河合隼雄『で』語り合おう①✧♡
インターネットの画像で偶然見つけた谷川俊太郎さんの詩を引用させていただいた。谷川さんにとって、河合さんは、駄洒落をポケットに隠してやって来る人だったのかと、河合隼雄さんのニコニコした顔が目に浮かぶ。
しかも、谷川さんが「生きることに疲れ切った」ときに?
谷川俊太郎さんの詩は元々好きだが、谷川さんにとっても、河合さんがそんな人だったとは、私と共通点を感じてさらに嬉しい。
私は河合隼雄さんの全集を買って、全て読んだ。
今、気づいたが、全集を買って、すべて読破したのは、河合隼雄さんしかいない。文学者ではなく、河合隼雄。
著作をすべて読んだのは、面白かったから。
人間の心理は、読み物として面白かったし、心理学者は、本人も気付かない心の働きを教えてくれる。
読むたびに、自分のココロが読み解けて、すべてが腑に落ちた。
初めて、河合隼雄の本に出会ったのはいつだろう?
思い出してみると、20代の頃。いや、18歳だったかも。
家の書棚にあった「コンプレックス」という本だ。
漫画を描くのが好きだった私は、地元の弘前大学の教育学部中学校教員養成課程の美術科に進んだ。理由は、漫画を描くことに一番、近そうだから、という恥ずかしい理由である。
そうなのだ。漫画を志していたから、美術に出会った。
しかし、大学で、私は、ほぼ漫画を忘れるぐらい美術にノックアウトされた。何を描いても、「15分でさささ~っと描いたような絵だね」と言われ続けた。それは、漫画家を目指していたからしょうがないが、高校時代の、クラスで一番漫画の上手い私というアイデンティティは打ちのめされていく。
当然、美術科には、絵を描く者が集まっている。
ほぼ同じ年の、美術で自分を表現する者たち。
デッサンの得意な人、行動が早く恐れず新しい課題に向かっていく人、色遣いの素敵な人、色々なタイプの人間がいた。
この「コンプレックス」という本を手にした私は、ちょうどそのことに心を悩ませていた。自分がなかなかできないことを軽々とやってしまう同級生が羨ましい、と感じていた。
その本を読み、私は自分自身の心の状態がよくわかって、なんだか安心した。私の感情は、本に書いているぐらい当たり前のこと。
「コンプレックス」は持ちすぎて縮こまってはいけないが、多少あったほうが、バネになって自分が伸びるきっかけにもなるものだと知る。
その後、私は、美術部で絵画制作をしてきた同級生とは違うのだからと、自分なりにデッサンを追求し、デッサンはなんて面白いのだろうと思うぐらい、のめり込んでいった。
みんながソフトボールをして親交を温め、遊んでいる時、1人素描室でデッサンしていた。
もともと、運動は得意ではないインドア派。炎天下でのソフトボールなどやりたくもないのだ。
待てよ。もしかしたら、ソフトボールをするのが嫌で、やりたくないからデッサンしていた可能性もある。思い出をかっこいいほうに美化しただけかも?と、青春時代の記憶は、限りなく遠く、怪しい。
私は美術に、自信を持ちたくて努力していた。
その後、描いた時間が自分に積み重なり、誰よりもデッサンが得意になったが、私が制覇したのは、白黒の世界だけで、油絵の授業になると、どこに何色を置いたらいいのかがさっぱりわからない。
いったい、みんなはどうやって画面に置く色を決めているのだろう。
教授たちも、具体的なことは何一つ教えてくれない。
自分で描いて見つけろということなんだろう。
外山氏はまさに、この本で「思考の整理学」という「飛行機能力」の方法を教えてくれていたのである。
私はまさに前者の、出された課題をやる力は100%あるが、自分で卒業制作のテーマを何にするかを決める能力に欠けていた。自分の課題を自分で見つけれなかったのだ。
こんな大学の先生に出会いたかったなと心底思う。
そして結局私は、好きなものを見つけて次々描いている同級生たちを羨ましく思いながら、何を描けばいいのか分からなくて、自画像のような物を描いて提出した。
しかも、絵が全くできていないのに、大学生活最後のチャンスとばかり、3週間、友達と中国を旅していた。よく親がお金を出してくれたものだ。
一番、仲の良かった美術科の友人が言った。
「あやのん君は凄いよね。中国まで逃げちゃうんだもの」
そんな風に言われるぐらい、私は絵を描くことから逃げていた。
厳しい教授陣にボロクソに言われるだろうと憂鬱な気持ちで迎えた卒業制作の講評会。一番、厳しくて尊敬していた先生が、
「君の考えていることは面白いケド、絵はね・・・」と言い淀む。
先生はなぜか厳しいことを言わない。
しかも、一番最後に、
「絵を描くの、やめないでね」と優しく言い、私は泣きそうになった。
今思うと、私の切羽詰まった状態を、教授達は知っていたのだろう。
挫折感で一杯なままの卒業。もう二度と、絵を描きくないと、これから子供たちに絵を教える美術教師なのに、思っていた。
憂鬱な仕事の始まりだ。
自分は何を表現したいのか、課題を見つけられないというコンプレックスに悩んだ大学時代。
その「コンプレックス」という本の著者が、河合隼雄さんであることに気づいたのは教師になってから、ずっと後のことだった。(つづく)
noteを書いていると、ぽつりぽつりとユング心理学の記事に出会う。
ユングにはよく会うが、河合さんの名前にはなかなか出会わなくなっているかも?そんな危機感を書いてあったのがならまち月燈さんの記事だった。
しかも、ならまち月燈さんは実際の河合隼雄氏に会っている。
河合先生を目撃して下さい👇
偶然出会った河合隼雄ファンが、何かできないものかと、コメント欄で盛り上がったのだが、最近、ならまち月燈さんがたこせん枝瀬さんと、共同マガジンを立ち上げて下さった。
それが「河合隼雄『で』語り合おう」だ。
記事を回収してくださるそうなので、他の方の記事も読みたいし、自分でも河合隼雄先生と自分の人生はどう関係していたのか書いてみたいと思う。
河合隼雄を好きな人、集まれ💖
「河合隼雄『で』語り合おう」(⋈◍>◡<◍)。✧♡