人気の記事一覧

河合隼雄『を』知らないけどかたらせてもろてよかですか?

あかるいほうへ あかるいほうへ

しあわせなお仕事あります。

2か月前

日本には二大政党制は不向きなのではないか?

河合隼雄と音楽の“微妙”な関係|バッハから東儀秀樹まで

河合隼雄さん

2か月前

「感謝できるか」は、精神状態を物語る 

期待するから腹が立つ。むしろ、分かり合えたら奇跡。

河合隼雄『で』語るなんて出来ないが、読書は惑うことを肯定してくれた。

「問題児」は大人が向き合うべき「問題」を提出してくれている~谷川俊太郎さんの訃報に接して~

昔話では、なぜ独身男の家に美しい娘がやってくるのか?

事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!

高校生の悩みや不安にどう関わればいいのだろうか?

河合隼雄『で』語り合おう②✧♡

3か月前

『語』令和六年私の漢字

note12か月目の振り返り~タコ吹き続けて1周年‪(˶˙๏˙˶)♡‬

観察や共感が失敗したとき

デコ日ボコ日

2か月前

ならまち月燈🐶✖️たこせん枝瀬🐙共同運営マガジン「河合隼雄『で』語り合おう」 連載開始のお知らせ✨

『心のなかの勝負は51対49のことが多い』怒っている人は大概さびしい。キレそうな時ほど、感情の導火線に大きな『成長のヒント』が隠されているから、ほんの数秒、こらえて深呼吸。弱さを認めるって強さだよ。自分一人でキレるならまだしも人間関係切れたらつまらないよね。#河合隼雄倶楽部

河合隼雄で語り合おう④✧♡

2か月前

河合隼雄『で』語り合おう①✧♡

3か月前

タコ吹き観音のサトリ

河合隼雄『中空構造日本の深層』を振り返って

「河合隼雄『で』語り合おう」マガジン記事紹介#1

【悲報】 土曜日に投稿した拙記事「『なんのはなしですか』は懐が深い」ですが、編集中に消失してしまいました(涙)コメントを返せなかった、くりすたるるさん、ナウのセカンドさん、ケータローさん、shiiimoさん、ごめんなさい!! 「河合隼雄『で』語ろう」は明日15日からスタートです。

ブックデザイナーの仕様書展✧♡

1か月前

日本語には「み(身)」という言葉があり、これは身体を表すのみならず、「みにしみてわかる」などというときは、むしろ、心や魂まで意味することがある。カバーする範囲が広く、あいまいである。欧米の場合は身体と心は明確に分離されている。

2006年8月16日の倒れる最後の日も、京都の事務所でクライエントに会っていた。実はその日は、既にとても体調が悪くて、それでもキャンセルもせずに面接に行っていたのである。しかもその夜に音楽会にまで参加して、命を縮めてしまった。 〔序論〕臨床家・河合隼雄   河合俊雄

「解決」よりも「創造」を、と言う河合さんにとっては、意識の緊張を緩め「カキマゼ」て、そこに新しい、生の別の布置が生まれてくるその〈触媒〉になることが、心理療法家の仕事となる。そのためにこそ「ふわーっと聴く」のである。落としどころについてー河合隼雄における《臨床》と《対話》鷲田清一

河合隼雄を読む 谷川俊太郎 人の心に終点はなく、究極の答えもない 〜こころの処方箋解説より 河合さんがよく口にされる言葉が三つある。 ひとつは「分かりませんなぁ」 もうひとつは「むずかしいですなぁ」 そして三つ目は「感激しました」

きょう心にしみた言葉・2024年11月27日

こころとからだの臨床①

はやお先生への手紙①

1か月前

不眠からはじまったコンステレーション、そして謝辞またはラブレター

12日前

おはようございます! 今日の紹介記事はこちら。 たこ先生です! 河合隼雄先生の新企画も15日から。みなさん楽しみに待ちましょう! https://note.com/edase_daidai/n/nfca68aace933

生きるとは、自分の物語をつくること

日本に適した組織開発、あるいは河合隼雄について

【本の紹介】『生きるとは、自分の物語をつくること』(小川洋子・河合隼雄)

3か月前

前世療法をうけたおはなし③

ここにきて、今年1番に刺さりまくった。 人生の決断や心配なこと、対人関係において悩んでいる時にそっと道を照らしてくれるような、こころの処方箋でもあり羅針盤のような本だった。 出逢えて嬉しい!

1か月前

人間はどうしても自分との関連において、あるいは、自分を入れこんだものとして世界をいかに観るかということが必要である。 後者が「臨床の知」にかかわってくる~中略 概念化して考えることよりも、いかにそれとかかわるのか、何をするのか、ということが大切になってくる。

きょう心にしみた言葉・2024年10月30日

【読書】佐野洋子に学ぶ小説の味わい方

猫と付き合う

河合隼雄✖️田辺聖子 万引きの衝動〜そういう衝動を、自分は完全に持ってるんだということをはっきり体験したということは、すごく意味があることですね〜略〜ものを取り込むんじゃなくて、ものが言葉になって外へ出るようになったんじゃないかと思いましたですね。 だから、物語にできるわけですね。

「毒親論」という症状と「牛に引かれて善光寺参り」が目指す境地

1か月前