなく、常に自己を高めようとする強靭な精神性を学ぶことができます。

 さらに、修養の実践的な側面にも触れられています。読書による学びの重要性は現代においても変わることはありませんが、その読み方には本質的な違いがあることが指摘されています。明治期の人々は、書物を通じて自己の人格を形成し、より良い人間になるための指針を得ようとしました。これは現代のような情報収集を目的とした読書とは本質的に異なるものであり、この違いを認識することが、現代における修養の実践の第一歩となることが示唆されています。

 対談全体を通じ、現代社会が直面する諸問題の解決には、単なる制度や仕組みの改革だけでなく、個々人の内面的な成長と精神的な充実が不可欠であるという認識が示されています。今回のテーマ、「万事修養」という言葉に集約されるように、人生のあらゆる場面を自己形成の機会として捉え、継続的に努力を重ねていく姿勢の重要性が改めて確認されていました。この視点は、現代社会が直面する様々な課題に対する根本的な解決の方向性を示唆するものとして、極めて示唆に富む内容となっています。

 人事管理の立場においても、この「万事修養」の考え方は重要な示唆を与えています。特に注目すべきは、単なるスキルや知識の習得だけでなく、人格形成を重視する視点です。現代の人事評価は往々にして、数値化できる業績や資格取得数などの表面的な指標に偏りがちです。しかし、組織の持続的な発展には、従業員一人一人の人格的成長が不可欠です。
 例えば、新入社員研修において、技術研修だけでなく、先人の生き方や思想に触れる機会を設けることで、仕事に対する深い洞察力や倫理観を育むことができます。また、人事評価制度においても、業績指標に加えて、周囲への配慮や組織への貢献度など、人格的側面を評価項目に含めることが重要です。

 さらに、日々の業務を単なるタスクとしてではなく、自己成長の機会として捉え直すことで、従業員のモチベーション向上にもつながります。管理職には、部下の技術的成長だけでなく、人間的成長をサポートする役割が求められます。

 このように、「修養」の視点を人事施策に取り入れることは、組織の持続的発展と従業員の充実したキャリア形成の両立に寄与すると考えられます。

目の前の人や事にフォーユーの精神で向き合えば、人生の扉は開けていく 永松茂久さん(人財育成JAPAN代表)p100

 1974年、大分県中津市の商家に四代目として生まれた永松氏の20代は、挑戦と成長の軌跡でした。幼少期から商店街で育った彼は、10歳の時にたこ焼き屋との運命的な出会いを経験します。その出会いは、彼の人生を大きく変える転機となりました。高校時代には親友と「二人で店を作ろう」という夢を共有しましたが、その親友は17歳という若さで心臓病により他界。この出来事は、永松氏の心に深い影響を残すことになります。

 大学進学後、人生の岐路に立った永松氏は、中津市出身の流通ジャーナリスト・緒方知行先生(2015年逝去)との出会いを通じて、出版社「オフィス2020」への就職を決意します。そこでの重要な出会いが、オタフクソース東京支店長との邂逅でした。その後、「築地銀だこ」の創業者である佐瀬守男氏の下で、実践的な経営のノウハウを学ぶ機会を得ます。この経験は、後の独立の際の貴重な財産となりました。

 26歳でたこ焼きの行商を開始した永松氏は、初めは大きな成功を収めます。九州一円を巡回し、一日千箱を売り上げるほどの盛況ぶりでした。しかし、事業の拡大に伴い、スタッフの疲弊や競合他社の増加など、様々な経営課題に直面します。この苦境の中で訪れた知覧特攻平和会館での経験は、彼の人生観を大きく変えることとなりました。特攻隊員の遺書に触れ、「何のために生きるのか」という根本的な問いと向き合うきっかけとなったのです。

 28歳で開業した「陽なた家」は、彼の経営哲学の集大成となりました。当初は小規模なたこ焼き店を予定していましたが、スタッフの意見を取り入れ、150席を擁するレストランへと発展させます。その経営方針は、効率を重視する一般的な考え方に反し、「非効率から生まれる感動」を重視したサービスを展開。例えば、お客様の誕生日を大々的に祝うイベントを実施し、業務を一時停止してまで全スタッフで祝福するという、一見非効率的に思える取り組みを行いました。

 この経営方針は大きな成功を収め、年間3000件を超える誕生日祝いの依頼を受けるまでに成長します。永松氏は、この成功を通じて、「目の前の人を喜ばせること」の本質的な価値を実感します。特に、銀座まるかんの創業者である斎藤一人氏との出会いを通じて、「夢よりも、目の前の人に喜んでもらうことが大切」という人生の指針を得ることとなりました。

 永松氏は、現代の若者たちに向けて重要なメッセージを投げかけています。多様な情報が溢れ、進路選択に悩む若者たちに対して、必ずしも明確な夢を持つ必要はないと説きます。それよりも、目の前の仕事や出会いに真摯に向き合い、全力を尽くすことの重要性を強調します。そして、困難な時代であるからこそ、自身が光となって世の中を照らす存在になることの意義を説いています。

 このお話、単なる成功話ではなく、他者のために生きる「フォーユー」の精神、逆境を乗り越える勇気、そして目の前の人や仕事に誠実に向き合うことの大切さを教えてくれる、深い人生の教訓となっています。永松氏の経験は、特に将来に不安を抱える若い世代にとって、大きな示唆と勇気を与えてくれるものといえるのではないでしょうか。

 永松氏の経験から、人事マネジメントにおける重要なポイントを考察してみます。特に現代の若手社員の育成において、従来の効率主義や成果主義一辺倒ではない、新たな人材マネジメントの方向性を示唆していると言えるでしょう。

人材育成における「非効率」の価値
 「陽なた家」での誕生日イベントは、一時的な業務効率の低下を伴いますが、従業員のモチベーション向上と組織の一体感醸成に大きく貢献しました。短期的な効率性だけでなく、長期的な組織力向上の視点が重要といえます。

若手人材の育成方針
 永松氏は明確なキャリアプランがない段階でも、目の前の仕事に真摯に向き合うことで成長しました。人事施策においても、詳細なキャリアパスの提示だけでなく、日々の業務での真摯な取り組みを評価・支援する仕組みが重要です。

「フォーユー」の精神を組織文化として根付かせる重要性
 他者のために働くという価値観は、チームワークの向上やサービス品質の改善につながります。採用や評価制度においても、この価値観を重視することで、持続的な組織成長が期待できます。

幸せは自分の心が決めるもの ~幸せに生きる〝セロ活〟のすすめ~ 南山紘輝さん(Nalpusコーチング代表)p122

 現代社会において、「幸せ」とは何か、その問いは常に私たちの心に付きまといます。情報過多で常に何かに追われているような感覚の中で、私たちはしばしば自分を見失い、何が本当に自分を幸せにするのか分からなくなることがあります。南山紘輝氏は、コーチングの専門家として、長年の経験から導き出した「幸せ」の本質について、自然界の摂理と人間の脳内物質セロトニンの関係に着目し、深く掘り下げています。

 まず、南山氏が指摘するのは、現代人が陥りがちな「足し算思考」の危険性です。私たちは、常に何かを付け加えようとします。足りない知識、スキル、経験…それを手に入れれば、きっと幸せになれると信じて疑いません。しかし、この考え方は、まるで底なし沼のように、私たちを際限のない追求へと駆り立て、真の幸せから遠ざけてしまうのです。成果が出ない時、「もっと頑張ろう」「もっと努力しよう」と自分を追い込むのではなく、一度立ち止まって「引き算思考」に切り替える必要性を説きます。

 次に、彼は自然界の摂理を例に挙げます。木々は、春に葉を茂らせ、夏の太陽を浴びて成長しますが、秋になれば、その葉を潔く落とし、冬の間は静かに休眠します。これは、成長のためには、何かを手放す時期も必要であることを示唆しています。私たち人間も同様です。常に前進し続けるのではなく、時には立ち止まって休息し、自分をいたわる時間が必要です。頑張り続けることが必ずしも良い結果をもたらすとは限りません。無理に頑張るのではなく、心身のバランスを保つことこそが、本当の成長と幸せにつながるのです。

 そして、この鍵となるのが、脳内物質「セロトニン」です。セロトニンは、幸福感や安心感に関わる重要な神経伝達物質であり、細胞の修復や成長を促進する働きも持っています。セロトニンが不足すると、心の不調や無気力、睡眠障害など、様々な問題を引き起こす可能性があります。つまり、私たちが幸せを感じるためには、セロトニンを十分に分泌させることが不可欠なのです。

 では、どのようにすればセロトニンを増やすことができるのでしょうか。南山氏は、そのための具体的な方法として、「セロ活」を提唱します。まず、食生活を見直すことが重要です。セロトニンの材料となるトリプトファンを多く含む大豆製品(豆腐、納豆、味噌など)や、セロトニンの生成を助けるビタミンB6が豊富な魚類(鮭、鯖、鮪など)を積極的に摂取しましょう。また、セロトニンの大部分が腸内で作られることから、発酵食品などを摂り、腸内環境を整えることも重要です。腸内環境の改善は、心の安定にもつながるとされています。

 次に、脳波の状態を意識することも大切です。セロトニンが分泌されやすいのは、脳波が「α波」の状態の時です。α波は、リラックスしている時や、目を瞑っている時などに現れます。森林浴は、自然の音や景色に触れることで、α波を誘導する効果があります。また、呼吸法も効果的です。「生理学的ため息(Physiological Sigh)」は、2回息を吸い込んでからゆっくり吐くという簡単な呼吸法ですが、これによって肺胞に酸素が十分に供給され、心身のリラックス効果を高めることができます。

 さらに、自律神経の働きも、セロトニンの分泌に大きく影響します。自律神経には、交感神経と副交感神経があり、それぞれアクセルとブレーキの役割を果たしています。現代社会では、常に交感神経が優位になりがちで、リラックスモードである副交感神経が働きにくい状況です。意識的にオフの時間を作り、心身を休ませることが重要です。

 最後に、最も重要なのは、「幸せは自分の心が決める」という事実を認識することです。幸せは、周りの環境や他人が与えてくれるものではありません。自分の心が何を意図しているか、幸せを見つけようと意識しているかによって、幸せを感じるかどうかが決まります。私たちは皆、幸せになるための力を持っています。その力を最大限に引き出し、自分自身の内なる声に耳を澄ますことが、真の幸せへの第一歩となるでしょう。

 ここでは、セロトニンを増やすための具体的な方法や、なぜそれらが重要なのかという理由を、より詳細に説明しました。さらに、幸せは自分自身でつかむものだというメッセージを強調し、読者の方々がより深く「セロ活」を理解し、自身の生活に取り入れられるよう、意識して書きました。




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