若月房恵
留学先のアメリカでイエスキリストに出会い、人生を変えられてしまった真木さんは、じつは信州の旧家の跡取りだった。故郷で彼を待ちかまえている、封建的な家制度から逃亡すること二十年。ついに帰国を余儀なくされた真木さんは、まわりからの冷たい視線に曝されながらも、苦しみながらキリストに従う道を選んだ。じぶんの屋敷を伝道所として開放した真木さんと、その教会のひとびとについての一連の連作小説。ふふふ。
ただイエス・キリストと生きているわたしの日々を、誠実に、飾ることなく、じぶんの言葉で書くことが出来たなら。
2024年、今年こそは読んだ本をぜんぶ記録する(たぶん)
日本語に訳したメッセージなど
寓話のように、目にはみえない、キリストとの関係を書いた話し。フィクションでもないし、エッセイとも言えない。
新年早々、根こそぎになったビルの映像を見た。あっけなくぺっしゃんと潰れた瓦屋根の家々、何百年も続く家並みや文化財。 過ぎた年だって、思いかえしてみれば。六月、ウクライナで反転攻勢がはじまり、朝ごとに進捗をたしかめた。戦争の終わりにつながるような戦果は、結局なかった。いまに至るまで、まるで第一次世界大戦のような、泥沼の塹壕戦がつづいている。 そしてイスラエルの戦争。これはウクライナのように、わかりやすい戦争にはならなかった。日本で流される報道のすべてを、鵜呑みに出
↓ひとつまえ 11 八枝が告白するように、あの出来事を語ると、真木はしずかに、良い薬になったね、女三の宮さんと言った。そしてその場で立ちあがって、パウロに電話をかけると、久米がこんどこそ受洗したがっていると伝えた。湖に連れていって、沈めようと。なにも知らないパウロは、まだ寒いだろ、と言った。そばで聞いている八枝にむかって、真木はにやりと顔をしかめてみせた。 久米の洗礼式は、土曜日に決まった。結局湖にはならなかった。一緒に水に入るパウロが、そんな馬鹿なことに付き
伯父上が机を整理していたら見つけたという、図書カードを何枚も送ってくださったので、欲しい本をなんでも買える。いまのわたしはとても裕福。 そろそろ、最寄りのくまざわ書店では、欲しい本がみつからない。おばあちゃんに子どもを預けて、ジュンク堂に行きたい、とずっと願っているのに、いざ預けるとなると、なぜかスーパー銭湯に行ってしまう。サウナと岩盤浴。 一日中子どもを抱っこして、右往左往していた日々から、ずっと身体に蓄積していた疲れが、溶けていくみたいで。ととのう、という感
9 ふと目が覚めたとき、辺りはまだ暗かった。布団から出た顔や手に、山国のしんと凍るような寒さを感じて、ああ、そうだ、ここはアメリカ南部じゃないんだというのを、改めて思いだした。 夜に目が冴えたときは祈るとき、というのがパウロの決まりだったから、枕元のスタンドを付けて、聖書をひらいた。かすかな光に照らされたアパートの部屋は、ひとりで住むにはすこし広かった。ちくりと胸を痛みが刺す。きっとこの痛みは棘のようにして、ずっと自分を刺していくのだろうな、使徒パウロの言う
* 目を閉じたとき、キリストとわたしが、たましいの芯にいる。そこがわたしのうごかない車軸。 その芯を犯されることに、いつも嫌悪をいだいていたのでした…… わたしは、空気を吸いたい。だから逃げたし、かくれた。芯をゆらがせることなく、なんであれ、その芯から、よろこんで行えるようにならなくちゃ、意味がないようなきがしたから…… 時間がかかってもいい。植物みたいに自然に、わたしのなかから、生えてきたことだけを生きて、書きたいと。 空気がうすく、よどんでいる空
↓ひとつまえ 7 次の週は、普段どおりの日々が過ぎていくかのようにみえた。真木はなにかに打ち克ったという感覚と、主のためになにかを為した充足感の余韻とをひきずっていて、霧が晴れわたったような表情をしていた。 久米は金曜の夜、ふいにやって来た。仕事終わりらしく、紺のスーツを着ていて、私服のときとは別人のような雰囲気がした。 「すみません、突然来ちゃって」 久米にはどこか、拒もうにも拒めない、甘え上手な小動物みたいなところがあった。それが計算なのか、本来備わった
「わたしがまだ罪人だったころ キリストはわたしの為に 死んでくださいました。 彼はそのようにしてわたしへの愛を お示しくださったのです」 いま、じぶんでも恥ずかしいような、古い小説を焼き直して投稿しているのだけれど、そんなことをしているのも、その小説の終わりに、聖霊のバプテスマを受けるシーンがあるからなのだ。 聖霊を受ける、なんて場面を、小説で読んだことはほとんどなかったから、もしかしたら、恥を忍んでもそうする価値があるんじゃないかと思った。いつも聖霊を宿
5 いやなことばかり続いた。次の日曜日がみえてきたころ、風邪ひとつひかないと自慢していたパウロが、八度五分をだして寝込んでしまった。アパートにひとり寝かしておくわけにいかないと、真木たちは引きずるようにして屋敷に連れてきた。風邪の症状があるわけでもなく、ただなにかが切れてしまったように、熱だけがでた。知恵熱かもしれない、と真木は言った。 パウロの妻が突然亡くなったのも、ちょうど三年まえのこの時期だった。その命日が近づいて、パウロはふとした隙によく左手の指輪を、クル
速読の乱読家の自家用記録。 ↓先月の分 「文学キョーダイ!!」 奈倉有里 逢坂冬馬 * かれらの家庭について、 のはなしがとても面白かった。 このふたりのおすすめ図書も。 * 本はこの世の解決策にはならないでしょうね。 対談は途中で、この破綻してゆく世界の はなしになっていく。それにたいしてこのすてきな 文学姉弟たちが、じぶんたちの出来ることについて 語っていく。本のこと、文学のこと。 そのはなしは、いつのまにか本が救い主みたいに ふわりと上げられてしまって、 かれらの
3 東京では桜が咲いたらしいが、北アルプスをのぞむ松本には、冷えびえと凍てつく風が吹いていた。八枝とパウロは教会の用足しに、いっしょに街へやってきた。先に用を済ませてしまった八枝は、女鳥羽川沿いの、にぎやかな縄手通りの、柳の下のベンチに腰かけて、パウロが店から出てくるのを待っていた。 姑のものだったという、渋い紬を着た八枝は、江戸時代の風情がする街並みによく映って、ちらちらひと目を惹いた。きもの暮らしをはじめたきっかけは、蔵のなかから、代々の真木家の女性たちの、い
金木犀の季節。ひさしぶりに教会に行ったら、友だちが駅で待っていました。わたしを迎えに来てくれたのだそうです。かのじょを抱きしめて、その背に手をあてがい、まもるように国道沿いを歩きました。 「まあ、半袖!」 「寒くなったわねえ」 「寒いんだから、ほら、ちゃんとそれ着なさいな!」 わたしなんかは、家を出たときに、マフラーを巻いてくればよかったと後悔したのに。フリースを着ればいいかな、というのは甘かった。わたしたちの前を飛びまわっている息子は、ちゃっかり冬用のコート
1 「おれはおまえを宣教師に嫁がせたつもりでいる。衣食住に困らなければ、それで満足だと思え」 一年まえ、八枝が結婚したとき、父はそう言った。彼女の夫は、温かい衣服や食べものにもこと欠きながら、福音を伝える宣教師には、ほど遠かった。彼女の嫁ぎ先は、相当な資産を有する、信州の旧家だったから。 まだ寒い三月の日。にぶい色をした灰色の空は、いまが昼なのか夕暮れなのかも、はっきりせずに憂鬱である。この寒空のもと、八枝はいかめしい門のまえで、昨夜の風がのこしていった葉や枝
めでたし、めでたしは幻想だと、ようやく気づいた。わかってはいた。ジェーン・オースティンの小説みたいに、結婚したら Happily ever after なのでもなければ、良い学校に入って就職することが、人生のゴールでもないことくらいは。 でも、たとえばキリストに救われたら、人生はめでたし、めでたしになるだろうか。いいえ、そうじゃありませんと、うちの教会の説教師たちは口を酸っぱくして言う。洗礼を受けたら、聖霊のバプテスマを受けたら、そこから試練がはじまるのですよと。
毎週木曜日の夜、オンライン聖書講座の通訳をしています。これは、そこで使うために訳した、ウィリアム・ブランハム (1909-1965、アメリカ) の説教の短い断片を、まとめて記事にするシリーズの二作目です。 ↓一作目 * さあ、ちょっと考えてみてみましょうか。ひとの心のドアのなかに、またドアがあることを。 「さあ、イエスさま、わたしの心においでください。死んでから苦しみたくはありませんから。あなたを救い主として、受け入れます。でもご主人さまとは、認めたくありませ
雪のふる日の、松本の、 千歳橋を越えて、ちょっと遠いけれど、あがたの森を目指して。中町を通っていこう。それからちいさな道をくねくねと、美術館まで出られたらいいな。白い雪をかぶると、草間彌生の毒々しいオブジェは静謐に、ふしぎとうつくしく見えるから。そこからは大通りをまっすぐに、ヒマラヤ杉の木陰の、松高跡へいこう。 やわらかな雪が、すこしずつコートを濡らしてゆくから、通りを歩きながら、傘を売っている店を探そう。結局、中町からまっすぐに進んで、イオンでビニール傘を買う
あたらしい本、出来ました。 note に書き溜めていたエッセイから、二十篇を選びだして、一冊の本にまとめました。文庫本サイズの、ちいさな本です。 非売品のたいへんささやかな本ですが、ご興味をもってくださる方がいらっしゃいましたら、下記の方法よりご連絡ください。喜んでお送りいたします。